24 エピローグ
※
すももちゃんからのメッセージを受け取った春の日から三ヶ月。
僕は近県のとある田舎町を訪れていた。
今はその中にある一件の邸宅にお邪魔している。
興信所に住所を調べてもらい、事前に連絡を入れてからやって来たのだ。
案内された和室は障子が開放されていて、扇風機に先導されるように入り込んでくる外気が肌に心地よかった。
お焼香を終えた僕に、家主である瀬川さんが冷たい麦茶を淹れてくれた。
「突然お邪魔してしまってすみません」
「いいえ、とんでもない。あの子もきっと喜んでいますよ」
「李子さんが亡くなったことを知るのに二十年近くもかかってしまいました」
「それは仕方のないことです。李子が亡くなったのは、わたくし共がこちらに引っ越した後でしたから」
「両親は葬儀にも参列したそうですが、僕には秘密にしていたそうです」
「息子さんには知らせないようにと、こちらからお願い致しました。命がけで助けて頂いた李子が、わずか一月もしないうちに亡くなったなんて聞いたらショックを受けるのではないかと…」
「はい。両親から聞いています。そのご配慮に感謝しています。確かに当時の自分がそのことを聞いていたらひどく落ち込んでいたと思いますから…」
「李子のことはご両親にお聞きになったのですか?」
「いいえ。李子さんのことを知る人物とちょっとした縁がありまして、その方に聞きました。野崎さんという方なのですが、ご存じですか?」
「のさき、さん…。えっと、すみません。ちょっと分からないです…」
仏壇に飾られている写真に写っている『瀬川莉子』という子は確かに僕たちが救った女の子だった。
もし、亡くなることなく成長していれば、『長谷川すもも』の容姿になることは容易に想像できた。
「李子ったら、またお兄ちゃんに会いたいと言って聞かなかったんですよ。ちゃんとお礼を言いたいからって」
「お兄ちゃん…?」
「あっ、ごめんなさいね。…あの子、橘さんのことをすっかり気に入ってしまったみたいで、お兄ちゃんと呼んでいたんです」
「僕のことを「お兄ちゃん」ですか…」
「お兄ちゃんのお嫁さんになるんだって、そう言ってました」
それを聞いて僕の中の認識がいくつか変わった。
『中を見ましたよね。』
『うん。見た』
『おに…』『あなたに大事な話があります。』
『えっと、あくまで僕の意見ってだけなんだけどさ』
『はい。』
『席に着いて、注文も済ませてから話し出す方が自然だと思うんだよね』
『おに。』『あなたがそう言うのでしたら、わたしはそれでも構いません。』
あのときの僕は「鬼」と言われたと勘違いしていたけど、あれは、その後に続く「ぃちゃん」を咄嗟に飲み込んでいたんだ…。
『ありがとう。お兄ちゃん。
わたしはいつまでも
お兄ちゃんのことが大好きだよ』
夢の中で聞いた言葉も、
『わたしはしんでしまいました。お兄ちゃんに会いに行こうとしてじこにあってしまったからです。』
『わたしは学校のテストはきらいだったけど生きかえることにしました。大好きなお兄ちゃんにまた会いたいからです。』
『そんなことはできない。
したくない。できるはずがない。
私はそこまでして生き返りたいなんて思わないし、そもそも生き返る意味がなくなってしまう…。』
日記に書かれていたことも、
すべて、僕を思ってくれていた。
ありがとう。すももちゃん。
決して後ろ向きには生きないって約束したけど、二度も君を死なせてしまったことを改めて謝らせてほしい。
ごめん。本当にごめん。
※
「ところで、瀬川さん。一つ聞いてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「写真の横に添えられている“赤いストラップ”は、李子さんが生前身につけていたものですか?」
「これですか…」
瀬川さんは手に取ったストラップを不思議そうに見つめながら言った。
「それが…覚えていないんです。こんなことを言ったら変に思われるかもしれませんが、以前はなかったような気がするんですよ…」
「お焼香にいらした誰かが置いていったのでしょうか…?」
「だと思うのですが、それが誰なのかは…」
「李子さんのお名前に因んで「李の実」だなんて、気が利いていますね」
「すもも…ああ、これ「李」だったんですね。「さくらんぼ」だとばかり思っていました」
瀬川さんと笑い合う。
その笑顔には、やはり、すももちゃんの面影があった。
そして、なんとなくだけど、僕の母さんと気が合いそうだと思った。
安心したよ。すももちゃん。
ストラップは消えていないけど、ちゃんと“そっち”に持って行けたじゃないか。
ずっと大切にしてね。
室内に流れ込んでくる風が心地よかった。
そこに少しばかり季節外れな李花の香りが混じっているような気がして…。
僕の頬を一筋の涙が伝う。
「もう、君のために泣いたりしない」
ついこの前、そう約束したのに。
溢れてくる涙を止めることなどできなかった。
ときには泣いてしまうこともあるかもしれないとは言ったけど、こんなに早くだなんて、笑われちゃうな…。
十二年前の病室で、僕は、眼球を失った左目からも涙が流せることを知った。
僕は今でも普通に泣くことができる。
そして、目をつぶれば、僕はいつだって君と再会することができる。
そこに映る君の笑顔が半分になることなんてない。
既になくなってしまった眼球は、僕が目を閉じるだけで、再び君を見てくれる。
片目くらい失ったって、案外、何も変わらない。
もちろん、不便なことはあるし、あの日受けた暴力への恐怖が完全に消え去ることはないだろう…。
それでも僕は、この「今」に不満は一切ない。
だって、僕はそれ以上に大切なものをたくさんもらったから。
だから―――
だから僕は左目なんかいらない。
完
二ヶ月近くに渡り連載させて頂きましたが、いよいよ完結となりました。
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
みなさまの心に少しでも残るような作品になっていれば幸いです。
感想など頂けたらとても嬉しいです。
そのときは、ありのままに、正直なご意見をくださると今後に繋がりますので、よろしくお願いします。
あまり厳しいご意見だと凹んでしまうかもしれませんが(汗)
今後も執筆活動は続けていくつもりですが、次回作の投稿がいつからになるかはまだ分かりません。
連載できるくらいのスットクができたら…と考えておりますので、そのときにも、またみなさまにお会いできることを願っております。
最後に読者のみなさまにもう一度だけ感謝を。
ここまでお付き合いくださりまして、本当に、本当に、ありがとうございました!




