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ミガ公国、旧称ミズガルズ王国。二百年前、リンヒェル帝国に併合。王家排斥し、現在はリンヒェル帝国本国より、《六家》の一つ、貴族ウルドバ・シジム老がミガ大公位を賜り、公国領として治めている。
四季の差が激しく、間断なく精霊が行きかうため、かつては魔術師の生みの大地ともいわれるほどに、精霊素を糧とする魔法・魔導技術が栄えていた。が、三百年前にハプス宇宙望遠鏡シリーズ、ラストがミズガルズ王国内に墜落。当時、最新魔導施設であったルプラス研究宮が破壊されたのを皮切りに、奇病の発生・国内の魔術師たち7千人余りの一斉消失事件が重なり、王国は瓦解。
当時隣接していた公国領を持つリンヒェル帝国が、自領への難民増加と治安悪化の余波を危惧し、緊急支援を開始。百年間のウルドバ家による代行統治をおこなった末、有名無実である王家を排斥し、名実共にリンヒェル帝国領として併合された。
以後、魔術大国としての名は廃れ、ウルドバ家主導での農業・観光立国としての再生を果たした。
リンヒェル本国の貴族の別荘や保養地も多く比較的治安もいい。空港で助けてくれた娘たちのように同性だけでも安心して旅行できると名高い公国になった。
「それが、ここ数年でまた情勢が変わろうとしている」
エルヴンは覗いていた望遠鏡をジルに投げた。
師に倣い、ジルは片目を長い筒の端に当てた。
丸く切り取られた視界に映るのは、蛇の紋章。旧ミズガルズ王国の国旗、四匹の噛み殺しあう蛇だ。
「見えたか」
ジルは頷いた。
「反体制派が盛り返しているってのは本当のようですね」
「今のところは目立つ衝突を起こしてはないから、ミガのじじぃも静観のポーズを崩していないがな。つってもこの間、本国に突かれたおかげで緊急安全宣言をだしたんだったか。反体制派のやつら、二百年前排斥されたあとに行方をくらました王族の末裔を引き込んだらしい。帝国とウルドバに対する格好の大義名分を持ってあそこに居座っているわけだ」
表向き、安全で暮らしやすい穏やかな国と評価されるミガ公国であるが、帝国の統治に伴い、それまでの魔術文明の全否定と帝国式文化、価値観を押し付けられたことに反発する人間も多い。特にリンヒェル本国民の流入により、土着のミガ公国民の既得権が侵されたと、旧王政下での権力者達は口やかましく罵っている。
ジルは彼らをミガの膿と捉えていた。ウルドバ家を三百年もの間悩ませている、ミガの膿であると。なぜなら旧王政の権力者たちも時勢を読むに長けたものや、確かな信と実力のあるものは、素早くウルドバの臣下に下っていたのだ。中にはウルドバ・シジム老の眼鏡に叶い、共にミガ新体制の立役者として功績を残した者も多い。
今、ジルが眺めている反体制派はつまるところ、面子や気位ばかりが高くて時代を読むことすらできずに落ちぶれ果てた、ミガの元貴族たちである。
「邪魔ですね。でも、突っ切るわけじゃないですよね?」
「ああ、さすがにお前ひとり投げ込んでも捕まるだけだろう」
その辺に手投げ爆弾をぽいっと投げるような物言いで、エルヴンは面倒くさそうだ。
自分たちの目的地は旧アンプランル研究宮遺跡。三百年前のルプラス研究宮破壊の後に急遽建立された、ハプスシリーズ・ラスト緊急対策魔導施設。数年後に魔導師の大量消失事件が起きたためか、すぐ閉鎖されている。ゆえに稼働時期が極端に短い。現代では、名前以外の情報がほとんど失われた、秘する遺跡である。
ジルは望遠鏡を上方に傾けた。
数千本に及ぶ、森と呼ぶにふさわしい巨大な針の連なり。それらが突き立つ床は内部が丘のように盛り上がり、ドームを形成していた。高純度の水晶でできているだろう針達が、曇り空の合間のわずかな陽光に照らされ、ギラリと怪しげに光っている。旧アンプランル研究宮遺跡の象徴たる姿をして、地元ではハリネズミと呼ばれているそうだ。
ミガ反体制派は、その旧アンプランル研究宮遺跡を背にして、一帯を陣取っているのだ。
どうやって突破する?
