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下着泥棒を捕まえたら、盗まれていたのは俺のパンツだった

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/08/31

最初の一枚は、風だと思った。


ベランダに干していたボクサーパンツが一枚なくなっていた。


まあ、そんなこともある。


ここはマンションの五階だが、風の強い日だった。どこかへ飛んでいったのだろう。


二枚目も、そう思った。


三枚目で、さすがにおかしいと思った。


四枚目で確信した。


誰かが俺のパンツを盗んでいる。


「……なんで?」


自分で言っておいて意味が分からない。


女性物なら分からなくもない。いや、犯罪なので分かってはいけないのだが、下着泥棒という犯罪が存在すること自体は知っている。


しかし俺は二十六歳の男である。


盗まれているのは、量販店で三枚セットで売っている黒とか紺とか灰色とかの、ごく普通のボクサーパンツだ。


誰が欲しいんだ、こんなもの。


そして五枚目。


俺は犯人を捕まえた。


夜十一時過ぎ。


カーテンの隙間からベランダを監視していると、隣との境にある避難用の仕切り板、その向こうから手が伸びてきた。


俺のパンツをつまむ。そのまま引っ張る。


「おい」

「ひゃっ」


俺は窓を開けた。


手が止まった。パンツも止まった。


仕切り板から、そろりと女の顔が出てきた。


知っている顔だった。


隣の部屋に住んでいる女性だ。


長い黒髪。整った顔立ち。


廊下で会えば必ず挨拶してくれる、感じのいい人。


名前は確か、水瀬美琴。


俺より一つ上の二十七歳だったはずだ。


そして現在。


その美人が俺のパンツを握っている。


「……何してるんですか」

「待って」

「はい」

「理由があるの」

「パンツ握った状態で言える理由ってあります?」

「ある」

「じゃあ聞きます」


美琴さんは真剣な顔で言った。


「あなたのパンツじゃないと駄目なの」


俺はスマホを取り出した。


「警察呼びますね」

「待って!」

「聞く前より怖くなったんですけど!」

「違うの! そういう意味じゃないの!」

「じゃあどういう意味なんですか!」

「眠れないの!」

「パンツが!?」

「私が!」


そこから十分ほどかけて事情を聞いた。


結論。


やっぱり意味が分からなかった。


美琴さんは昔から寝つきが悪いらしい。


特にここ一年ほどは酷く、布団に入っても何時間も眠れないことが珍しくなかったという。


病院にも行った。生活習慣も見直した。カフェインも減らした。寝具も替えた。


それでもなかなか改善しなかった。


そんなある日。


強風で俺のパンツが一枚、隣のベランダへ飛んでいった。


「あれ、一枚目お前だったの?」

「不可抗力です」

「そこは疑ってない」


洗濯物を取り込んだ美琴さんは、俺のパンツも一緒に室内へ持って入った。


翌日返そうと思い、とりあえずソファに置いた。


そのまま寝落ちした。


朝まで。


「七時間」

「はい?」

「七時間、一回も起きなかったの」

「よかったですね」

「一年ぶりくらいだった」

「それは本当によかったですね」

「だから、もしかしてって」

「待て」


嫌な予感がした。


「そこで終わらないですよね?」

「同じ洗剤を買いました」

「ほう」

「眠れませんでした」

「はい」

「同じ柔軟剤も買いました」

「はい」

「駄目でした」

「はい」

「同じメーカーのパンツも買いました」

「なんで?」

「比較対象が必要だから」

「研究者みたいな顔するな」

「新品では駄目だった」

「でしょうね」

「だから」


美琴さんが目を逸らした。


「もう一枚、借りました」

「盗んだんですよね?」

「……はい」

「言い換えるな」


二枚目でも眠れた。


三枚目を盗んだ夜には、目覚ましが鳴るまで一度も起きなかったらしい。


そこでやめておけば、まだ出来心だったと言い張れたかもしれない。


四枚目にも手を出した時点で、もう無理だ。


そして今夜、五枚目。


現行犯である。


「完全に常習犯じゃねえか」

「返すつもりはありました」

「いつ?」

「いつか」

「常習犯じゃねえか」


美琴さんはしょんぼりした。


とりあえず盗まれた四枚は返してもらった。洗濯済みだった。


そこは妙に律儀だった。


そして俺は言った。


