第46話:決戦! イビルヤンカシュ③
空が啼いていた。
風が悲鳴をあげ、雲は焼け爛れ、世界の色が崩れ落ちてゆく。
邪竜イビルヤンカシュが大空を完全に掌握していた。
その巨体は世界の怨念そのものであり、そこにいるだけで、肺は死に、皮膚は焼けただれ、あらゆる理がねじ曲げられていく。
貴政はその竜に、ただ1人、果敢に立ち向かっていた。
度重なる無茶な攻撃により、すでに彼の右腕は折れていた。
左脚にはブレスがかすめた生々しい火傷の痕があり、だが彼の背中から生えた六枚の光翼は、なおも明滅しながらも彼を空中に留まらせていた。
「……まだ飛べる。飛べるでごわすっ!」
少年は自身に活を入れ、邪竜のヘイトを受け続ける。
詠唱開始から22分。
残り時間は8分である。
彼は奥歯を噛み締めて、ぐらりと揺れる意識を無理やり現実に引き戻す。
視界の端には、黒く渦巻く雲と、災厄の核――邪竜のがらんどうの相貌がある。
その空っぽ瞳が、じろりと彼を捉える。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
凄絶な咆哮。
圧倒的な圧が空気を震わせ、少年の心を折らんとする。
「来るでごわすッ!」
次の瞬間、イビルヤンカシュの喉が膨れた。
牙の隙間から漏れるのは、赤黒い邪瘴気の塊だった。
邪竜は再びブレスを吐き出し、目の前を飛行する邪魔な虫けらを空から叩き落とさんとする。
――そうはいかぬっ!
貴政は天に飛翔した。
万一、ブレスが下方向、街に向かって放たれた場合、その犠牲者は数え切れないぐらい膨大なものになるためだ。
「ぬおおおおおおおぅぅぅぅぅぅぅぅ! ちゃんこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
意味のわからない雄たけびとともに貴政は天に舞い上がる。
邪竜と力士の一騎打ちは、最終局面を迎えようとしていた。
◆◆◆
地上はすでに地獄だった。
冒険者たちは倒れ、血に塗れ、魔法陣の周囲を守る戦線はすでに崩壊寸前だった。
「も、もうダメだ……!」
「くそっ、何体来るんだよ……ッ!」
アンデッドたちはさらに数を増し、凶暴さを増している。
雑魚アンデッドだけではない。
骸骨騎士や腐乱双頭犬、怨霊といった今までの敵の上位種たちが、倒しても倒しても湧いて来る。
ヴァネッサの体は噛み傷や引っ掻き傷で血まみれだった。
腐乱犬との連戦によって彼女の体はボロボロである。
「クソッたれ! いつまで湧くんだよっ! もういい加減にしやがれってんだ!」
彼女は思わず吐き捨てる。
彼女の手下、ズラードも同様に体中に傷を負っており、ヤボックも精神力切れにより地面に膝を突いていた。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
そんな地上の虫けらどもをあざ笑うかのごとき咆哮が天に響き渡る。
もう少し! あと、ほんの少し!
誰もが思ったその時だった。
――ドゴォォォォォォォォォォォォン!
と、天から何かが墜ちてきた。
それは翼を失った飯屋貴政その人だった。
「オーク野郎っ!」
「メシヤの兄貴ぃ!」
「メシヤ殿ぉ!」
ヴァネッサたちが駆け寄るが、彼もまた満身創痍であった。
右腕は折れ、左脚は焼けただれ、さらに全身が邪瘴気によって深刻な呪いに犯されている。
「す、すまぬ、ミュウ……堕ちて、しまったで、ごわす…………」
「しゃべるんじゃないよ、オーク野郎! だ、誰かポーションをっ!」
無論、そんなものはとっくに尽きている。
皆、自分の治療で精いっぱいだった。
「ち、ちきしょう! ここまでなのかよぉ!」
「こんな終わりはあんまりですぞぉ!」
手下の2人は抱き合って、ついにはおいおい泣き出す始末。
ヴァネッサもついに観念し、貴政の隣に倒れ込んだ。
「万事、休すだねぇ」
「ミュウ、すまぬ……お、おいどんは……っ!」
誰もが……貴政までもが諦めかけた、まさしくその瞬間だった。
ミュウは彼らの方を向き、パチンと指をスナップした。
すると合図に反応し、あらかじめ魔法陣の各所に用意してあった魔導装置の花火がピュウウウウウウウウウウウウと空に打ちあがる。
「いいえ、みんな。大丈夫。あんたたちは、ちゃんと繋いでくれたわ」
ミュウは言う。
彼女の杖の先端には、まるでダーツの矢のような鋭利な形に形成させた巨大な炎の槍があった。それを見た貴政はこう思う――まるで弾道ミサイルのようだ、と。
合図に呼応するように街の各所から光の鎖が邪竜に向かって放たれた。
僧侶職たちの信仰魔法だ。
魔法陣のまさに真上。
上空50メートルほどの位置まで下降したイビルヤンカシュの動きはそれらに阻まれて、一瞬止められる。
もちろん、これで封印はできない。
動きが止まるのはあくまで一瞬だけだ。
ところがミュウに必要なのは、その一瞬の硬直でよかった。
なぜなら邪竜を仕留める呪文はすでに完成していたのだから。
腕をクロスさせ、顔にやり、派手なポーズを決めたミュウは最終詠唱を始める。
「我が名はミュウ、誇り高き血を引く獣人種なり――我が矢は聖火――我が矢は破邪――我が神弓は汝の躯を、確実に射抜き、貫かん!」
「【♰|闇穿ツ超越神滅因子展開術式《デス・アルティメット・デス・エンゲージ・オブ・デウス・ゼロ》♰】」
ミュウが呪文名を叫んだ直後、炎槍は文字通りミサイルのように、拘束されたイビルヤンカシュに飛んで行き、吸い込まれるように命中した――それは邪竜の体を貫き、断末魔の咆哮が響き渡る。
閃光が空いっぱいに広がり、遅れて音がやって来た。
聖属性と火属性、弱点2つを併せ持つ合成魔術に貫かれた邪竜の体はもはや形を維持できなかった。それは内部から崩壊し、グロテスクな肉の塊と化し、だが最後には塵芥にまで還元され、空の藻屑となってしまう。
雲が割れ、陽光が降り注いだ。
街に湧いたアンデッドたちもさらさらと灰と化し、一斉に姿を消してゆく。
かくして、最初の街を襲った災厄は完全に退治されたのだった。