ジルはいくつかの案を巡らしては、唇を噛んだ。
草地の上というのに、まう砂埃が顔をぴりぴり打つ。
ささっと済ませて、さっさと帰りたいのに、いつもこうだ。エルヴン卿ってば、どうしてこう厄介なことに首を突っ込むのか。
いや、エルヴンではなくて、あのエヴァノアだとジルは、面倒くさそうに溜息をついた。
そのとき、ふっと視界がぶれた気がした。
くらりと眩暈のような鈍い感覚が数秒、ジルを苛んだ。
とっさのことに、思わず両膝をついてしまう。何?
ちっと、頭上でエルヴンの舌打ちが聞こえた。
微動だにしないローブ姿で、エルヴンは腕組みしてちらりと、ジル、ではなく更に下の地面を見下ろしていた。
「地震、ですか?」
揺れが収まった後、呆然とジルが呟いた。
振れ幅はそれほどでもない。周囲の景色にも異常など見られない。旧アンプラル宮を称する巨大なハリネズミは変わらずぎらついた輝きを放っているし、反体制のテントは風に大きく靡いているが倒壊もなく、反対側のジル達の背後も白亜の町の連なりに欠けや崩れはなかった。それでも、あまり経験することのない現象にジルは驚いていた。
「まだ生きているとはな。いや、ひょっとすると使えるか……」
「なんですって?」
「モグラだ」
なにかを見出したように考えにふけるエルブンから、予想もしない答えが返ってきた。
「モグラぁ?」
一瞬何を言っているんだろうと本気で首をかしげてしまい、拳骨がジルに落とされた。
「お前のちょうど真下に巣が通っている。一匹デカいのが通過したようだな」
「……えー? あだっ。ひどい、エルヴン卿っ また殴ったっ」
「おい、そのままそこにいたら、陥没して地面と共に落ちるぞ」
げ。ジルは飛びずさった。
身を翻すエルヴンにくっ付いて、着ぶくれした黄色の服でまるでヒヨコのようにひょこひょこ、滑稽に歩く。
ジロリとエルヴンが睨んだが、命のほうが拳骨より重い。しらん振りしてなるべくエルヴンの足跡を踏むように移動する。もちろん、落ちるならば道連れにするつもりで両手はしっかり彼のローブを捕まえていた。
「お前は本当に、可愛げがないな」
あからさまな意図に、エルヴンがちっと舌打した。
「師匠譲りで鼻がお高いでしょう?」
「全くだ」
「ふふん。 ⁈ ――っ、――っ、―――っ‼」
「新しい技を伝授してやる。嬉しくて声も出ないか? いやはや、師匠冥利につきるなぁ」
片手でアイアンクロ―をかましたまま、笑顔で引きづるエルヴン。地味な顔でも怒ると、意外に綺麗で壮絶な笑みを浮かべることをジルは知らない。ぎちぎちと軋む頭蓋骨の痛みに負け、ジルが両手を放すまで続く、みみっちい小競り合いであった。
手形がうっすら残る顔をジルは拭った。
エルヴンはいない。旧アンプランル宮にアタックするための荷を、一人、宿にこもって選り分けているのだった。そちらは盗掘に関して素人なジルが口を挟めるものではなく、ジルは手持無沙汰で町を散策していた。
ミドガルド空港より、南の海岸沿いにフェリーを乗り継ぎ、ミガ国の東寄りにある河口から大運河サールセンを上流した途中の町。
上下流の主要な観光都市の間に挟まれているせいか訪れる観光客は少ない。が、中継地としての機能が重視されているのだろう、土産物屋はないが、その分、地元民の居住を支える物資は豊かなようだ。運河沿いには主だった国内外の企業倉庫、少し内部を歩けば小売りや薬局、電気店・通信会社が軒を連ねる商店街が広場を囲んでいた。
広場からさらに内陸、外へと歩けば、町を出て海原のように広大な農地が広がる。湿気の多いミガの夏季に適した水田がその殆どを占めている。所々、合間に野菜畑があり、緑色に埋もれるようにして赤や紫の色彩が混じっていた。近隣の都市に供給されているのだろう。
