勇者は成長したら魔王を討ちに行く予定でした
とくにオチは無いです。
予定は未定。
この世界には魔物もいて、人もいて、当然魔王もいれば必然的に勇者だって存在する。そんな世界で私は勇者として生まれた。
皆は私を勇者と呼ぶ。名前はあるが、名前で呼ぶのは家族と幼馴染と仲の良い数人ぐらいか。勇者様勇者様と崇めてくる民衆は正直に言ってしまえばうざったい。その一言だ。
そう、勇者として生まれたからには魔王を討伐しなければならない。それがこの世界の決まりだ。郷に入っては郷に従え。別に拒絶するつもりはないし、そうするのが決まったことだと言うのなら仕方がない、私は皆の理想の勇者になろう。それは別に正義感や好奇心での決意ではなく、ただ周りに流されただけ。つまりは諦めである。面倒極まりないが、魔王さえ倒してしまえば後はここを旅立つなり冒険者になるなり好きにしてもいいんだろう?決められた役職は真っ当する変わりに、後の事には一切口を出させない。
前世では父が警察官をしていたが、今世は勇者か。所謂生まれ変わりだが、その転生先が勇者だなんて本当についていない。神は私を正義の味方にでもしたいのか。父にも散々警察官になれと勧誘されたものだ。無理矢理ではなかったので断固拒否したが。だって正義感の欠片もない私が警察官になるだなんて、本物の警察官に失礼だろう。残念ながら私に正義の心はなかった。
しかし今世は成人にもなれば無理にでも討伐に送られる。女であろうが弱かろうが、だ。ならば訓練でもするか。成人までに魔法も剱も使えるようになって、魔王を倒せるように強くなろう。成人まで。勇者はどんな状態であれ、成人になったときは旅立つのがこの世界のルール。だからそれまでは鍛えようと。
そう思っていたのに、どうやらそれはこの世界のルールでも何でもなく、人間達が勝手に決めただけの決まり事だったらしい。私も幼い頃から洗脳されていたということか。それに気付くことさえできなかったなんて、なんたる屈辱。
だって、そんな強制力がこの世界にあるならば、私は今こんな状態に陥っていない。
目の前には漆黒の髪に真っ赤な瞳、神かと見紛う程整った顔立ちの男が、王座と言うに相応しい椅子に頬杖をついて座り、高い位置から此方を見下ろしていた。
「魔王様、ご命令通り連れてきました」
生まれて早五年、私は今魔王城にいます。
……成人云々の話はどうしたんだ。それまでは安全なんじゃなかったの?お父様、成人までは大丈夫って言いましたよね。お兄様、守ってくれるって約束しましたよね。お義母様……は、歓喜しているか。小躍りでもしていそうだ。
……さて、どうしよう。
その日は何時も通りの一日で、幼い私は九時には布団に入った。眠りにつき、肌寒さに目を開けると、目の前に天使がいた。銀色の腰まである長髪を斜めに緩く結び、肩から前に流していて。着物のように長い袖に神官の着る様な真っ白な服。黒と見間違えるような藍色の瞳には長い睫毛がかかっていて、思わずはっとしてしまうような、幻想的な美女がそこにはいた。
しかし背中から覗く羽は黒く、どこか影を落とす。ああ、天使は天使でも堕天使か。堕天使が私に何の用だろう。じっと見つめていると、堕天使はじっと無感情に私を見つめ返し、私を肩に担いだ。
「……ん?」
俵担ぎ……?何故に?つーか、意外と肩幅広い……って、え?もしかして男?違うよね?心の中で葛藤していると堕天使はあっという間に窓から飛び降りて空を飛んだ。抵抗を忘れた私は薄着であるため、寒さに震えてしまう。今の私はシャツに七分丈のズボン姿。布団が温かいし、窓も閉めきっていたから薄着で問題なかったのだ。落ちたら即死の高さや誘拐という考えは無く、ただ混乱する。これはどういう状況なんだろう。もしや、夢でもみているのかと。
ふっと内臓が浮く感覚と共に浮遊感が消えて、コツリと靴音がする。先程まで月の出る夜空を飛んでいたのに、何時の間にやらそこは室内だった。しかも王様でも住んでるのかと言いたくなるような豪華な室内。横も縦も広い廊下を堕天使は歩いていく。相変わらず私を担いだまま。
