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 勢い削がれて、物言わぬジルに興味を無くしたのだろう。

 エルヴンともう一人の女は、続けていた話に戻った。

「あれは、エヴァノアじゃない」

「それはとても、残念です。私たちは、彼女のサポートを望んでいましたのに、」

 女は両手をおろして、大げさな動作で首を振った。

「もう、あまり猶予もないというのに、とても、それは残念ですね」

 落胆の表情を作ってみせて、女はなおも募るように、エルヴンを見上げた。

 散瞳した瞳の奥から、ジジっと、微かなオペレーティングノイズがする。

 離れていたジルからすれば、まさしく人間の女性にしか見えない容姿だが、三百年の付加による綻びは所々、女を苛んでいた。制服も。淡いベージュスーツは元はもっと濃い色合いだったのだろう。日に焼けて脱色がすすんだのだ。

 受付のブースに取り付けられたパネルが、それを物語る。

『ルプラス研究宮、初年度。モデル:ソフィア誕生』

 目の前の女とそっくり同じ顔がパネル上でバストアップされている。それにジルも気づいたのか、あっと小さな声を上げた。

 エルヴンは、ジルを横目に、女に問いかけた。

「エヴァノアから大方の事情を聞いている。今代のエヴァノアに救援要請をかけたのはお前か?」

「今代の、という意味が、理解できません。申し訳ありません。ですが私たちは、ずっとサポートを求めていました。アンプランルの閉鎖からずっとです」

「猶予がないというのは?」

「現在、モデル:ソフィア以外の施設員は全て、機能を停止しました」

「お前一人か?」

 否、と女は胸のネームプレートを指した。どこか見覚えのある赤い首紐を取り付けたカードだ。

「私はセカンド。あと四人います。それぞれ、ファースト・エイト・ナイン・ツエルブ。担当区画を決めているので、私達が直に会うことはありませンが。私達のことは、皆ソフィアと呼んで下さい。それが名前です。個体番号で呼ばれることは、ハラスメントと認識します」

「では、ソフィア。お前は外に出ることができない個体か?」

 その質問に、ソフィアは考えるしぐさを取った。質問の意図を測りかねているようだ。

「……そのようなプログラムはされていません」

 はっ、とエルヴンが皮肉気に笑った。

「ならば、さっさと逃げ出せばよかったものを。他のソフィアもそうか? 三百年もあったのだから、他にも人形たちがいただろう? それこそ地下ホームに飼っている魔導人形たちのように、全員が同じ思考タイプではあるまいに」

 無茶なことを言う。ジルは心の中で呟いた。

 なんとなく、エルヴンの言いたいことは分かる。

 地下で出会った鉄剥き出しの人形たちと違い、ソフィアはある程度、思考にゆとりがある。おそらくは心と言えるべきものが芽生えるように、組まれたのだろう。より人間に近い個体だ。それなのに、アンプランルが閉鎖したからといって馬鹿みたいに三百年もの間、大人しく閉じ込められる道理はない訳で。エルヴンはそこが気に障ったのだ。

 カード一つのセキュリティしかない素通りのホームを思えば、プログラムで縛られていない筈のソフィアが逃げ出せないとは思えない。もっとも、攻撃型の鉄塊ひしめくメトロに潜っていれば、脱出は到底不可能だったとは思うが。

 磨き上げられた床、綺麗なごみ一つない噴水。天井から垂れ下がる様な蜘蛛の巣さえない。ジルは二人からさらに離れて歩き出した。

 エントランスの地上の出入り口もすぐそこにあった。地下ホームへと続くエスカレータは地上出入り口にコの字で背を向けていたのだ。まさに目と鼻の先だった。

 ポートを探すまでもない。扉の内外に改札のように幾つも取り付けられている。

 バッグをがさごそ、見つけたカードをタッチ。

 ピンポーン、の後にガコガコっと若干寄る年月を感じさせながら、扉は開いた。

「わっ、開いたっ」

 得意満面でエルブンを振り返ろうとすれば、目の前に壁。しまった……。

「ジールぅー、」

「ぐぇぇ、こ、この身長差でヘッドロック?! ギブっ、ギブ!」

 宙に浮いた足をばたつかせ、ジルは叫んだ。というか、ソフィアに向けてエルヴンが考えていることを実践して見せただけなのに、なんで怒られねばならないのか?! この理不尽魔王っ。

 腹が立つので、ジルもここぞとばかりに蹴りつけた。それがどうにもいけなかった。

 至近距離で、ちっと聞こえた舌打。ゾッとするくらい怖い囁きが耳に届いた。

「いっぺん、落ちてみるか?」

「ぐ?! ――っ」

 更に圧迫が強まる。やばい顔色超やばくなってる気がする。

 けれど、ジルが意識を手放すことはなかった。彼らの行動を把握し、ソフィアが施設員として迅速にしかるべき行動をとったからである。

「屋内での、暴力行為はお控えください」

 エルヴンの腕をこじ開けて、救いだされたジルは虫の息で床にへたり込んだ。

「助かった、ありがとう。ソフィア」

「お怪我はありませんか? 研究宮内の医務室は、すでに破壊されているため、ご利用できません。そのため、もし怪我をされている場合は、速やかに研究宮を出て外部での医師の受診をお勧めします」

