第44話:決戦! イビルヤンカシュ①
――カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!
鐘楼から響く金属音が、いつもの穏やかなリズムとは明らかに異なっていた。
それはまるで街そのものが悲鳴を上げているかのような、不安定で、焦燥に満ちた音だった。乾いた空気に鋭く突き刺さるその音は、街の隅々にまで響き渡り、人々の動きを一瞬で止めさせた。
――襲撃だ。
軒を連ねる店々が次々と戸を閉ざし、衛兵たちが怒号を上げながら通りを駆ける。犬が吠え、子供が泣き、母親がその子を抱きかかえて家の奥へと身を隠す。
衛兵たちが口々に発する「家から出るな!」という声が、鐘の音にかき消されながらも皆に確実に伝わっていた。その音は街に迫りくる災厄の知らせだったからだ。
そんな中、街の中心の広場には全長10メートルを超す巨大な魔法陣が描かれていた。
その中心に立つのは魔法職の少女――ミュウ・アルハンゲル。
その隣には1人の男が立ち、さらに魔法陣の周りには彼らを守護し、見守るようにギルドに緊急招集された屈強な冒険者たちがいた。
ミュウは何度目かわからない深呼吸をしていた。
動悸がずっと鎮まらない。
徹夜によって濃い隈ができ、憔悴しきったその顔には強い焦りが浮かんでいた。
「緊張してるでごわすか、ミュウ?」
「……正直言えば、少しだけ」
「強がるのはよせ。ほれ、手を握ってやる」
「子供扱いしないでよ。あたしの方が年上よ」
ミュウは唇を尖らせながら、隣に立っている貴政の手を跳ね除けようとした。
しかし、あまりに大きな手なので簡単に握り返されてしまう。
「では、おいどんのために握っていてくれ」
「あんたも怖いの?」
「どうでごわそうなぁ? 緊張感は確かにあるが、それでも勇気が湧いてくる。お主が隣におるからだろうなぁ」
そのストレートな告白にミュウの心臓はドキンと跳ねた。
恋愛的な意味ではない。
だが、このような恥ずかしい言葉をこの男は時々投げて来る。
「……オークのくせに生意気よ」
「痛っ、なんで脛を蹴るのでごわすか?」
「死んだらマジでぶっ殺すわよ」
「言ってることがめちゃくちゃでごわす……」
軽口を叩き合う2人。
それは緊張をほぐすために必要な儀式のようなものだったのかもしれない。
――だが、その時、異変が起きた。
風が、止まった。
それは誰の耳にも、誰の肌にも、はっきりとわかるものだった。
夕暮れ前の空は鈍く曇っていたが、陽はまだ沈んでおらず、街には本来なら活気があったはずだった。
けれど今、冒険者ギルドの鐘楼から響いていた鐘の音すらも、まるで何かに吸い込まれるかのように、徐々に遠ざかっていくように感じられた。
街が、息をひそめている。
犬が吠えるのをやめ、鳥たちが一斉に姿を消した。
皆が口々に何かを叫び、空を指す。
――そうして「それ」は、現れた。
最初に気づいたのは、城門の見張りだった。
空の一角、雲の向こう側に、黒い点が浮かんでいた。最初は小さな影にしか見えなかったが、それがじわじわと、大きく、大きく、広がっていく。
雲が、裂けた。
まるで天が悲鳴を上げるような音と共に、空が二つに割れ、その裂け目から〝邪竜〟は降りてきた。
展開された巨大な翼が、濁った陽光を遮った。
かつて人々を焼き、王都を半壊させたという伝説の邪竜――イビルヤンカシュ。
その全身は爛れ、崩れかけの鱗の隙間からは赤黒い邪瘴気が漏れている。翼は皮膜の大半が朽ち落ち、骨のフレームだけが軋むように震えていた。にもかかわらず、それは空を滑るように飛び、遥か高みから街を見下ろしていた。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
空が、震える。
ただそれがそこに“在る”だけで、空気が腐臭を放ち、人々はげほげほとむせ始める。いつしか街は「霊園」のような毒々しい色の霧に包まれていた。
ミュウの手がぎゅっと貴政の手を強い力で握り返す。
「ねぇ、タカマサ。ちゃんと言うわ。どうか、絶対に死なないで」
「……心得たでごわす」
言うと貴政はミュウの手を離し、彼女から数歩距離を取った。
そして、ドンッ、と四股を踏む。
彼は祝詞を唱え始めた。
「我が至上の神、ヒゴ=モッコス――我は汝に全てを捧ぐ――我は汝の恵みを絶ち、我は汝の加護を得ん――翼を授けよ、庇護の神――我は汝に近付かん」
「【残酷な力使のモード】」
祝詞を終えた瞬間に貴政の体が発光した。
その背から何かが生えてくる。
遥か未来を目指す翼。
幾何学的な模様を描く光でできた3対のそれは、一瞬、ファサァァァと力士を包み、だが殻を破るように展開される。
「な、なんだありゃあ!?」
「て、天使だ! 天使がいるぞ!」
「オークが天使になりやがった!」
周りの冒険者たちのどよめきが伝わる。
そんな中、貴政はミュウにこう言った。
「行って来る。背中は任せた」
「…………オーケー、今はもう何も言わないどく。あたしも任せたわよ、タカマサ」
2人は無言で頷き合う。
貴政は「とうっ!」とジャンプした。
次の瞬間、彼の肉体は常人が捉えきれないほどのすごいスピードで天へと昇り、一本の光の線となる。
「……あたしが、この街を守ってみせる」
ミュウは最後の深呼吸を終えると、杖の柄尻を魔法陣に付け「わたしがかんがえたさいきょうのまほう」の呪文詠唱を開始した。