農地の向こう側には一段窪んだ大地、放棄された荒地だ。そこからジルたちが伺ったように望遠鏡越しで覗けば、ギラギラが見える旧アンプランル研究宮遺跡が、朧に佇んでいる。
頭になんとなく地図を思い描きながら、ジルは商店街までもどる。
黄色いバルーンチュニックの下はピッチリした白のスキニ―、ブーツは登山靴。長袖のチュニックには幾つもの内ポケットがあり、財布やティッシュ、通信機の類など色々なものを詰めているから、必然胴回りが着ぶくれしていた。
持たされるエルヴン卿の荷物が多くて、悲しいかな。自分のカバンなど持つ余裕がジルの両手にはないのである。
ガラスのウィンドウに陳列された、ピンクやブルーのポーチ、ハンドバッグの自己出張が目にまぶしい。
ジルもそれなりに、年頃の娘の物欲というものを持ち合わせているが、駄目だと自分に言い聞かせるしかないのが辛い。辛すぎて瞳にうるうる涙がたまる。
「あんた、あれ欲しいの?」
突然、息が振れるほど間近に人の顔が寄せられて、ヒヤッとした。
凍りついたまま、ジルは視線だけを走らせる。
「……」
上等な衣服に見覚えがある。つまりそれは、
「やあ♪」
ぎ……
不自然な笑顔を張り付けたジルを前に、男はニヤニヤした。
「ぎにゃぁあああああああ⁉」
ダッシュだ。猛然ダッシュ一択だ。
ジルは逃げた。
あまりに本気の逃走振りに男が呆気にとられた隙に、ジルは街道を走りきった。
「ぜぇぜぇ、うるせぇぞ」
宿屋まで全速力で駆け戻ったジルの荒い呼吸に、ちっとエルヴンが舌打ちした。
勢いよく扉を開けた際に風圧で飛び散った資料が散乱するなかで、壮絶に凄まれながらも、ジルは特に罰の悪い顔を作るでもなく、信じられないといったようにエルヴンを凝視した。
「かえる……」
「ぁあ?」
「―える。帰る! エルヴン、帰りましょう。ちょっともう洒落にならない。いやもう本当に、危険です危険ですよ嫌な予感しかしません不吉ですおうちに帰るどうしよう、ちくしょうケチらずに高い厄よけしとくべきだったわ! ああ、いやいやいやいや! 駄目だ無理今回はまじ無理です逃げます」
どっとジルは喚いた。
人間本当に危機が迫ると、表情が消える。真顔で早口言葉を呪文のように唱える異様な様子の少女ジルに怪訝にエルヴンが片眉を寄せた。
好きに喚かせておけば落ち着くと思ったのか、しばらく眺めていたエルヴンだったが一向に取り乱したジルが元に戻る気配はなかった。ゆえに、ついに鬱陶しくなったエルヴンは自慢の長い足をもってして、ひょいとジルに足払いをかけるのだった。
ふごっと、如何ともしがたい擬音と共に、ジルはつんのめって転んだ。
そのうつ伏せになった背中に、べしべしべしと分厚い本が積み上げられる。
「重っ。死ぬ、ちょ、」
窒息しそうなほど、本に押しつぶされてジルは我に返った。
慌てて、師の攻撃から這いずって逃げ出すと、エルヴンは残念そうに残りの本をテーブルに戻した。
なんで残念そうなんだ。意外と積み木のように楽しかったのだろうか。
「明日は早い。さっさと休め」
しっしと追い払う素振りで、エルヴンはまた道具の選別作業に取り掛かった。
「エルヴン卿、聞いて下さい。この町にリンヒェルの監察官がいます。空港であった、ほら、あのグラスとかいう」
「気色悪い下種か」
「はい!」
床に両手を付いたまま、ジルは大きく頷いた。一応は爵位持ちで年頃の娘が、床に平然とうずくまるさまは何というか黄色い服のせいでデカいヒヨコにしか見えない。酷く不格好であるが、そのことに頓着する二人ではなかった。
「そりゃ、いるだろうな。反体制派の巣がすぐそこだ。本国の連中が監視するために此処に逗留を決めたんだろう」
あっさりと肯定され、ジルは肩透かしを食らった。よくよく考えれば確かにその通りだ。
