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その日の目覚めは最悪だった。
ひどい頭痛がしていて、体が鉛の様に重く寝返りも打てない。
前日の金曜日は定時退社日なのもあって、定年退職する先輩の送別会が催され、けっこう遅くまで連れまわされてしまった。
もともと酒は飲める方ではないのだが、入社間もない新人に断る術はあまり備わっていない。それでも直属の課長が、ちょいちょい来てくれてはウーロンハイを烏龍茶に交換してくれていたので、なんとか醜態をさらさずに最後の見送りまでいる事ができた。
帰りは社宅扱いの同じアパートに住んでいる課長と、タクシーに乗った所までは薄っすらと覚えているのだが、どうやってベッドまで来たのか記憶にない。
「やっぱり酒の席は苦手だなぁ。なんで記憶が無くなるまで飲まなきゃいけないんだろう」
「社会人は辛いですね。でもそうですか。昨日の記憶、無いんですか。ちょっと悲しいです」
つい独り言を呟くと、聞こえて来るはずのない返事が返ってきて、それが女の子の声だったものだから一瞬で目が覚めた。
体が重かったのは二日酔いのせいではなく、女の子が体を預ける様に寄り添って寝ていたからだった。
「え! だれ? どうして?」
顔だけこちらに向けて恥じらう様に頬を染めた女の子は、体を起こすとペタンと僕の太腿を跨ぐように座り込む。その子が身に着けているのは、彼女には大きすぎる僕のTシャツで、生地を突き上げる胸はノーブラのようだし、裾から中が見えそうだった。
慌てて顔を背けて目を瞑る僕に、彼女は衝撃的な言葉をハッキリと口にした。
「改めまして。私の名前は真菜、高校三年生です。プチ家出中を拾われて、泊めてもらいました。忘れちゃっているなら、昨日のことは無かった事にして良いですよ?」
「昨日の、こと? もしかして、抱いて、しまった?」
「いまさら気にしないので、こっちを見てください。話をするときは目を見て、でしょ?」
恐る恐る真菜を見ると、ニッコリ笑って小首を傾げて繰り返す。
「無かった事で良いですよ? それより朝ご飯にします? それとも、夜の続きをします?」
明け透けな言葉にガッツリ精神力を削られて、左腕で目を覆って後悔の溜息をつく。
「ふふっ。先にシャワー貸してください。その後で食事の支度をしますね」
そう言い残して真菜は部屋を出て行ってしまって、ハッとしてゴミ箱を覗くがそこに情事の痕は無い。
避妊もせずに、まさか中で?
だから、先にシャワーを?
そもそも童貞の俺が、記憶が無いままでちゃんと出来たのかどうかも分からないが、高三っていったら一七歳にはなっているはず。妊娠してしまっていたら籍を入れることは出来るけど、そんなので彼女を幸せになど出来る訳がない。
いったい俺は、なんて事をしてしまったのだろう。
「シャワー有難うございます。次どうぞ」
頭を抱えていたら、真菜が扉の向こうから声をかけて来た。
改めて自分の格好を見ると、昨日着ていたノースリーブのシャツにトランクスだけ。当然、シャワーも浴びてはいる訳はない。
着替えを一式もってシャワーに向かうと、キッチンの方から真菜の鼻歌が聞こえてくる。何処か陽気そうなその様子に、違和感を受けながらもシャワーを浴びてサッパリするが、気持ちは一向に浮上しなかった。
「これ、渡しておく」
自分の名刺の裏に個人携帯の番号を書いて、台所の真菜に差し出す。
「俺の名前は、柿崎卓也。立花製作所って会社の平社員で、二十歳になったばかりなんだ。ここは社宅で、独りで住んでいる」
「はい、ご丁寧にありがとうございます。えっと、パンは焼きます? スクランブルエッグでも作りましょうか?」
「あ、お願いします。えっと、こういったのは慣れているの?」
「うちは父子家庭なので、家事全般は私の仕事ですから」
