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帰りのバスに乗る頃には、陽も完全に落ちて駅前はライトアップされていた。
「ふぅーっ、もう足がパンパン」
空いている席に座り込み脹らはぎをさすっていると、突然目の前に仕事帰りの父親が現れた。
「あっ、お父さん!」
「若いんだから立ちなさい!」
「はぁい……」
(きっつーい!)
仕方なく立ち上がり、父親と並んだ。父親は流れる汗をハンカチで拭いながら、窓の向こうに流れる夜の景色を嬉しそうに眺めている。
「お父さん、いつもこのバスに乗ってるの?」
「いや、こんな早いバスに乗ることは滅多にないなぁ……。ほとんどが最終だよ」
そしてまた、流れる汗を拭う……。
「あっ、そうそう! 私、駅前のMバーガーでバイト始めたから」
「なんだ! 聞いてないぞっ」
「あっ、今日からだから」
呆れる父親と一方的な娘の会話は続き……、バスは家路を辿る。
紫色の香りのするバス停に降り立った時、優衣はようやく妖精のおじさんの存在を思いだした。
「あーーーーーっ!!」
「どうした!?」
優衣は、父親には内緒だったことも思いだした。
「ううん、なんでもない」
「いきなり大きな声を出すんじゃない!」
「はぁーい……」
驚いた父親から流れる汗は、もう尋常ではない。
「ただいまーっ」
すぐに2階へと駆け上がり、おじさんの居る本棚を覗き込む。
「あれっ、居ない……」
部屋の中を見渡す優衣。
「どこに行っちゃったのーっ」
廊下の隅々まで探しまくる。
そのまま、陽太の部屋のドアをノックした。
「陽太! おじさんが居ないんだけど」
ドアを開けると、ベッドの上でうつ伏せになっている陽太が目に入った。
1人でオセロゲームと向き合っている。と、思ったら……、オセロゲームのボードの上におじさんが! 黒と白の石を3つ重ねて、その上に腕を組んで座っている。
「おじさーん!」
『アッ、ユイお帰りー』
「ちょっと陽太! おじさんは、あんたの遊び相手じゃないんだよ」
「別にいいじゃん! おじさんは姉ちゃんのもんかよっ」
「当たり前じゃん! 私が連れてきたんだから」
「何、言っちゃってんの! おじさんは妖精だぜ⁉︎ 姉ちゃんだけのもんじゃねーよ」
「ったく……。いつから、そんな生意気なヤツになっちゃったの!」
『イヤァ、ワタシはどうしたら良いのカナァ?』
おじさんは照れくさそうに、頭をポリポリと掻いている。
「優衣ーっ! 早くご飯食べちゃいなさーい」
揉める2人を遮るかのように、母親が1階から声を張り上げている。
「ほらっ、早く行け! シッシ」
陽太に軽くあしらわれ、ムッとする優衣。
「もう! あと少しだけだからね」
捨てゼリフを残し、リビングへと下りていく。
父親と母親の小言を聞き流しながら、慌ただしく箸を運ばせる優衣。
「ごちそうさま」
早送りで夕飯を済ませると、食器棚に走り寄り角砂糖をサッとティッシュに包んだ。ポケットに詰め込んで、陽太の部屋に急いで戻る。
オセロゲームの決着はついていたようで、おじさんと陽太は楽しそうに語り合っていた。
「何、話してんの!?」
「あっ、おじさん……。姉ちゃんには内緒だよ」
『アイヨ』
「感じ悪ーい! おじさん、もう部屋に帰ろっ」
『アイヨ』
優衣は、揃えた両手のひらの上におじさんをそっと乗せた。
「おじさん、おやすみーっ」
満足そうにおじさんを見送る陽太。
『ヨータ、お休み』
電気点けっぱなしの煌々と明るい部屋に戻り、おじさんを本棚の中にそっと下ろす。
出窓のカーテンを閉めながら、優衣は今日1日を振り返り話し始めた。
「もう参っちゃったよー。大谷がイケメンだなんて……」
『オータニは、イケメンじゃナイノカイ!?』
「まぁ、みんなはカッコイイとか言ってるけど、私はあんまり……」
おじさんは珍しく眼鏡をかけて、石鹸箱で作った机に向かっている。
「ねぇおじさん、聞いてる!?」
『キイテル、キイテル』
「さっきから、何書いてるの?」
『コレ、報告書』
「へぇーっ! 妖精の世界にもそんなものがあるんだーっ」
『アル、アル』
書き物に夢中になって、話を適当に聞いているおじさん。
優衣はゆっくりとおじさんに近付いていき、大きな声で呼んでみた。
「お、じ、さあーーんっ!!」
『ヒャーーーッ!!』
その声に驚いたおじさんは、3cmほど飛び上がった。
「あっ、ごめ、ごめんなさいっ」
笑いを堪えながら謝る優衣。
『脅かさないでオクレ!』
おじさんは、不機嫌そうに優衣を見た。
「じゃあ、私の話、真剣に聞いてよ!」
『キクヨ!』
ムキになって座り直すおじさん。
「だからね、結局、期待してた素敵な出逢いはなかったのよー」
『残念ダッタネー』
あっさりと話を終わらせて、再び書き物を始めた。
「そうだ! おじさんて妖精だよね?」
『ソッ』
ペンを走らせながら、また、適当に応えている。
「だったらさぁ、恋とかも自由に操つれるんじゃないの?」
『ソレは、ワタシの管轄ではないカラネ〜』
「かんかつ!? へぇー、役割とか決まってるんだぁ……。じゃあ、おじさんの仕事ってなーに?」
おじさんはペンを止めて、優衣の居る方に向き直した。
『ワタシは、心を逞しく成長させる妖精ダヨ』
「心を逞しく? なーんだぁ……、そんなのあんまり意味ないじゃーん! そうだ、恋愛関係に知り合いとか居ないの!? あの、魔法の粉とかもらえないの?」
『魔法のコナ? ユイは、面白い事言うネー。アーッハハーッ……』
おじさんは楽しそうに笑いだした。
「私がおもしろい? おじさんの方が100倍おもしろいでしょーっ」
おじさんに連られて、優衣もケラケラと笑いだす。
『愉快ダナァー、アーッハハハーッ……』
「なんだかよくわかんないけど、ちょーおかしくなってきちゃったぁー。キャハーーッ……」
苦しいほどに笑い続ける2人。
「キャッ……、あっ、そうだ!」
優衣は思いっきり笑いながら、ティッシュに包んだたくさんの角砂糖を取りだした。
『コーンナニ食べたら、太っちゃうヨッ』
「やだーっ、太ったおじさんなんてきもーいっ、キャハハーッ………」
お互いに違うツボにハマってしまった2人の笑いは、もうどうにも止まらない。
「もー、苦しいよー! おじさん最高‼︎ おじさん、ずっとここに居てねっ」
おじさんは、お腹を抱えながら頷いた。
(ずーっとだからね……)