「二度と盗まないでください」

「はい」

「必要なら言ってください」

「……え?」

「貸すだけならいいですから」


自分でも何を言っているんだと思った。


だが、目の前の美人には、近くで見るとはっきり分かるほど濃い隈があった。


それから。


俺と隣人との奇妙なパンツ貸借生活が始まった。


「相沢さん」


翌日の夜。


インターホンが鳴った。


開けると美琴さんが立っていた。


「……お願いします」

「そんな深刻な顔でパンツ借りに来ないでください」


一枚貸した。


翌朝。


「八時間寝ました」

「報告いらないです」

「ありがとうございました」

「返す時は洗ってください」

「もちろんです」


三日後。


また来た。


「お願いします」

「はいはい」


一週間後には、俺たちは普通に話すようになっていた。


名前も直人さん、美琴さんになった。


さらに一週間後。


「これ、お礼」


美琴さんが夕飯を作って持ってきた。


それを俺の部屋で一緒に食べた。さらにその次は、俺が作った。


気づけば週に何度か一緒に飯を食うようになった。


そしてある夜。


食後に映画を見ていた美琴さんが、俺のソファで寝た。


二時間。


起きた美琴さんが時計を見て固まった。


「……寝てた?」

「爆睡」

「パンツは?」

「今日は貸してない」

「…………」


二人で顔を見合わせた。


「直人さん」

「はい」

「もしかして」

「うん」


俺も薄々思っていた。


原因はパンツじゃないんじゃないか。


その夜から、美琴さんはパンツを借りなくなった。


代わりに俺の部屋へ来る回数が増えた。


夕飯を食べる。映画を見る。くだらない話をする。


そして時々、そのまま俺のソファで眠る。


パンツがなくても、俺の部屋なら眠れるらしい。


その意味に俺が気づくより先に。


告白された。


「直人さん」

「ん?」


いつものように夕飯を食べたあとだった。


隣に座っていた美琴さんが、俺をじっと見る。


「私、直人さんのこと好きみたい」

「……みたい?」

「最初はパンツが好きなのかと思ってた」

「その二択に俺を並べるな」

「でも、パンツなくてもここなら眠れるし」

「それ、恋愛感情を判断する方法として正しい?」

「直人さんの隣だともっと眠れる気がする」

「睡眠基準から離れろ」


美琴さんは少し考えた。


それから俺の肩に頭を預ける。


「じゃあ、普通に言う」

「うん」


「好き」


今度は迷いがなかった。


「付き合ってください」


断る理由なんてなかった。


むしろ俺だって、いつの間にか美琴さんがインターホンを鳴らすのを待つようになっていた。


「よろしくお願いします」

「やった」

「ただし」

「何?」

「もう俺のパンツ盗むなよ」

「彼女になっても?」

「彼女になったからって下着泥棒が合法になるか」

「じゃあ借りる」

「まだ要るの?」

「記念に」

「貸さねえよ」


そうして、俺たちは付き合った。


初めてキスをした夜。


美琴は俺の胸に顔を埋めたまま三時間寝た。


完全にパンツはいらなくなった。


どうやら本当に必要だったのは、本体だったらしい。


そう思っていた。


付き合ってしばらくして、美琴が初めて俺の部屋に泊まった翌朝。


目を覚ますと、美琴がこっちを見ていた。


「……おはよ」

「おはよう」


時計を見る。


七時十二分。


珍しい。美琴のほうが俺より先に起きている。


「よく寝れた?」

「めちゃくちゃ」

「ならよかった」


昨夜も寝つくまでに時間はかからなかった。


というか、寝つく直前のことについては、あまり詳しく振り返らないことにする。


付き合いたての男女なので。


まあ。


いろいろあった。


「何時間寝た?」

「四時間くらい」

「……短くない?」

「寝るのが遅かったから」

「なんで?」


美琴が聞いた。


俺は黙った。美琴も黙った。


「それ聞く?」

「聞かない」


即答だった。


「でも、寝つきは最高だった」

「それは何より」


もう一度目を閉じようとすると、頬をつつかれた。


「直人」

「んー?」

「朝も効くのかな」


目を開ける。


「何に」

「睡眠に」

「これから起きる時間なんだけど」

「今夜の睡眠に先行投資」

「便利な言葉を作るな」


美琴が布団の中でもぞもぞと近づいてくる。


「一回だけ」

「朝から?」

「寝起きだから一回」

「寝起きだからの意味が分からん」