「そうじゃなくて、知らない男の部屋に泊まったりとか……」
「あぁ。それは一度も無いですよ。そんなふしだらな女に見えますか?」
ポニーテールにした髪は黒く艶やかで、少し幼さの残る整った顔立ちは素直に可愛いと言える。プリントTシャツを押し上げる胸は標準より小さ目で、むきだしの腕は白く、スキニ―ジーンズから伺える下半身も健康的なしなやかさを感じる。
「いや。普通に可愛い高校生に見えるよ。でも、知らない男と一晩を共にしたわりには、陽気と言うか状況を気にしている感じがしなくって」
「とりあえず、卵もパンも焼けたので食事にしましょう」
焼いてもらったパンにマーガリンを塗って、スクランブルエッグを乗せて醤油を垂らす。ブラックコーヒーを一口飲んで、パンにかじり付いた。
真菜も同じようにしていたけれど、掛けたのはケチャップで、同じようにひとかじりする。
「朱里さん、って彼女さんですか?」
「ど、どうしてその名前を?」
「昨日の夜『朱里が居なくて寂しい』と。涙を流す卓也さんをほっては置けなくて、袖を引かれるがままに一緒にベッドに入りました。でも、それだけです。気にしている様な事はなにもありませんでしたから」
そこでホッとしてしまう俺ってどうかと思うけれど、責任うんぬんでは無く、傷付けてしまわなかった事に安堵した。そして、持て余している思いを聞いてもらいたいと思ってしまった。
「そっか……。朱里は幼馴染なんだ。高校まで一緒の学校だったんだけど、彼女は進学した。毎日会えなくなって幼馴染のままでいるのが嫌で、告白したんだけどダメだった。もう彼氏がいるんだって。僕の事はただの幼馴染としか見ていなかったって言われて」
もっと早く、高校に上がったくらいで告白していれば違っていただろう。
その時も同じセリフを言われたかもしれないけれど、一緒に居られる時間は有ったのだから、付き合う事になっていたかもしれないと悔やまれる。
「それじゃ卓也さんは、今フリーなんですね? だったら、しばらく泊めてもらえませんか?」
「いや、だって、学校とかどうすんの」
「大丈夫です。勉強は出来る方なので、しばらく休んだって問題ないです」
「いや、大事な時期だから問題あるでしょ。出席日数とか内申に影響あるし、お父さんだって心配するだろうしさ。俺だって男だから襲っちゃうかもしれないし」
高校生だって聞いては手なんか出せないけど、情けないことに今朝みたいな状況で自分を抑えられる自信も無い。それ程に真菜は可愛くて、その容姿は理想の彼女像に近いのだから。
「私は卓也さんの彼女に、相応しくないですか? こんな品祖な体じゃ無理ですか?」
「別にスタイルが嫌とかではなくって」
「逆に好みですか!」
「彼女って、君まだ若いし」
「二歳しか違わないですよね」
「俺には好きな人が」
「フラれたんですよね」
「お互いをよく知らないし」
「だから一緒に住んで知って下さい」
「……」
これって俺に不利な展開だよな、って言葉を発するごとに言い包められている事を自覚する。
こんな何処にでもいる様な、冴えない男のどこが良いのだろうか。真菜くらい可愛ければ言い寄ってくる男だっているだろうに。
なのに真菜の表情から俺の事をからかっている感じはせず、どちらかと言えば真剣に交際を望まれている感じを受ける。
「なんで俺なんかを……」
「一目惚れなんです。困っているところを助けてもらって」
「ごめん。酔っぱらっていて記憶にないんだけど……。でも、そこまで言うのならしばらく居ても良いよ。だけど、学校はちゃんと行ってね」
折れてしまったのは多分、自分の弱さだ。
フラれてしまった悲しみに耐えられなくって、一人で居る寂しさに耐えられなくって、我が身かわいさに女子高生を頼ってしまった。守るべき立場なのに、守ってもらおうなんて考えてしまったのだ。
本当に情けないな、俺。