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訳あってクラスに馴染めるはずもない俺は、よく体育館の裏で昼食時間を潰していた。
しかし、その日に限って先客がいたのだが様子がおかしかった。俗に言ういじめの現場だった訳だ。
一人の女の子を数人の男女が囲み、一人の男が言い寄っていた。
「だからさぁ。お前も母親と同じように足を開けばいいんだよ。初めてだって言うなら五万出してやるよ。まぁ、その後は客でも取って稼がせてもらうがな」
「いや! そんな事できない!」
「出来ないじゃなくってするんだよ! この学校で胡桃に逆らってやって行けると思っているのか!」
「いいから剥いちゃいなよ」
「じゃ遠慮なく」
言うが早いか、制服のボタンを引き千切る様に脱がしにかかる。
同じことを繰り返さないようにと、静観しつつ状況証拠を撮影していたものの、これ以上はヤバイと思って止めに入る。
「そこまでにしな!」
録画しっぱなしにしたスマホを向けながら、俺は用具小屋の陰から歩み出た。
「今の画像、ネットにバラ撒かれたくなけりゃ、そこまでにしとけ。それとも、呪われる方がお望みか?」
呪いの言葉に囲んでいた一人がポツリと呟いた。
「三年の【死神】柿崎……」
それを聞いた周りの奴らも、恐怖の目を俺に向ける。
「そうだよ。その子は俺が目を付けていたんだ。死にたくなけりゃ、近寄るな!」
慌てて逃げて行く連中の一人は、今日フードコートで見掛けた女だったはずだ。
「なら、君は最初から俺の事を知っていて……」
「知っていました。【死神】と呼ばれていた事も、そう呼ばれ始めた理由も。でも私の中の先輩は、助けてくれて慰めてくれた優しい人」
関わると死人が出ると噂される先輩の前に一人残され、言葉無く震えていると着ていた上着をかけてくれて、どうしてだかわからないけど、そのまま立ち去ろうとする先輩のズボンを掴んで引き留めてしまっている自分がいた。
先輩はちょっと困った顔をすると、私を軽く抱き上げてベンチに座らせてくれて、泣き止み落ち着くまで頭を撫でてくれた。
「一年生の君でも、俺の悪評は知っているだろ。俺には近付かない方が良いが、また何かされそうになったら俺の名前を使うといいよ。それでも避けられなくなったら、電話をしてくれていいから。これ、俺の携番」
そう優しい声をかけてくれた先輩は、私の中で怖い先輩では無くなっていた。
「ありがとうございました、助けて頂いて」
「うん。不用意に人目のない所へ来ちゃダメだよ。上着は明日にでも学年主任に渡しといてくれればいいから。それじゃ」
その後すぐに教員に画像を見せた様で、絡んできた生徒は呼び出されていて、私が先輩の上着を羽織っていても、教師の誰もが何も言わなかった。
「私、先輩のおかげであれから暴力を受ける事は有りませんでした。先輩に守られ続けていたんです。だから、先輩のために何かしたいと思っていて、卓也さんの心の穴を埋められればって」
「それは! それは感謝であって、そんなモノの為に自分を犠牲にするもんじゃ無い」
そう、俺にはそこまでしてもらう価値は無い。生きている価値だって有るのかさえも分らない程度なのだから。
「いえ。昨日も言った通り、上着を貸してくれて優しく撫でてくれた卓也さんに、私は一目ぼれしたんです。だから、卓也さんから気持ちが貰えなくても、尽くしたいんです」
「バカだな真菜は。もっと良い男がいっぱい居るだろうに。でも、ありがとう。真菜と居ると気分が軽くなるんだ。なぜだろう、離したく無い程に君は僕の中で大きな存在になってしまっている」
「私でもお役に立てますか?」
「もちろん。まあ、誰かに寄りかかりたい打算的な部分が無いと言えないけど、できれば彼女になって欲しい」
「はい。私だって守ってもらおうとする部分があるんですから、お互い様だと思います。好きな気持ちは、これからゆっくりと育んで行きましょう」
夕飯を食べ終わり、一緒に食器を洗いながら真菜のいじめの原因を聞いた。