「じゃあ、おはようの一回」

「もっと分からん」


顔が近づいた。


キスされた。


一度。


離れたと思ったら、また。


「……美琴」

「ん?」

「絶対最初からそのつもりだったろ」

「起きたら隣に彼氏がいたので」

「昨日からいるわ」

「昨日と今日では新鮮さが違います」

「毎朝リセットされんのかよ」

「されます」


また唇が重なった。


今度は、少し長かった。


――それからしばらくして。


「……朝から疲れた」

「私は元気」

「嘘つけ。さっきから全然動いてないだろ」

「満足してるの」


美琴は俺の胸に頬を乗せたまま、実に機嫌がいい。


時計を見る。


八時六分。


「おい」

「ん?」

「一回で一時間近く使ってるぞ」

「丁寧だったね」

「感想を言うな」

「でも、これなら今日もよく眠れそう」

「だから今から仕事なんだよ」


その日の夜。


帰宅して夕飯を食べ終えたところで、美琴が言った。


「検証したい」

「何を」

「私が眠れる理由」


まだやるのか。


「もう俺がいれば眠れるって分かっただろ」

「そこを正確にしたいの」

「何をどう正確にするんだよ」


美琴が指を一本立てた。


「直人のパンツがあると眠れた」

「うん」

「直人の部屋でも眠れた」

「うん」

「直人の隣だと、もっとよく眠れた」

「うん」

「昨日は、もっともっとよく眠れた」

「四時間だけどな」

「時間じゃなくて深さ」

「測定したの?」

「体感」

「急に研究の精度が落ちたな」


美琴は真剣だった。


嫌な予感がする。


「つまり」

「うん」

「私が眠れるのは、直人がいるからなのか」

「たぶんそうだろ」

「それとも」


一拍置いて。


「いっぱいしたからなのか」

「待て」

「昨日と同じ条件でもう一度試せば分かる」

「同じ条件じゃ比較にならないだろ」

「あ」

「研究者みたいな顔してたくせに初歩的なところで転ぶな」

「じゃあ回数変える?」

「そっちへ行くな」

「増やす?」

「減らせ」


結局。


その夜の検証が何回だったのかは、数えないことにした。


翌朝。


目を覚ます。


時計は十一時を回っていた。


「……美琴」


返事がない。


隣を見る。


寝ている。


ものすごく寝ている。


頬をつついても起きない。


「おい」

「んぅ……」

「十一時だぞ」

「……あと五分」

「お前があと五分とか言うの初めて聞いたよ」


さらに二十分寝た。


ようやく起きた美琴が、ぼんやり時計を見る。


そして飛び起きた。


「十一時半!?」

「おはよう」

「私、何時間寝た!?」

「八時間くらいじゃない?」

「八時間……」


美琴が呆然とする。


それから、じわじわと笑った。


「治った」

「何が?」

「不眠」

「まあ、これだけ寝ればな」

「結論出た」

「何」


美琴は指を一本立てた。


「パンツも直人のでしょ?」

「まあ」

「部屋も直人の」

「まあ」

「隣にいるのも直人」

「そうだな」

「いっぱいする相手も直人」

「最後だけ声を小さくしろ」

「だから全部、直人」

「雑にまとめたな」

「でも合ってるでしょ?」


そう言われると。


否定しづらい。


美琴は俺の胸に頬をくっつけた。


「もうパンツいらない」

「ようやく卒業か」

「うん。本体があればいい」

「俺はパンツの本体じゃねえ」


それから美琴の不眠は、本当にほとんどなくなった。


一人でも以前より眠れるようになったし、俺の部屋ではよく寝る。


俺の隣なら、さらによく寝る。


そして時々。


「直人」

「何」

「今日、早く帰ってきてね」

「なんで」

「いっぱい寝たいから」

「その前段階を短くしろ」

「それは無理」


即答だった。


不眠は治った。


これは間違いない。


問題があるとすれば。


美琴が俺のパンツを盗むことは、二度となくなった代わりに――


俺の睡眠時間が、毎晩盗まれるようになったことくらいだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


こういうのを描きたいタイミング、時々(結構)あります。


人間だもの。


今回は、うっかり形になってしまいました。


下着泥棒から始まって、不眠まで治りました。


たぶん治療法としてはおすすめできません。

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