「はは、やっぱり外へは簡単に出られるんじゃないですか」

 引きつり笑いでジルは、伸ばされたソフィアの手を取った。

 見た目は華奢な女の体だ。ジルよりこぶし一つ分くらい背が低い。握った手は本当の人間みたいに柔らかかった。

「あの、お客さま。申し上げにくいのですが、モデル:ソフィアへのセクシャルな行為は女性といえども、例外なく禁止されております」

 ソフィアが戸惑いの目でジルの挙動を見つめた。

 面白半分で、ジルはあちこち触り続けていたのだった。特に顔を。頬と唇の赤みはメークだと思っていたが、実際なぞってみると元からの色味なのだと分かる。

「お客さ、m」

 口をこじ開けると、綺麗な歯列。ちろりと赤く蠢く舌もある。驚いたことには

「すごい、唾液まである」

 指が濡れる感触に思わず、前のめりで顔を近づけてしまった。

 楊枝か綿棒があれば、頬の内側をこすりとって、是非ともDNA鑑定したいくらいに、ソフィアは完璧だ。 きっとDNAとれるんじゃないだろうか。絶対あるだろう、これは。

「ふご、おひゃふ、ひゃま?」

 一方のソフィアは大いに困惑していた。

 過去にもモデル:ソフィアの人間味のある容貌に驚き様々なリアクションを取る人間はいた。が、口に手を突っ込まれ、あまつさえ嬉々と覗きこむなんてことをされたのは、三百年と少し生きてきて初めてである。自衛行為に出ようかと両手でジルをつかみかけ、先ほどまで彼女が暴力行為で体を痛めていることを思えば、思うように防御に出れないでいた。

 ソフィアはエルヴンに目を合わせた。

 エルヴンは肩を竦めただけだ。先ほどとは違い、モデル:ソフィアへの恥辱行為を咎めようという様子は皆無。そんな?! とソフィアは瞠目した。男の中で、どういう線引きをしているのか。まったくソフィアには分からない。

 いっそ、彼を止めてしまった自分の数分前の行動こそが間違いだったのではないかと、自問自答を繰り返す。

「ジル、その辺にしておけ。まだ続きがある。もう話の腰を折ってくれるな、お前は」

 ぱしんと、エルヴンがジルを叩いたのは、それから更に数分後。

 はーい、とジルのお返事が良かったのは、思う存分ソフィアの口腔内を蹂躙した後だったからだ。

 ソフィアは思いっきりジルから距離を取って、いうなればエルヴンの背に逃げ込んだ。

「あー、ごめんなさい。ソフィア? 悪気はなかったんですけど、ね?」

 ソフィアはブンブンと勢いよく首を振った。すっかりおびえ切った自立人形は、今生で一番人間味のある感情と仕草でもって、ジルを否定したのだった。

「ジル、貴女はとても、ルプラス研究宮にふさわしいお客様とは思えません。直ちに、お帰りを願います」

「そうしたいのは山々なんですが、エルヴン卿―」

 ジルの視線を受けて発せられたのは、舌打のみ。

「て、ことで駄目みたいですね」

 はぁぁー、とジルはこれ見よがしに溜息をついて見せた。

 ソフィアの構造はほぼ掴めた。もうジルには、ソフィアへの肉体的な好奇心は失せていた。

 あとは、二人の話の邪魔にならないように、荷物と一緒に脇で座っているだけだ。手近な椅子に腰かけ、改めて、ホールを見渡す。

 いつ客を迎えてもいいように、ごみ一つない清潔さを保っているのは魔導技術を用いた空調と、ソフィアの働きがあってのことだと分かる。

 この自立式が、アンプランル閉鎖から約三百年ほど一度も外に出なかったかは不明だが、少なくとも外部に助けを求めながらも、その間に逃げるなどは考えもしなかったその理由。大体想像はつく。

「私たちは、研究宮外へ出ることは戒められていません。ですが、アンプランル研究宮建立によって、プログラムには施設の維持の他に、ラストの監視が新たに義務付けられました。ラストというのは、」

 知っていると、エルヴンもジルも頷いた。

 ミズガルズ王国内、ルプラス研究宮に引き寄せられるように墜落した宇宙望遠鏡だ。

 当時、魔導が全盛期だったミズガルズ王国を脇において、世界ではすでに科学が圧倒的に幅を利かせていた。技術にものを言わせて、宇宙産業という言葉がちらほら夢物語ではなくなりつつあった時代だ。まだ見ぬ異星人、異星への旅行を夢見た人類は、手始めに宇宙望遠鏡を幾つも打ち上げた。

 現在にも名が残っている有名な宇宙望遠鏡が一つ。そのシリーズこそハプス宇宙望遠鏡シリーズ。

 ラストは、自身の墜落をもってしてラストと名付けられてしまった、ハプスシリーズの最終機だ。


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