第25話・ふたりの睦言
方向は全然逆だけれど、前にこの道を歩いたのは大智と一緒の時だったな、と思い出し、そして手元のスマホに表示された地図に目を戻す。
…つまり、全然道を覚えていなかったわけで。どんだけ大智の言葉にしか意識が向かってなかったの、わたし。
秋埜の家に向かうとなると一度家に戻った方が良いかな、と家で着替えてきたわたし。
先に家に帰った秋埜が待っているだろうけれど、何となくもの思いにふけって歩いてる。
別に色ボケしたわけじゃなくて、大智に迎えに来てもらって帰りしなにされたお説教のことを思い出していた。
『俺が今リン姉に言っているのと同じようなこと、アキにも言ってるだろ』
大智がわたしに言ってたこと。
わたしが秋埜に言ってたこと。
…ちょっと違う。
わたしが大智に言われたことと、わたしが秋埜に言ってたこと。
言わなかったこと、言えなかったこと。
ひとを想うのって、むずかしいことだね。
・・・・・
『センパイ、遅いっすよ…』
「ごめんってば。お詫びに秋埜の好きな例のあれ買ってきたから。機嫌直して開けてよ、ね?」
『あれ、といいますとー…魚肉ソーセージ?』
がくっ。
いや確かに好きなんろーけど。秋埜の作るお弁当には高い確率で入ってるし。
「なんでおよばれの持ち寄りに魚肉ソーセージなのよ。食後のデザートに決まってるでしょ」
『…センパイ、もしや』
「ふふふ、今開けないとー、甘玄堂の、チョコパイドーナツがー…」
『センパイ愛してますっ!」
「わぁっ?!」
…おかしい。「センパイ」の「セ」は明らかにインターホンから聞こえてきてたのに、言い終える頃にはわたしにしがみついていた。瞬間移動でも出来るのかこの子は。
「さーさーさー、お待ちしていました。本日の主賓をお迎えしてうちは感涙にむせび泣いていますー」
「…あのね、秋埜。ケーキ箱掲げて主賓はないでしょ、主賓は」
まったく。甘いもの好きなのは分かるけど、程度ってものがあるでしょーが、程度ってものが。わたしはチョコパイドーナツより下か。
「まーまーセンパイ。今日はセンパイにお肉つけてもらおうと、うちが腕によりをかけて作ったご飯ですから」
まだ諦めてなかったのか…。というか、予定外の事態だったんじゃなかったっけ。
ぼーっと歩いていた分到着が遅れてしまったわたしが、秋埜のトコについてインターホン鳴らした時の返事はすこぶるいじけてたというか、拗ねてたというか。
けど最近、わたしに対してクールというかどっかフラットだったので、こういう秋埜にはなんだかホッとさせられる。きっとこっちの秋埜が本来の素なんだと思うけど、ほんとわたしが不甲斐ないせいでかわいくない真似させてたなあ。反省、反省。
「まだちょっと準備にかかりますんでー。センパイ、コートはそっちにかけてくつろいでてください」
「ありがと」
二度目、というか前回は人事不省…は大げさか。前後不覚で運び込まれて、あんまりゆっくりもしてなかったからよく覚えてないんだけど。
その時寝かされてたソファーに腰掛けて、ゆっくりと辺りを見る。
…お父さんと二人暮らしにしては、というかだからこそ、なのか、物が少なくて随分とあっさりしている。わたしがコートをかけたハンガーラックとテレビが目立つくらいのもので、食器棚なんかもそれほど大きくはないし…生活感に乏しいというか…。
…ふと、秋埜が何の予告もなしにふっと消えてしまいそうな錯覚に囚われて、体を震わせた。
って、いかんいかん、何をしょーもないことを考えているの、わたし。もう少し楽しいことを考えよう。
うん、楽しいこと…あー、そういえばあの時の秋埜はすごくかわいかったなあ…わたしに胸突きだして、いい匂いって思われるのが好き、とか…うぁぁぁぁぁぁっ、秋埜ちょーかわいい!ヤバい!!わたしヤバい!