そうして連れてこられたのはまるで王城の広間の様な場所。大きく重そうな扉を潜った先に、その男はいた。インクを溢したような真っ黒な髪に、濃く揺らめく赤い瞳。陶器のような白い肌に、人形の様な端整な顔立ち。見た目は二十代ぐらいか。普通なら頬を赤く染めて見とれてしまうような超美形が、此方につまらなそうな視線を向けていた。
「ふぅん……何、それ。随分と小さいね」
「勇者が生まれたのは五年前ですからね。まだ成人しておりません」
やっとの事で足が地につく。なんだかふわふわするなぁと足元を見つめ、そのまま目が潰れそうな美形と対面した。
……つーか……何、この状況。全くついていけない。表面上は無表情だが、心の中はカオスである。肩には私を連れ去った美じょ……美形の堕天使──考えた結果男と結論した──の手が置かれているため、身動きできない。手袋をしているのは普段から?それとも人間に触るのが嫌だから?どちらにせよ、いい感情は向けられていない。椅子に座る美形にじっと見つめられるので見つめ返していれば、美形はすっと目を細めた。
「勇者に選ばれるだけはあるってことか。勇者の血肉はとても旨いらしいね?」
僅かに口角を上げる。瞳には意地悪さが滲んでいた。
「毎回弱者を送り込まれるのも飽きたところだ。いつも消し炭にするから食べたことないし、今晩の食事にしようか」
…………。
やべえ、と思った。これ、食われる。
連れてこられた理由は全く分からないが、要は勇者を殺すのが飽きたから、次は食べてみようか的な感覚で連れてきたってこと?そんなお手軽感覚で物語を崩さないで。被害が全て私に来ている。全ては今までの勇者の行いのせいだな。チッ、歴代の無能勇者共め。
先程の言葉から、目の前にいるのは魔王と思われる。ならば、この城のようだと思った場所は思った通り、城だったのだ。城は城でも魔王城だが。
つまりは私は齢五歳にして、二十歳過ぎに来るはずだった目的地に着いてしまった、と。着いてしまったというか連れ去られて連れてこられたわけだが。
やった、目的達成じゃん。……とか冗談言ってる場合じゃない。流石にこれは笑えない。いくらなんでも目的達成が早すぎる。これではただの食料じゃないか。
そして目の前の美形を無表情に見つめながら思う。これが、魔王か。……舐めてんのか、と。魔王といえば見ただけで震えてしまうような恐ろしい容貌であるべきじゃないか。それが、何この顔。別の意味で震えるが、私が求めているのはそうじゃない。もっと人間らしさの欠片もない姿だと思っていた。前世でいえば、化け物と罵られるような恐ろしい存在。絵本でだって、身の毛もよだつ様なおぞましい姿形をしていると書いてあったのだ。だから、少し楽しみにしていたのに。見たことのない人外を見られると。魔王討伐を受諾したのもそれが大きい。それなのに。完全な詐欺じゃないか。今すぐにでもこの整った顔をスプラッタにしたくなる衝動を自制する。それを行動に移してしまえば、スプラッタになるのは確実に私の方だ。私には何の力もなく、蟻が象に挑むような物である。物語はどうした。こんなの反則技だろ。
しかし、抵抗する術を持たない私にはどうすることもできない。だが幸か不幸か五年しか生きていない世界に愛着はなく、死を経験した私としては一度も二度もそう変わらない。ここは潔く諦めるべきだろう。しかし、だからといって何も怖くないわけではない。
……あの人、人間のこと食べるんだ……。というより、さっきの言い方だと魔族全員人間食べてそうだな。こわ。それより何より、どうやって食べるんだろう。焼く?切り刻んで食卓に並ぶのだろうか。それとも……もしや生?生きたまま食われたりするのか。それは……絶対嫌だ。
せめてもと意見を述べたいのだが、何やら話している様子。全く聞いていないが、喋っても良いのだろうか。口を開いた瞬間殺されたり?どちらにせよ口を出した時点で変な奴だが、しかし自分の意見は伝えたい。だって何も言わなかった結果、地獄を味わいながら死ぬなんて嫌だもの。そうなるぐらいなら自ら死を選ぶが、その場合は身体動かなくされそうだ。
