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「要らない」は、最強  作者: 田中葵
第1部
3/5

Ⅱ:欲望のインフルエンサー

香帆は、朝起きて最初にやることを決めていた。

スマートフォンを手に取り、通知の数を見る。

それが、その日の体調を決めた。


数字が多ければ、呼吸は深くなる。

少なければ、少しだけ胸が詰まる。


「おはよう」


誰に向けた言葉かは、もう分からない。

画面の向こうには人がいるはずなのに、

実感として存在するのは、数字だけだった。


——いいね。

——コメント。

——保存数。


欲しい、と思った。

最初は、正直な気持ちだった。


「これ、かわいいよね」

「これ、便利だった」

「これ、助けられた」


共感されると、うれしかった。

誰かの生活に、少しだけ混ざれた気がした。


欲しい、は生きてる感じがした。


フォロワーが増えるにつれて、

欲しいものも増えた。


反応。

速度。

確実さ。


「今日はテンション低め?」

「最近、前より刺さらない」


そう言われると、胸の奥がざらついた。

刺さる、という言葉が、

いつの間にか自分の価値を指す単語になっていた。


刺さらない=要らない。


香帆は、その式を否定できなかった。


だから、欲しがった。

もっと分かりやすく。

もっと感情的に。

もっと、誰かの欲に合うように。


朝の投稿は三案作った。

昼用、夜用、もし伸びなかったときの保険。


「これなら要る」

そう言ってもらえる確率を、

頭の中で計算する癖がついた。


欲しい、欲しい、欲しい。


誰かに、必要とされたい。

消えないように。


ある日、ライブ配信で、

画面の端に一つのコメントが流れた。


「正直、もう要らないかな」


速かった。

一瞬で、他のコメントに流された。

けれど香帆は、その一文だけを拾ってしまった。


心臓が、遅れて鳴った。


要らない。


罵倒でも、批判でもなかった。

理由も、怒りもない。

ただの判断。


それが、いちばんきつかった。


配信は続けた。

声は震えなかった。

笑顔も崩れなかった。


でも、終わったあと、

スマートフォンを置いた手が、しばらく動かなかった。


要らない、と思われた。

それだけの事実。


香帆は、その言葉を何度も反芻した。


「嫌い」なら、反論できた。

「間違ってる」なら、説明できた。

「うるさい」なら、無視できた。


でも、「要らない」は、

どこにも引っかからなかった。


次の日、投稿を休んだ。

「体調不良です」とだけ書いた。


本当は、体調は悪くなかった。

欲しい、が出てこなかった。


欲しいと言わなければ、

欲しがられない。

欲しがられなければ、

自分がどこにいるのか分からない。


夜、フォロワー数を見た。

少し、減っていた。

それは、誰かが静かに去った数字だった。


香帆は、初めて、

誰にも向けずに呟いた。


「……もう、要らないのかな」


答えは返ってこなかった。


返ってこないこと自体が、

答えのようでもあり、

そうでないようでもあった。


数日後、香帆は久しぶりに外に出た。

カフェで、隣の席の会話が耳に入る。


「別に要らなくなっただけだよ」

「そうなんだ」


それだけで、話は終わっていた。


誰も傷ついていないように見えた。

誰も、説明を求めていなかった。


香帆は、コーヒーを一口飲んだ。

苦くも甘くもなかった。


欲しい、と思わなかった。

要らない、とも思わなかった。


ただ、ここにいる、という事実だけがあった。


それは、少し怖くて、

少し静かで、

思っていたより、崩れなかった。

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