「…センパイ、ごろごろしてるんだったら手伝ってもらえません?」
…そうやってソファーで悶えたわたしを見下ろしながら話す秋埜の声は冷ややかだった。
「…ごめん、ちょっと壊れてた」
「まーいいですけど。何やってたんです?」
「前来た時の秋埜がかわいかったなあ、って」
秋埜、硬直。
「…スイマセン、それは忘れてて欲しいっす…」
「…そだね。なんかわたしも恥ずい…」
期せずして意見の一致をみたのだった。
「で、何を手伝えばいいの?」
秋埜の予備というエプロンを借り、袖をまくりながらお邪魔したキッチンスペースは、外から見るよりは大分広く感じた。間取りだけの問題じゃなく、整理されてて余計なものがないこともあるんだろう。
「あー、おいなりさん作ってたんで。センパイはご飯をお揚げに詰めるのお願いします」
「うわぁ、やったことないんだけど…」
お稲荷さん。食べるのは好きでも作ったことはないからなあ。
尻込みするわたしの隣で、秋埜が用意されてた五目ご飯の入った桶と並べられてた油揚を手にとって手本を見せてくれる。
「簡単っすよ。ほらこうして、ご飯を適量握って…お揚げをこお、裏返してからやると…出来た」
「あ、ほんと。これなら出来る」
秋埜の手際はまた見事なものだった。よっぽど慣れてないとこーはいかないだろうなあ。
「でしょ?じゃあうちはこっちでから揚げ作ってますんで」
「任せて」
ところで用意されてる油揚は…二十枚近い。これ全部作るのだろうか。わたしそんなに食べられないんだけど。
「余ったら明日のお昼にするから全部作っていーですよ」
それもそうか。すっかり主婦の風格の秋埜だった。
それからしばらくわたしは、手作業に没頭する。最初の二つばかりは秋埜のやったように上手くは出来なかったけれど、ちょっとコツを掴めばなかなかキレイな仕上がり。
上出来でしょ、と秋埜に掲げて見せると、「いただきます」とわたしの手からパクリ。
「作りながらつまみ食いはお行儀悪いよ?」
「つまんでないからつまみ食いじゃないっす」
とかヘリクツを。しょーがないなあ、この子は、とわたしも一つご相伴。うん、美味しい。
「センパイこそつまみ食いじゃないすかー」
「これはひっふぁいひはのらはら…ん、数に入らないもんね」
「…作りながらのつまみ食いって太るもとなんですよねー」
「………分かった。控える」
いけない、いけない。自分の家でやってるときはしないのに、なんだか楽しいせいか普段にない行動をとってしまった。
「控えなくてもいーのに」
とか隣でぼそっと呟く秋埜はこの際無視しよう。無視。
…それにしても。
お母さんやおばあちゃんと並んでご飯作る、ってことはしないわけじゃないけど、なんだか仕込まれてるとか手際を盗んでやろー、とかそういう風にやってることが多いから、秋埜と並んでご飯の仕度、というのはすごく新鮮、っていうか純粋に楽しい。
つまみ食いは控えるとして、互いの手際の披露とか普段どんなもの作ってるのかとか、学校でする話とも全然違ってて、特に秋埜は料理好きなんだなー、ってことが伝わってなんだか嬉しくなる。
「…ねー、秋埜。こうしているとさー、まるで…」
「新婚夫婦みたいっすねー」
…さきにゆわれた…。
「へっへっへー。センパイの言いたいことくらい分かりますって。でも新婚夫婦って並んでご飯作るものなんすかね?最近は男の子でも自分のご飯くらい作るものらしいっすけど」
「家庭科も男女関係無い授業だもんねー」
「そいじゃ、チーぼ………すんません、失言っした」
「……いーよ、別に。気にしてないし」
気にしてない、なんてことはないのだけれど。秋埜だって気がついてるから、こういう反応になるし。
けどまあ。こういう空気だからこそ、聞きにくいことを一つ、聞いておこうかな、って思う。
「秋埜。ちょっと聞いてもいい?」
「なんす?」
わたしのそんな緊張した空気を察したか、秋埜もすこし固い声で応じる。
ほんのちょっと、踏み込んでもいいのかな。
「…秋埜って、お母さんどうしたの?」
「……んー、それはまだちょっと、言えないっす。生きてはいると思いますけど」
「…そ。ごめんね、変なコト聞いて」
秋埜は怒りも笑いもしなかった。いーすよ、別に。気にしてないんで、とわたしの言い回しを丸パクリして冗談に紛らしていたのが、秋埜らしい気遣いなんだろうって思う。
ただ、ね。
気にしてない、って言ったわたしがやっぱり気にしてるのと同じで、秋埜にとってお母さんの存在って、抜けない棘のように忘れられないものなんだろうな、と思わずにはいられないんだよね。
「おお~、センパイおみごとー」
「た…食べ過ぎでしょ、これは…」
空になったお皿の枚数を数えるに…だめ、めまいがする。
味見の時でも大概美味しいと思ってたのだけど、食膳に並んだ品々はまたすこぶるつきで、美味しかった。
秋埜の腕は知ってたのだけど、それより雰囲気に流されたっていうか、まんまと思惑にのせられた、っていうか。しばらく間食は控えよう…。