リンヒェル帝国、監察官。帝国内の軍部上位組織。名の通り、帝国内のあらゆるものを監察するのが職務だが、一般に世間から監察官と呼ばれているのは、帝国内の治安部隊だ。
ミガ領や西のハルラート領のように、リンヒェル帝国を形成してかつリンヒェル本国領ではない対外領域国の監視・時には軍事手段を用いた治安粛清を行う。要はリンヒェル本国に不穏な影響を及ぼしかねない外国領を押さえつけるために拵えた部隊であった。
彼らが、ミガ領にいるならば、目的は
「あ、ミガ大使の緊急安全宣言か、」
「反体制派の増大による治安の悪化を本国領から指摘されて、慌ててこの国のお偉いじじぃが本国の意見に対する反論文書をだしたからな。本当にじじぃの言うとおり、ミガの治安がいいか。反体制派との衝突の危険がないか。とにかく本国領までミガの余波が及ぶ前に粛清するか否かの判断をつけに来たんだろうよ」
「なんだ、私はてっきり、」
言い淀んで、気まずげにジルは頭を掻いた。
「てっきり?」
エルヴンがジルを振り返った。先を促されても、ジルは曖昧に言葉を濁すしかなかった。
空港でひと悶着した、彼らを思い起こす。
頑強な、いかにも武力に秀でているであろう男たち。足音がしない者もいた。存在が曖昧な者も何人か。しかし誰もが、同じく上等なシャルワニに身を包み、全員にリンヒェル本国の貴族称号があった。
「エルヴン卿―。盗掘って、ばれたら」
「未遂なら禁錮刑」
ことさら未遂のフレーズをエルヴンは強調して答えた。
「幸い、本国の連中もミガの連中も互いのにらみ合いに忙しい。三百年も居座るハリネズミなんざ、今更気にしている暇はないさ」
「でも、反体制派が旧アンプラル研究宮遺跡のすぐそばで陣取っているじゃないですか。私たち、そこを横切るんですよ?」
「だから?」
エルヴンが睨んだ。
「やめましょうよ」それが最善とばかりに神妙にジルは言い募ってみた。
「アホか!」
「アホはエルヴン卿でしょうがっ。嫌ですよ! 犯罪行為になんで私まで加担しなきゃならないんですか」
「お前、さっきまでわりと乗り気だったくせに、今更それを言うか。グラスとかいうやつに何を吹き込まれた?」
「吹き込まれる前に全力で逃げてきましたよ!」
「どうしてそんな自分から、自分は疾しいことしていますと白状するような行動をとるんだお前は……」
忌々しげにエルヴンが舌打ちした。
「エルヴン卿。エルヴン卿と違って、私はリンヒェル本国出身です。かれらの厄介さを十分に知っています。オオカミがいたら普通逃げるでしょう?」
瞳に涙をためてみたジルだったが、エルヴンは睥睨した。
着膨れしたヒヨコなんて誰が食うんだ? と言いたげだったので、もういっそこの場でエルヴンを刺して全て終わりにしようかと思い過る。が、イグナストの家で自分たちを見送ってくれた無愛想な女の姿がちらついて、ジルは努めて冷静さを取り戻した。
声には出さないまでも、カールに感謝してくださいねと心中で呟く。
彼女に頼まれてなければ、ジルはこの男の事なんてどうでもよかったのだから。
無言で睨みあった後、先に視線を外したのはエルヴンだった。
「明朝、夜明け前に出発する。今のうちに好きに飲み食いしておけ」
「最後の晩餐みたいに言わないでくださいよ。縁起でもない」
ジルは溜息をついて、立ち上がった。
結局、下働きの身の上ではボスの決定を覆せないのだ。甘んじる他ないのが悔しい。
「エルヴンもお腹すいてませんか? ご飯貰ってきましょうか」
「いや、いい。いらない」
「じゃなにか、飲み物でも貰ってきますね」
立ち去りかけた時、テーブルに手紙があることに気付いた。エルヴンの手元に隠されていたため、文面までは読み取れなかったが、封蝋はジルも見たことがあった。
エヴァノアの印だった。
それを冷めた目で見つめて、ジルは扉を閉めた。