〜術師という名の生業は誰しも[3]〜
部屋を出て続く廊下の先には、いわゆるロビーといわれるフロアがあり、そこのソファーに腰掛けていた青年は彼女に気付いたようだ。
「あ、終わったんだ」
「ええ……」
今の今まで待っていてくれた彼に対し、お礼の一言もなく、スティアは疲れたといった様子で応える。
ジェイドは特に気にした様子もなく、優しく微笑んだ。
「お疲れ様。意外に早かったんだね」
「はっ……?」
さっきまでの眠気があるせいか、間の抜けた声を出す。
ーー早かったって……アレで?
「朝まで掛かると思ったから、さっき近くのPabに行って、二人分のお弁当を作ってきてもらったんだ。ほらっ」
言って、二人分の弁当が入ってるであろう紙袋を見せるジェイド。
ほんのりといい香りがする。
「あ、朝までって……そんなに掛かるわけ?この軍登録とやらは……?」
「俺の時が結構大変だったし」
彼女の言葉を待たず、ジェイドは続ける。
「検定だけで半日も掛かったんだから」
「…………」
(は……半日、デスカ……)
呆れてもはや言葉に出なかった。
「そうそう! まずはその剣の腕を確かめる為に、豆腐を切ってみろだとか、こんにゃくを斬ってみろだとか……」
昔話をしているかのように、彼は楽しそうに語り始めた。
まぁ実際問題、過去の話をしているのだが、
「ホント長い時間掛かったから大変だったなー」
彼の言う『大変さ』は、微塵の欠片も見えない。
むしろ『楽しかった思い出』と言った方が妥当か。
大体豆腐を斬って何になる⁉︎
「あ、それからあの時なんて……」
「で?」
溜め息混じりにジェイドの隣に腰掛けると、さもどうでもいいといった感じでスティアはその紙切れを差し出した。
「もらったコレは一体どうすればのよ?」
言いながら、ピラピラと紙切れをなびかせる。
彼女の認定証だ。
「要請とか何かあった時、すぐに取り出せるように持ち歩いてくれればそれでいい」
「って事は、原形は留めてなくてもいいわけね」
「まぁ、破いたり文字が読めなくさえならなければ、ね」
「何か結構適当な扱いなのね」
言い終わるや否や、彼女は手に持っていた紙切れーーもとい、認定証を四つ折にし、無造作にポケットの中へとしまった。
彼女にとって、こういうものの価値にあまり関心はないらしい。
『適当な扱い』が、スティア本人にも当てはまっているという事に、彼女自身気付く余地もなかったが。
「額に飾って家宝にしとけ、なんて言われなくて良かったわ」
「や、それはないから」
スティアの素敵な例えに、ジェイドは微笑って答えた。
「認定証はつまりは軍登録した“証し”みたいなものだから。常時持ってなくちゃ意味ないだろ?」
「まぁ……それもそうね」
もっともである。
ぱっと見、軍登録してあるかどうかなんて外見だけで判断出来るわけがないのだから、証明書は常備しとけ、という事か。
IDカードか何かにすれば、持ち運びも便利そうなものだろうが……
(ホント、幼稚な発想よね……)
スティアは心の中で小さく溜め息を吐いた。
「それはそうと、そろそろ寝床に就きたいんだけど……」
と、小さなあくびを一つ。
「あぁ、それもそうだな」
彼女の言う通り、もう大分夜更けである。
夜更かしは美容の大敵でもあるのだが、そこは敢えて口にはしない。
そんな事よりもむしろ、今日は一日にいろんな事がいっぺんに起こった日であるので……
彼女としては何よりもまず体を休めたい、といったところか。
「さっきお弁当を作ってもらってる時に、一緒に宿も予約してきたから。今日はそこで休もうか」
「あら、意外と気が利くのね。それならさっさと……」
言いながら腰を上げたその時だった。
「うわぁーいッ☆」
この時間帯と、そしてこの場所に思いっきり不釣り合いな声が、フロア中に響き渡った。
「……っな……⁉︎」
突如として響き渡った甲高い声に、思わず前にこけそうになりながらもそれを必死で堪える。
(な、何事……?)
が、少しよろめいてしまった。
スティアはその声の主の方へと首をギギィっと回して目をやった。
見れば、本当に場違いな背格好の少女が、こちらに向かってスキップしてくる。
(す、すきっぷって……)
顔が引きつるのを堪える気力も、もはや彼女には残っていなかった。
「合格!合格ですよ!このあたしが合格するなんてッ! はあぁッ、占いやってて良かったのです、カンドーです☆」
「あれ? この声……」
呟くと、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらもうそこまで来ている少女の姿を、ジェイドは間近で捉えた。
「あ、もしかして……」
「ほりょ?」
スキップを終えた少女の目にも彼の姿が映り、黒色の瞳をぱちくりと見開く。
そして――
「「あぁーーッ!?」」
本日再び。
二人の重なった声が館内を占領したのも束の間。 次々と会話が織り成されていく。
「ジェイド様? ジェイド様ですよねッ?」
「リリィか?」
「お久し振りです、ジェイド様ッ☆」
「おぉ~、やっぱリリィか。ホント久し振りだな。元気にしてたか?」
「はいッ、それはもちろん☆」
言って、少女ーーリリィと呼ばれた彼女は満面の笑みで頷いた。
どうやらこの二人は、以前からの顔馴染みなのだろう。
感動の再開。
スティアはソファーに再び座り直し、二人のやりとりを遠巻きに眺めていた。
「あたし、今朝から王都に試験を受けに来てたんですけど……」
そう言いながら、スティアの方に視線を向ける。
「えっと、もしかしてお姉さんも今日合格した方ですか?」
「え?」
やたらと威勢のいい声で尋ねられ、初めて自分はあまりの眠さにかなりの無愛想になっていたと気付く。
「あ、紹介するよ」
言って、ジェイドが間に入る。
「今日たまたまBarで知り合ったスティア。で、こっちが……」
「はいッ。初めましてです! あたし、本日付で占術師になりました、リリィって言います! よろしくお願いします、スティア様☆」
(さ、様って……何?)
元気良くお辞儀をすると同時に、その少し短めの黒髪もさらりと揺れる。
そして手を差し出す少女に、
「よ、よろしく……」
スティアはほんの少しだけ苦笑する事しか出来なかった。
そう。
ほんの少しだけ……