表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「要らない」は、最強  作者: 田中葵
第1部
4/5

Ⅲ:手放す女

麻子は、別れ話を切り出す日を、特別な日にしなかった。

平日。

雨でも晴れでもない、曇りの日。


「今日、少し話せる?」


その言い方も、普段と同じだった。

部屋には、二人分のマグカップがあった。

一つは欠けていて、でも使い続けている。

買い替える理由は、特になかった。


「どうしたの」


彼は、まだ何も知らない顔をしていた。

そのことが、少しだけ意外だった。


麻子

「もう、一緒にいる必要はないと思う」


「……え?」


間。

彼の表情が、理解に追いつこうとしている。


「喧嘩したっけ」


麻子

「してない」


「じゃあ、なんで」


麻子

「終わったから」


彼は笑おうとしたが、うまくいかなかった。


「終わったって、何が」


麻子

「私の中で」


「急すぎるよ」


麻子

「急じゃない。

 言ってなかっただけ」


彼は、テーブルの上の欠けたマグカップを見る。


「俺、まだ要るだろ」


その言い方は、問いでも命令でもなかった。

確認だった。


麻子

「……」


麻子は、少し考えてから答えた。


麻子

「もう、要らない」


声は平坦だった。

強くも、弱くもない。


「ひどいな」


麻子

「そう聞こえると思う」


「冷たいよ」


麻子

「否定しない」


「好きだったんだろ」


麻子

「好きだった」


「じゃあ——」


麻子

「今は違う」


彼は、言葉を探しているようだった。

説得。

理由。

反論。


「俺、変わるよ」


麻子

「変わらなくていい」


「じゃあ、何が不満だった」


麻子

「不満じゃない」


「じゃあ、なんで」 


麻子

「必要がなくなった」


その言葉は、彼の中で何かを崩した。

怒りではなく、重さが落ちた音だった。


「それ、俺が生きてることも、どうでもいいってこと?」


麻子

「違う」


「同じだろ」


麻子

「生きてるかどうかと、

 一緒にいるかどうかは、別」


「……残酷だな」


麻子

「残酷に聞こえるのは分かってる」


「じゃあ、どう思ってるんだよ」


麻子

「事実だと思ってる」


それ以上、言葉は出なかった。


時計の針が進む音だけが、部屋に残る。

まだ動いている時計だった。


「俺は、まだ欲しい」


麻子

「そうなんだと思う」


「欲しいって言っても、だめ?」


麻子

「だめじゃない」


「じゃあ——」


麻子

「応えない」


彼は、そこで初めて、声を荒げた。


「そんなの、否定と同じだろ!」


麻子

「否定しない。

 受け取らないだけ」


彼は立ち上がり、また座った。


「……俺、どうしたらいい」


麻子

「あなたのことは、あなたが決めて」


「突き放してる」


麻子

「手放してる」


言葉の違いだけで、意味は大きく変わった。


しばらくして、彼は小さく息を吐いた。


「まだ、俺のこと、人としては見てる?」


麻子

「見てる」


「じゃあ……」


麻子

「それで十分」


彼は、それ以上、何も言わなかった。


帰り際、彼は欠けたマグカップを手に取った。


「これ、持っていっていい?」


麻子

「どうぞ」


「要らない?」


麻子

「要らない」


彼は、少しだけ頷いた。


玄関のドアが閉まる音は、静かだった。

泣き声も、罵声もなかった。


麻子は、一人になった部屋で、

残ったもう一つのマグカップに水を注いだ。


満ちても、溢れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