5
途中に設けられたホームで幾度めかの休憩をはさみ、ジルはベンチに寝っころがっていた。
エルヴン卿が言うにはもう夜更け。延々、暗闇行脚なのでさすがに気が滅入ってくる。
「今、どこら辺なんです」
絞ったタオルを顔にかぶせて、目をつぶる。
ありがたいことに、水道が生きていた。赤さびた泥のような水だったが、ジルが持たされたボストンバッグの中身を使えば、たちまち真水に変えることができる。エルヴンがさらに冷却の魔術をかけてくれたので、ひやりと気持ちいい。
アウトドアには本当、便利な男である。エルヴン・ガンダルヴァとは。
「エルヴン卿?」
返事がない。
起き上がると、カンテラの明かりだけがぼんやり揺れていた。
無言でジルはまた横になった。手ぶらでそう遠くへは行くまい。
今のうちに休もう。眠ってしまえばいい。エルヴンは捻くれてはいるが、寝た子を叩き起こす真似はしない。
少し、昔の事を思い出す。
ジルが屋敷にやってきたばかりの頃のことだ。まぁ、可愛くない餓鬼だった。
自分でも認めるが、敵意しか持ってなかった。エルヴンには散々かみついて殴り殴られられる、カールは、小さい自分にはよくわからない存在だったけど、エルヴンの仲間だと思ったから何を言われても始終、不機嫌な面を晒してジルは睨み続けてやった。
みんな死んでしまえ。いなくなってしまえ。ちっちゃなお姫様もどきは、何度喚いただろうか。やったことのない勉強ばっかり。もういやだと、無力を呪い泣きじゃくっても、逃げる場所さえ塞がれていた、あの頃。
ジルは静かに、ゆっくりと肺いっぱいになるほど空気を吸った。それから、息を止めるほど長い時間をかけて、昔の思い出と共に蘇った自分の感情を押し流した。
自己防衛だ。それ以上、深く考えればもっと別の、思い出したくないものが檻からぬるりと出てくるかもしれない。
「嫌だな、ジル、私はそんな弱くないだろ?」
自分自身の気持ちにまで疑いを持ってしまう自分に、自嘲する。
家に帰ったら、カールと七歳児とあと猫に思いっきり頬ずりしよう。お土産を渡さなきゃ。7歳児と猫は食べ物がいいかな。カールにはどうしよう? 家を守っているんだから、何か特別なものがいい。何が好きだっけ。喜ぶ時、片方だけ眉尻を下げるカールの顔は大好き。お腹いっぱいで寄り添って寝る7歳児と猫の太鼓腹も大好き。沢山沢山大好き。
だからそれ以外は考えちゃ駄目だよ。ねぇ、ジル?
本格的にうつらうつらしかけた時、エルヴンが戻ってきた。
目を開けなくとも、身に着けた金木犀の香りで分かる。
エルヴンがじっと、ジルを見やった。傍までよって様子を覗き込んでいる。
なんとなく視線を感じはするが、ジルは起きたくなかった。目の腫れはもう引いているだろうけど、すぐ出発するとか言われたらたまったもんじゃない。
一昼夜歩き続けて、今日はもう無理です。オーバーワークです。
「飯にするか?」
ぐぬ。ぴくっと頬が動く。タオルを被せといてよかった。
トラップを使ってくるとは卑怯です。
答えないジルにちっと舌打ちして、エルヴンが離れて行った。リュックの中身を漁っている。ボストンバッグにはギュウギュウ詰の盗掘道具を、紙や食料は汚染されやすいのでリュックに分けていた。
食料についてはジルが選んだ。
魔術をつかう人間は、食事に対するスタンスが基本的に常人とはかけ離れている。人並に好き嫌いはあっても、本当にお腹が空けば、毒もでない限り、食えないものでもどうにかして食えるようにしてしまう腕がある。手ぶらでひと月はサバイバルできるエルヴンに、食材の選別を任せることはできなかった。携帯性を最優先されてティッシュや革靴の皮ばかり食べさせられる羽目は避けたい。
以前、彼に同行したカールに旅の話をせがんだとき、他の話題であれば鉄仮面を崩さず淡々と打ち明けてくれる彼女だったのに、ご飯のエピソードだけは頑として閉じた口を開けなかった。あの心底うんざりした表情をジルは忘れたことがない。二の舞にはなりたくない。
エルヴンはキャラメルと固形スープを取り出した。
ジルはなるべく息を殺して、エルヴンの反応を伺う。何のリアクションもない。普通に食べているということならば、特にジルに特筆すべき感情はないのだ。
ああ、でも自分もお腹が空いてきた。起きてしまうか。欠伸をするふりをしてベンチから体を起こすと、足元に湯で溶かれたスープ。キャラメルもある。
ジルは苦い顔をして、エルヴンに口をとがらせた。
「気づいてたんなら、とっとと起こしてくださいよ。とんだ茶番じゃないですか」
頑張って演技したのを見抜いた上で知らんふりとは、本当に性格が悪い。
エルヴンはカンテラの明かりで、何か細工をしていた。
マグカップを両手にジルが背中越しに見下ろすと、見覚えがある琥珀色。
フードを外したエルヴンの後ろ髪がまた不自然に刈り込まれていた。
「それ……」
二の句が継げないジルに、エルヴンが完成品をかざして見せた。
研磨したように丸みを帯びた琥珀色の石。あらかじめ持っていたものかそれも作ったのか分からない鉄製の台に嵌められ、首飾りになっていた。元は捻くれ魔術師の頭髪とは思えないほど、澄みとおった温かい眩さに思わず手を伸ばしていた。
本物の宝石のように固いが、どこか柔らかさを感じる手触りは琥珀そのもの。
「やらんぞ」
「いりませんけど!」
つっけんどんに返した。エルヴンがもっと丁寧に扱えとか小言を愚痴ったが、ジルはつんとそっぽを向いた。
欲しいなとか、断じて一瞬でも思ってはいない。ええ、まったくほんの少しも。何も言ってないのに、とんだ誤解をされては困る。
「欲しくないのか?」
伺うように、エルヴンが眉を寄せた。やらんと言ったのに、どうしてそういう事聞くのか。
「組成は本物の琥珀と同じなんだぞ?」
「ってことはやっぱり、材料はエルヴン卿の毛髪なんでしょう? なんてヘビーなアクセサリ作ってるんですか。女子受け超悪いですよ、それ」
「そ、そんなにか?」
エルヴンの口がへの字になった。割と残念そうである。
あれれ?