「私の母は貞操感が薄くて、男性関係がだらしなかったそうです。見かねた祖父が父と見合いをさせて、結婚はしたんですが変わらなかったそうです。だから、私と父に血の繋がりは無いかもしれません」
「だから、お父さんと仲が悪いの?」
「いえ。父は私に沢山愛情を注いでくれています。母が出て行ったことは有名で、祖父も商工会の相談役を降りた時期でもあって、淫乱の血を継いでいるんだからって迫られて」
「そこに俺が居合わせたんだね」
「そうです。だから父も、卓也さんには感謝していますよ。今度、ちゃんと会って欲しいです」
親御さんに会うのは一向に構わないが、うちは養父母に会ってもらうべきなのだろうか。
「うちはさ、父が無理心中を図って僕だけが助かってしまったんだ。その後、引き取られた先の養父が交通事故で大けがをして、一緒に居たのに僕だけ無傷だった。そしてついたあだ名が【死神】さ。朱里は幼馴染で、唯一話を聞いてくれる存在だった。でも告白したら言われたんだ『私も呪われたくなかっただけ。だから幼馴染以上になんかならない』ってね」
「そうだったんですか。だからあんなに……」
「そんなに酷かったかな、金曜日の俺は」
「生きているのも嫌だって感じで、眠った後も随分うなされていて。落ち着いたのは本当に明け方近かったです」
「ありがとな、そばに居てくれて。ところで、家には帰らなくていいのか?」
仲違いしているわけでは無いのに、家出なんかして心配していないのだろうか。友達の家って言っても明日は学校があるのだし、制服まで持ち出していてどう説明しているのか疑問だった。
「明日の夜は帰ります。けど、卓也さんは大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと一人で立てる様に、真菜を支えられるようにならなくちゃね」
月曜日は真菜に見送られて出社した。
なんともこそばゆい感じで、職場に着いてもそれが顔に出ていたようだ。
「おはよう、柿崎。ずいぶん嬉しそうだけど、金曜日のあれで憂さは晴れたのか?」
「あ。おはようございます、堂本課長。その、金曜日は申し訳ありませんでした。タクシーに乗った辺りから記憶が無くってですね。もう、あんな飲み方はしませんのでご容赦ください」
「いいさ、若い内は少しくらい羽目を外したって。ましてや失恋なら尚更だよ」
思わず冷や汗が背中を伝う。
どこまで話をしてしまったんだろうってのもあるが、絡んだりしていない事を切に願ってしまう。
「それより、昨日は女の子が出入りしていたけど?」
「え! あ、いや、高校の時の後輩で。少し、その、慰めてもらっていたものですから」
「慰めてって。高校生に手を出すのは、子を持つ親としては複雑なんだが」
「いえいえ、決してやましい関係ではないです。そもそも彼女になってもらったばかりで、直ぐになんて手は出しませんよ」
「君のそういう誠実なところは、実に好ましいと思っているよ。そこで、うちにも年頃の娘がいるんだが、会ってはみないかな」
いやいやいや。彼女が出来たって言ったばかりなのに、何故そんな事を言いだしたのだろう。
「申し訳ありません。せっかくのお話ですが、彼女を大切にしたいのでお断りをさせて下さい」
「ますます気に入ったよ。今晩、ぜひ三人で食事をしよう。真菜には私から連絡しておくから」
「え? 真菜って、え?」
「娘を助けてくれた事も聞いているよ、その節はありがとう。だが、入社に際して贔屓はしていないよ。為人を知る機会がたまたま有っただけだからね。便宜を図ったのは社宅扱いのアパートくらいか? 娘が近い所を希望したから、そこはちょっと無理させてもらったよ」
課長と別れてすぐにメッセージアプリで説明を求めると、定時の間際に返信が届いた。
『もうパパったら! でも、ちゃんと挨拶してくれるんですよね。彼氏として? それとも、未来の旦那様として?』
そうだな、ちゃんと挨拶して認めてもらわないといけないよな。