「お稲荷さんなんかうちより食べてましたもん。そりゃーお腹いっぱいにもなりますって。あー困ったなー明日のお昼ごはんがないやー」
「…ごめん秋埜、今ごはんの話しないで…」
身動きがとれないわたしに代わって、秋埜はソファテーブルの上の食器を片付け始めてた。
「センパイ、しばらくじっとしてていーですよ。あ、お茶だけ煎れておいてください」
「うん、そーする…」
お言葉に甘えてお茶の道具にだけ手を伸ばす。
自分で持ってきたデザートのことを思い出したのだけれど、さすがにちょっと気分が悪くなる。甘い物は別腹、と言ったって収まる肉体の容量にはブツリテキな限界というものがあるのだ。今、さらに詰め込んだら破裂してしまう。
のそのそと急須からお茶を注いでるうちに、皿洗いは後回しにした秋埜が戻ってきて、ソファのわたしの隣に腰掛ける。ていうか、この体勢…。
「そいじゃー、センパイのお土産開けましょうか?」
「…もーちょっと待とうね?健啖なのにも程があるし」
いくらか余裕は取り戻したけど、これは腹ごなしに皿洗いでもしないと無理じゃないのかな、と思う。
秋埜は不満げにお茶をすすってるのだけれど、別にわたしに構わず先に食べてもいいのにね。
「それじゃあ美味しいもの食べても美味しさ半減するじゃないですかー。一緒に同じものを食べるから、余計に美味しく感じるもんすよ…?」
寂しいことを言わないで欲しい、みたいにぼやく秋埜だった。
そうだね…こんな風にお父さんが遅いと、一人でご飯食べることも多かったんだろうね。
「あ、それはないっす。そーいう時は大体もっちーの家に行ってたんで」
…わたしのしんみりした空気を返せ。同情して損した。
「…そろそろセンパイ、いーですかね?」
食後の運動代わりに…はならないとしても、少しはお腹も楽になるかなと皿洗いを引き受けた。まだかーまだかー、とやかましい秋埜の声を背中にそれを終え、居間に戻ると、日本茶ではなく紅茶と共に準備万端整えられていた。
「食い気満々だねー、秋埜は。そこまで楽しみだったの?」
それは高校生のお小遣いでたっぷり買うのは難しいお値段だけど、女の子二人分くらいならそれほど高価でもない。美味しいのは確かであっても値段相応ちょっと上、くらいだとは思うし。
秋埜の好物だとしても、そんなおあずけされてたワンコみたいな顔で待たれてたのでは…かわいくなるじゃない。
「センパイのおごりで、甘い物が食べられる、っていうのが嬉しいんじゃないすかー」
そんなものかなー、と思いながら秋埜の向かいに座る。
「…っていうか、それだったらこの間クレープ食べに行った時、ヘソ曲げて先に帰ったじゃない」
「あれはー…なんといいますか、チー坊に嫉妬してたといいますか…」
「うっ…」
…忘れてた。その時のことを言えばどーしても大智の名前が出てくるんだった…。
「センパイ、自爆してどーすんすか。今のはうちは悪くないですよ?…ん、やっぱこの辺で買えるチョコの中ではサイコーですねー」
呆れ顔の秋埜が先に手を出したドーナツに舌鼓を打つ…って、ところで舌鼓を打つ音ってどんな音なんだろ?あんまり上品な表現じゃないような気がするんだけど。なんか、おじさんが「チャッ、チャッ」と口を鳴らすみたいな。
「…センパイ、なんかしょーもないこと考えてません?」
ました。だって、突然居心地が悪くなったんだもの。
「うん、ちょっとね。わたしたちのこれから、を考えてね?」
なので、てきとーなことを言ってゴマかすわたしなのだった。
そう、誤魔化すだけの、つもりだったのだけれど…。
「そうですか…それはちょっと、…うちとしても気になりますね」
少し照れたような、でもすごく真剣な顔の秋埜が、わたしの出任せに考え込んでしまっていた。
「えーと、そろそろうちがセンパイに告白してから三週間経つんですけど」
思わず息を呑むわたし。その表情が、とても熱くて、目を離せない。
そんな秋埜の口から出てくる言葉ときたら。
「センパイ、少しはうちのこと、好きになってくれました…?」
破壊力抜群…ッ。こんなこと言われて秋埜のこと好きになれない人間いないっつーのっっっ!!!
「秋埜のことなら、もっと前から好きだった…よ?」
…だけど、なんだろ。わたし、どこか冷めてる。
熱に浮かされたような、ぽやーっとした顔で。
「何度も言ったじゃない。秋埜のこと大好きだよって」
目を合わせないで。
「秋埜のにおいが好き、っていったのはわたしの方が先だったよね」
取り繕った笑いで、秋埜にうそを言ってるわたしは、誰なんだろう。
「センパイ。うそ言わないでください」
やっぱり。
秋埜には通じないよね。
「ウソなんか言ってないじゃない。秋埜のことは大好きって、何度も」
「そうじゃないです。センパイって」
秋埜。
わたしの仮面なんかぶち壊してしまえ。
「…今でも。チー坊のこと、好きですよね?」