ため息交じりに人工琥珀をぼろ布で包みしまう、その肩がストンと落ちているように見えた。
いつになくしおらしい。珍しいものをみて、ジルはなんだか落ち着かなくなった。
食べ物にでもあたったか? マグカップのスープを一舐めしてみるが、うん、多分普通の味。食あたりではないようだ。
とすれば、やっぱり気を遣って何か聞いてあげた方がいいんだろうなぁ。とは思うが、今までもっぱら相談をする側で、される側に回ったことのないジルには難題だ。
当たり障りない言葉が思いつかない。
さらに短くなってしまった明るい茶髪に、不自然なくらい生温い態度。
うー、もやもやするなぁ。
女が髪を切るのは意味深だが、男が髪を切るのもまた意味深である。
「ナンデ髪切っちゃったんデスカ?」
「あぁ?」
しまった、直球過ぎたかもしれない。いたたまれない。
「い、いきなり旅先で切るとか、何かあったんじゃないかと……」
「ああ……、まぁ、あったな」
「ほぉー、」
まさかの肯定。物憂げに見えなくもないエルヴンに、どうしようとジルは焦った。話を振った以上、これはつっこんだほうがいいのか? お姉さんっぽいことなんてしたことないから勝手が分からない。
目をキョドキョドさせるジルを知ってか知らずか、エルヴンが盛大なため息をついた。
「線路の先まで行ったら、先住民にやられた」
「ですよねー、」
なんだ、とジルは安堵した。
やっぱりエルヴンはエルヴンだ。どうも感傷的になってたから、おかしなフィルターで彼を捉えてしまったに違いなかった。
そう思って笑おうとしたジルは、だけどんんん? と首を傾げる。
「……ワンモア、プリーズ」
「先住民にやられた」
「プリーズ。ワンモア、」
「やられた」
「ふぁっ!?」
「モグラが生きているからトラップくらいは予測してたんだが……。さすがに魔導人形まで稼働しているとは思わなかった。粉々にしてあるからもう襲ってこんだろうし、安心しろ」
ジルはまじまじと、エルヴンの背中を見つめた。なるほど。フードを外しているから頭が見えていると思ったが、フード自体が裂けてなくなっているのだった。
背後から首を狙って一閃とは、ゾッとする。
「メトロとか、今回は安全なダンジョンだと思ったのにっ」
「お前、昔のメトロ知らんだろう。無賃乗車を取り締まるために、人形が鋏もって追いかけてくるようなところだったんだぞ。当時は魔術師がある程度残ってたから、対抗するために火炎放射器とか銃剣を持たせたり、爆弾はっつけた自爆用の魔導人形もあってだな」
「嘘! なんでそんな危ないルート選んだんですか? スカポンタンっ」
「反体制派のアジト横切るより危険は少ない。仕方ないだろう、人形が暴走しているのは予想外のアクシデントだ。だいたいお前がピーチクパーチクうるさいから、なるたけ人知れない道程を選んでやってるというのに」
「私のせいっていうんですか?!」
信じられない。この上司、本当に信じられない。
わなわな唇が震えた。ちょっと今から肉弾戦するかもしれない。拳一発でも入れば、きっと、絶対すっきりする。相手は手負いだ。疲労の度合いはジルよりも大きい。
「もう、はぁああああ?」
絶対自分が有利だと確信して、ジルは挑発的な態度に打って出た。
が、エルヴンは一言、天井を指さして
「見ろ」
そう告げる。
「暗くてみにくいが、マンホールの蓋があるな? その上は反体制派がたむろする、まさにど真ん中だ。お前がどうしても、別ルートがいいというなら何時でも、そこから出してやれるがどうする?」
「……ねぇ、エルヴン卿。明日も早いからもう寝なくちゃいけませんね。お腹もいっぱいだし、ジルはすっごく眠たいです。お先にねんねしますね。おやすみなさーい」
惨めな敗北に、ジルは涙を飲んだのだった。