第27話・わたしだけのオン・ユア・マーク
「まいどー。中務でーす」
やる気ミニマムの声と共に保健室に入ると、そこでは相原先生がペコペコしていた。
「…はい。あーはい。大変申し訳ありませんです。ええ、二度と…はい、ええそんなことは一切全く。はい、確かに。ええ、はい。はい。宜しくお願いします…はい。どうも……………よくも顔を出せたものね」
うーん。締まらない。全くもって締まってない。
「自分で呼んでおいてその言い草はどうかと思うんですけど」
勝手知ったる保健室。
エラそーに足を組んでる先生の肘掛け付き回転椅子の前に、わたしも回転椅子を置いて座る。
わたしが入室前にあったであろう、この先生の諸々の醜態はこの際武士の情けで見逃しておく。話の流れがわたしの不利になってきたら、遠慮なく反撃の手段として用いるつもりではいるけれど。
「私があんたを呼びだした理由を聞けばそんな口は利けなくなるわよ」
いえ、先生。大体想像ついてます。
っていうか、わたしと先生の間の話ってそれしかないですよね。
「…秋埜が学校を休んでるわ」
「知ってます」
「……私の見立てでは、あんたが原因だと思うのだけど」
「そうですね」
「………どう責任をとる気?」
「学校に来なかったのは秋埜の意志です。無理矢理連れて来い、と言われればそーしますけど、授業サボって同じおサボを回収してこい、っていうのは教師の発言としてはどーかと」
つくづく口のへらない娘だこと、と苦々しい口振り。
そんなこと言われてもね。実際、秋埜が学校サボる理由までは分かんないのだし。
「…この期に及んで何があったの?なんて聞くつもりはないけどね。学業にまで影響を及ぼすようじゃ学校での監督責任のある私にもいい迷惑なワケよ。で、何があったの?」
結局聞いてるんじゃないかー。
…とは言うものの、この際わたしと秋埜の関係について知ってるというか諦観してるというか、オトナの意見ってものを確認しておいた方がいーかなー、とも辛うじて思うので、わたしは素直に金曜日の出来事を詳らかにする。
「ひっでえ話だわね」
どこら辺が、と抗弁したかったのだけれど、思い当たる節が多すぎて反論出来なかったわたし。
というか、ちょっと興に乗って細かく話すぎたせいで、予鈴まで残り二分というところ。仕方ない、続きは放課後にでも、と腰を浮かしたわたしを前に、内線電話を繋ぐ先生。
「あ、もしもし田坂先生。ええ相原です。一つお願いが。次の二年二組の授業自習にしてくれません?え、無理?いいんですか、例の件上げますよ?………あら、快く承諾して頂いて嬉しい限りですわ。それじゃ、また。今後ともよろしく……オーケー、延長ね」
わたし、唖然。
「あの、何してたんです…?」
分かりきってるけど、一応聞いてみる。
「何って。あんたんとこの次の授業自習にしてやっただけじゃないの。これで落ち着いて話の続きが出来るってもんだわ。それとも空いた時間を利用して秋埜迎えに行く?」
それはご容赦願う。
たかが一時限分で往復出来るとも思えないし、そもそも秋埜が自分で来なければ意味ないと思うし。
というわけで、上機嫌でコーヒーを煎れ始めた先生の背中を眺めながら、予鈴を聞くという事態になった。
「…ところで先生?さっきの電話って、田坂先生?」
五限目はグラマーだったから、確かに田坂先生だけど。どうも会話の内容からして、脅迫してたようにしか聞こえない。
「そうよお。あのおっさん、とんだセクハラ野郎でね。去年の忘年会の時に弱み握っておいたワケ。使うチャンスは絞らないと効果ないけど、ま、今回は可愛い従姉妹のためだものね」
従姉妹のためというより、ご自身の好奇心の求めるままに、の間違いじゃないでしょーか。
それにしてもセクハラとはね。四十歳くらいだと思ってたけど、割に誠実な先生に見えたんだけどなあ。人は見かけによらない、ってことなのかな。
「…さすがに生徒にセクハラかますようなクズじゃないわよ、あのおっさんは。ま、私のようなセクハラしても後腐れないタイプにしか手を出さないみたいだし?」
「後腐れどころか尻尾掴んで離さないタイプじゃないですか、先生は」
分かっててやったのなら同情の余地はないよね、と同情する側を完全にはき違えたことを思った。
実際、この先生にセクハラとか人生かけてマゾに徹してるようにしか見えないし。
「で、一通り聞かせてもらった話だけど、ま、あんたも前に比べると大分マシな状態みたいだし、そんなに心配しなくてもいいんじゃない?」
「秋埜についてですか?わたしについてですか?」
「そりゃあ、あんたについてでしょ。今は校医の立場として話してるのだし。ほら」
「あ、どうも。って、ココアですか。一体どれだけの種類おいてあるんですかこの部屋には」
「子供が喜びそうなものなら一通り。なんならホットカルピスにでもする?」
「…これで結構です」
ちょっと甘すぎてわたし向きじゃないけど、もともと体重とか体脂肪の心配で甘い物は避けてるだけで、味が嫌いなわけじゃない。他にお菓子なんかがないならココアの一杯に文句もない。
