第45話:決戦! イビルヤンカシュ②
空が燃えていた。
黒雲が渦巻き、空の一角を裂いて出現した災厄――邪竜イビルヤンカシュが、腐臭と邪瘴気をまき散らしながら大空に君臨している。
その巨体は風そのものをねじ伏せ、ただ浮かぶだけであたりの大気を支配していた。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
その咆哮はもはや音ではない。
空と大地を軋ませる、怪物の呪詛の叫び声。
そんな咆哮を一身に受け、貴政は1人、空にいた。
風が痛い。
そんなふうに彼が思ったのは、単なる空気抵抗のためではなく、イビルヤンカシュ周辺の邪瘴気の濃度が異様に高いせいだった。包帯を巻いた両腕がじんじんと痛み、思わず彼は顔をしかめる。
しかしそれでも貴政は――背中から6枚の光の翼を生やす天翔ける旧き神の使徒――は、臆すことなく邪竜に近付いて行った。
彼の使命はこの竜を倒すことではない。
ただ気を引いて一か所にとどめ、被害が街に及ばぬように空中を飛び回るだけだ。
だが全長60メートルはある化け物、イビルヤンカシュにとって、貴政は周囲を飛び回る小さな蠅くらいの存在でしかない。そんな存在が気を引くためには、ウザい、と思われなければならない。
ゆえに貴政は一気に近付き、攻撃を試みることにした。
「今は呼吸は使えぬが……これでも食らえぇぇぇい!」
彼は無謀にも邪竜の頭部に一気に肉薄すると、肉が削げ落ち、骨をあらわにしている、そのがらんどうの眼下の中に張り手をお見舞いしてやった。
――ガキィィィィィィィィィィィィィィィィィィン
しかし金属的な音が鳴り響き、目には見えない力によって彼の攻撃は押し返される。やはり、効いていない。邪竜の魔力障壁は物理攻撃にも有効だった。
しかし、それでいい。
それこそが彼の狙いである。
たとえ相手が蠅だとしても、顔の周辺をうろちょろされて、さらにちょっかいをかけてきたら振り払いたいたくなるだろう。
事実、邪竜は貴政を捕捉した。
弾かれ、距離を取った貴政のことをその顔はじろりと睨みつける。
邪竜は腕を振り上げた。
しかし単純なスピードならば【残酷な力使のモード】の加護を得た今の貴政の方が素早いといえる。彼は高速で距離を取り、鉤爪の攻撃をすんでで避けた。彼は再び接近し、今度は逆方向の目にタックル張り手をお見舞いする。
「ちぇすとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
――ガキィィィィィィィィィィィィィィィィィィン
再び、攻撃は弾かれる。
だが、これでいい。これがいい。
詠唱開始から3分経過。
残り時間、およそ27分。
貴政は再び距離を取り、ヒットアンドアウェイの戦法で敵のヘイトを自分に集中させていく。
◆◆◆
一方、その頃、地上では衛兵や冒険者たちが空を見上げて、指を差し、口々に何かを言っていた。
「すげぇぜ、あのオーク野郎! マジで邪竜とやり合ってるよ!」
「だけど、全然効いてねぇぞ!」
「いや、いいんだよ! それが作戦なんだ! 俺たちの任務は、あいつが時間を稼いでる間、そこにいる嬢ちゃんを脅威から守るっていうことなんだからな!」
魔法陣を取り囲む冒険者たちはそう言い、頷き合った。
すると毒々しい霧に囲まれた街の隅々から、カタリカタリという音や、何かをずるずる引きずるような不快な足音が四方から聞こえるようになる。
「おいでなすったぜ、敵さんが……」
「ちくしょう! やっぱ、こうなるよなぁ!」
「こうなったら、もうやるしかねぇ!」
彼らの前に現れたのは、イビルヤンカシュの邪瘴気によって湧き出て来たアンデッドモンスターの軍勢だった。
刃を構える骸骨兵、口から涎を垂らした腐乱犬、そうした定番のアンデッドたちがしゃにむに彼らに襲いかかる。
冒険者たちは果敢に戦った。
前衛である戦士職が骸骨兵や腐乱犬の相手をし、たまに湧いて来る生霊を後衛の魔法職が始末する。
それに加えて今回は僧侶職たちの協力もある。
彼らの手厚い警護によって詠唱者、ミュウの安全は盤石のように思われた。
詠唱開始から8分経過。
だが、しかし数が多い。
雑魚アンデッドは倒しても倒してもほとんど無限に湧いて来る。
「き、キリがねェ!」
「まずい、精神力が持たないよぉ!」
「こ、このままじゃあっ!」
「オイ! あれを見ろ! こっちに来るぞ!」
戦士職のひとりが指差した先、そこには腐乱犬の最上位種である腐乱三頭犬の姿があった。体高、およそ2メートル。全長4メートル以上にもおよぶ三つ首の化け物の登場に冒険者たちは足をすくませる。
「お、お前ら、ビビんな! 嬢ちゃんを守りきれなけりゃ、この街は終わっちまうんだぞ!」
「で、でも、あんな化け物、倒せねぇよ!」
「き、来たぞ! お前ら盾で防御しろ!」
冒険者たちは一様に防御態勢を取った。
だが、腐乱三頭犬はそんな彼らをあざ笑うように冒険者たち飛び越えて魔法陣の中に侵入する。
「や、やべぇ! 嬢ちゃん、逃げろ!」
「無理だ、詠唱途中だぞ! 今さら中断できねぇよ!」
「でも、このままじゃ殺されっちまう!」
「だ、誰かぁ! 援護できる奴はいねぇのかぁ!?」
魔法陣の半径は5メートル。
中心に立つミュウは詠唱に集中にしていてそこから動くことができない。
万事休す! 三つ首の怪物は牙を剥き出しにして、眼下の華奢な少女の首に今にもかぶり付かんとする!
――その時だった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ! 魔法拳んんんんんんんん!」
「【火球弾】ゥゥゥゥゥゥゥ!」
突如、魔法陣に飛び込んできた禿頭の巨漢が右の頭を、同じく陣に飛び込んできたローブの痩せ男が左の頭を、それぞれ打撃と魔法によって、ほとんど同時に破壊した。
ミュウは驚き、顔を上げる。
するとそこには狼耳ピンと立て、剣を構える女獣人の姿があった。
「〝狼牙剣〟ッッ!」
そう技名を宣言し、ヴァネッサはショートソードを一閃する。
それはスパンッと腐乱三頭犬の中央の首を切り落とした。
首を失ったアンデッドモンスターは倒れ、ぐずぐずと溶けて、消えてゆく。
「大したことない犬っころだ! こんなんだったら100匹でも200匹でも余裕で相手ができらぁねぇ!」
ヴァネッサは不敵な笑みを浮かべて言った。
詠唱を続けているミュウは言葉を発することはできない。
だが、彼女の顔にはありありとこんな言葉が浮かんでいた。
――どうして、あんたたちがここにいるの!?
――外に逃げたんじゃなかったの!?
そんな疑問に答えるようにヴァネッサはフンと鼻を鳴らしてみせた。
「勘違いすんじゃないよ、お嬢サマ? 別にお前のためじゃない。あたいはあたいの矜持のためにここに残ることにしたんだよ!」
そう言うと、ヴァネッサはショートソードを構え、ミュウを庇うような体勢を取った。
「悔しいが、今はお前の魔法が唯一の切り札なんだろう? だったら、あたいはあたい自身のためにお前を守り抜いてみせるよ」
詠唱開始から12分経過。
残り18分。
イビルヤンカシュとの闘いはまだ始まったばかりであった。