少し考え、私は手を上げてみた。挙手だ。と、一瞬で静かになり視線が集まる。痛いなぁと心の中でため息をつく。注がれるそれらはとても冷たい。魔王様が眩しすぎて他に目がいかなかったが、他にも数人いる。いつまで経っても時が進まなかったので、仕方無く口を開く。
「……発言してもいいですか」
私の言葉に、魔王様は僅かに片眉を上げると目だけで先を促した。
「どうせ食べられるのなら、一発で殺してからにしてほしいです」
死ぬのに恐怖はないが痛みにも恐怖を感じないわけではない。死ぬにはどうしても痛みを伴うだろう。それは仕方ないとは思うが、生きたまま食われるのはごめん被りたい。絶対嫌だ。仮に、巨大な化け物であったなら腕からや頭からと、大きくばくりといかれ、苦しみも痛みもあるにはあるがまぁそれぐらいならばいい。しかし目の前の私を食べると言った魔王様は人間サイズである。その小さな口では一口が小さい。苦しみが長すぎる。絶対耐えられないので、どうせならば先に殺してからにしてもらいたかった。
淡々と述べた私の言葉に、魔王様の瞳がきらりと光った。形のいい唇が緩く弧を描く。
「へぇ。痛いのは嫌?」
「嫌ですね」
……あれ、もしかして間違えた?言葉を返してハッとする。魔王だもの、人の苦しみは蜜の味所か甘美なる物であるはず。ならば一番嫌がることをしてくるんじゃ?つまりは生きたままじわじわと……やめて、いっそもう自殺さえ出来なくなる状態にされる前にこの場で死んでおくか。しかしその考えを見透かしたように、肩を掴む力が強くなる。い、いた……痛くはないけど精神的に痛い。
「でも何を食べるにしても新鮮なものに限るよね」
「……悪食は腹壊すと思います」
「魔族の身体は人間と違って、丈夫だからねぇ。それに、勇者が旨いってのは確実だから問題ない」
何故そう言いきれるんだ。と思ったら、なんと魔王様に辿り着く前に手下に殺された勇者もいて、美味しかったという確証があるらしい。……勇者、マジで無能だな。
これ、ダメなやつだ。じわじわなぶり殺されるやつだ。下手な発言しなければ良かったのか、それともどちらにせよこうなったのか。何処か楽しそうな色を見せ始めた魔王様の赤い瞳を見て思う。私って本当についてないなぁと。
他人事のように自分の末路を考えていると、魔王様がふと何かを思い付いたように此方を見た。
「子供の肉の方が旨いけど、同じ美味しいのなら大きい方が良いなぁ」
「………魔王様?」
肩を掴む堕天使が戸惑いの声を上げる。なんだ、どうした。今のどういう意味?魔王様はにぃと口端を上げる。
「まさか返してこいと言うのでは……」
「ふふ。ねぇ、家に帰るのとここに住むのとどっちがいい?」
え?
何その質問。私を見ているし、私に聞いてるんだよね?意図は相変わらず読めないが、その質問の答えは決まっていると思う。今晩の食事に何聞いてんの、この魔王。いやがらせ?それとも本当に帰してくれるとか?しかし喜ばせて絶望に突き落とすとか平気でしそうだし、期待はしない。だってここに住むとか意味わかんないし。お互いにあり得ないだろその選択肢。……一応答えるか。
「家帰りたいです」
「そう。確かグーゼル辺りの部屋、空いていたよね?準備してくれる?」
「魔王様!?」
見事に真逆をいかれた。返ってくる答えは分かっていたであろう魔王様は、涼しい顔をしたまま極自然な流れで隣の男に命令を下した。言葉は不自然すぎるのに自然に感じる不思議。すげえ。思わず私がここに住むと言ってしまったかと考えた。いくら考えてもそんなことを言った覚えは無かった。
「ご冗談ですよね?」
「本気だよ。育ててから食べることにした」
私は家畜か植物ですか。
「ですが」
「……何?口出すの?」
「……いえ。すみません」
うわぁ、権力者の発言。魔王様はつまらなそうに冷たく隣に立つ男に視線を流す。出過ぎた真似だと気付いたのか、男は礼をすると下がっていった。
「魔王が勇者を飼うってのもおつだよね」
目を細めて笑うその顔は類を見ない程綺麗な表情なのに、何かが背筋を這う感覚があった。思わず顔が引き吊る。
「それじゃあ部屋に連れていって」
「はい」
そうして私は広間を後にした。
眩しい人畜無害な表情の裏に、魔王らしい底意地の悪そうな笑みを浮かべた魔王様を置いて。