「いただきます」
と、両手でマグカップを抱えてひとすすり。悪くはない。何より、あったまる。
「秋埜が何考えて学校サボったのかまでは分かんないけどねえ。午前中電話した感じでは別に元気がないわけでもないから、そっちも大げさにする必要はないでしょ。家族内で片付けられる範疇だわ」
ああ、秋埜に連絡とってたのか。なら大丈夫だと思うけど。
だったらこっちの相談にのってもらおうかな。
「…それでわたしも思うんですけど。これからどうしたらいいんでしょうかね?」
「あん?あんたがどうすればいいって?…ってもねえ、あんたの問題は、問題の内容は理解して答えも分かった。あとはどう解くか、だけでしょうが。他人にがとやかく言える段階なんかとっくに終わってるってもんでしょ」
「それはまた心強いお言葉ありがとーございます。せいぜい思い惑ってろくでもない結果を選ばないように精進したいと思います」
「うむ。邁進せよ」
…皮肉もつーじやしない。
でもセンセの言う通り、わたしだってこお、何をどう導けばいいのかは見えてるんだよね。結局残るのは、わたしの度胸っていうか覚悟の問題なんだし。
…やだなあ。今まで大事にしてきたものが全部ご破算になるかもしれない、ってのはさ。
でもね、何だかそんなことになってしまったとしても…わたしはわたしを好きだって言ってくれるあの子が欲しいって、そんな風に開き直れるようになってきてる。
これが好きだとか恋だとか、そーいうものかどうかは分かんないけど、それでもこの間までの何をどうしたらいいのか全っ然見えなかった時までに比べれば、自分の行きたい先が見えているだけ、進歩してると思う。
まあそういうわけなんで。
「じゃあ教室に戻りますね」
「まだ早くない?もう少しゆっくりしていけば?」
この先生はもー…話し相手が欲しいだけなんだろうけど、わたしだって実のない会話で神経すり減らすだけ、なんてのはご免だ。
だからもう、今しか使えないとっておきを持ち出すことにする。
「…そういえば先生。お誕生日おめでとうございます、ですよね。えっと、二十九になられたんでしたっけ」
数字が出た瞬間、ガタッと音も激しく立ち上がる相原先生。
「ど…どこでそれを…?」
「どこもなにも、来年三十路って先日自分で言ってたじゃないですか。ならもう十二月なんで、そろそろ二十九になったころかなー、って」
実際は、秋埜に二十八、って聞いてたという情報を付け加えてのこと、なんだけど。まあそこまで解説する必要もないだろう、というのは。
「うるせーっ!!ラストイヤーで何が悪いーっ!!」
…って一人で喚いてる先生を残して保健室を脱出出来たからこそ、思うことなんだけどね。
それにしても、予想通りだったとはいえ気にしてたんだなあ…。ちょっと悪いことした気もするので、後で秋埜に慰めておいてもらおう。
・・・・・
「おろ。先輩放課後も待ちぼうけですかー」
「別に秋埜を待ってたわけじゃないって。今村さんをね」
「はて、某にご用ですか?直接言わないといけない用事とはー」
今村さんは秋埜と一緒でない時は割とさっさと帰るらしかったから、特に長く待ったわけじゃない。
だから、別にLINEかメールでも良かったんだけど、折角だからわたしの本気っていうかやる気を伝えてもらうのに、より効果的かなって思ってのことだ。
「えっと、ちょっと秋埜に伝言をね。直接でも電話でもいいけど、今村さんから伝えてもらいたくって」
「いーですよ。で、何と伝えれば良いので?」
「明日はちゃんと学校に来てね、って。それだけでいいから」
今村さんは一瞬ポカンとして、それから満面の良い感じの笑顔で応じる。
「それは私も帰りに言おうと思ってたんで。任せてください」
「…二人分言えばちょっとは堪えるでしょ、あのコも」
「ですなー」
うん、ちょっと変わってるけどこの子もいい子だなあ。願わくば、わたしの周りが変わってしまっても、こんな会話が出来るように続けていきたいものだ。
言いたいことはそれだけだったから、その場で別れる。
帰り道は途中まで一緒だったけど、今日は一人でゆっくり帰りたかったから。
その途上、放課後すぐに秋埜に送ったLINEの内容を思い出す。
【金曜日にちょっと付き合ってもらいたい場所があるから時間あけといて】
まあ、これだけだ。
どこにいくのか、とか何しに行くのか、とか返信は来てたけど、既読だけしといてあとは放置しておいた。
勘のいい秋埜なら気付いたかもしれないけど、それならそれで構わない。それでわたしのやることが変わるわけでなし。
この内容と、今村さんにお願いした伝言があれば多分金曜日までは今まで通りに過ごせるはず。
それがきっと、金曜日にわたしがやることの後押しをしてくれるだろうって、思う。
決戦は金曜日。
なんかそんな歌があったよなあ、と思いながらわたしは、いつもよりいくらか力強い足取りで家路についた。




