第41話:世界最強の魔法の本
さて、その後……
ズラードが貴政に肩を貸し、ヴァネッサがミュウを背負うことで、一向はなんとか霊園を抜け出し、街に向かうことができた。
幸い、道中で魔物には一度も遭遇しなかった。
単純に運がよかったというのもあるが、濃い呪瘴気の中に長くいたせいで魔物の方が本能的に一行を避けたのかもしれない。
街の入り口に着くと、まず初めに、もっとも重症の貴政が担架で教会に運ばれた。彼はそこで傷の治療、呪いの除去など、複数の重要な処置を受けることとなった。
一方、残った4人冒険者ギルドへ行き、事のあらましをギルドマスターに報告することになったのだったのだった。
「ともすればとは思っていたが、まさか、本当にそんな事が……」
ギルドマスターのバルド・ガルネスは眉間に皺を寄せ、低い声音でそう言った。
「信じるのかい?」とヴァネッサが聞くと、当然だとでも言いたげに彼はじろりと彼女を見やる。
「邪竜の咆哮は街にまで聞こえてきた。何よりメシヤ殿のあの状態、彼をあんな風にできる存在といえばイビルヤンカシュ以外にない。封印が解けかかっていることは紛れもない事実なのだろう」
バルドは秘書を呼びつけると小声で何かを耳打ちした。
彼女は「承知しました」と言って、背筋をピンと立てたまま部屋から足早に退出する。
「今、王都に早馬を送るようリシェルに命じた。王都有数のSランクパーティである〝暁ノ残響〟などに協力を依頼する予定だ」
それを聞き、ミュウの猫耳が一瞬、ピンと立ちあがった。
彼女はそわそわと落ち着かなさげに髪をくるくるといじり始める。
「んでよぉ、ギルマスさん。問題は誰が、なんのために〝涙〟をすり変えたのかってことじゃあないかい? わざわざ精巧な偽物を用意する辺り、ただ金欲しさの犯行じゃないよ」
「うむ、そうだな。此度の件には何者かの明確な悪意を感じざるを得ない。目的は恐らく破壊と虐殺だろう。邪竜が完全に復活すれば、それは人々の密集地帯をいの一番に襲うだろうからな」
「じゃ、じゃあ、この街がヤバイってことか!?」
「あ、あの竜と、また戦わねばならぬのですかな!?」
狼狽える男たちに対し、バルドの答えは沈黙だった。
「おぅ、だんまりかい? ギルマスさんよぉ? あたいらは文字通り死ぬ気で戦って情報を持ち帰ってきたんだ。知る権利ぐらいあるんじゃないかい?」
嫌味ったらしくヴァネッサが言うと、バルドは鍵付きの引き出しを開けて中から何かを取り出した。それはじゃらりと音が鳴る丈夫な麻の袋だった。彼女はひったくるようにそれを受け取って中身を確認し始める。
「……相当、色を付けてるねぇ。なるほどね、わかったよ。口止め料ってこったろう?」
「わかっているなら言わせるな」
「ちょ、ちょっと待って! じゃあ本当にあの竜がここに来るってこと?」
真正面からそう聞くミュウにバルドは沈黙を貫き通す。
一方、ヴァネッサはけらけら笑って、ミュウの背中をぽんぽん叩く。
「あのなお嬢、こいつの沈黙はイエスって意味だ。ま、察しろってこったわな」
「今から早馬を送ったとして、邪竜の封印が解けるまでに王都のパーティは間に合うの?」
「わからない、が正解だろう? 封印が長く続くことにワンチャン賭けて、やるだけやるってこったろう」
そう言うとヴァネッサは肩をすくめ、バルドにくるりと背を向けた。
もう話すことは何もない、とでも言いたげな態度である。
「ちょ、ちょっと!」
「猫娘、お前も準備しておきな」
「じゅ、準備って……」
「ずらかる準備さ。数日以内に確実に奴はこの街にやって来る。そうなる前に逃げるのさ。お前も命は惜しいだろう?」
言うと、ヴァネッサは手下を引き連れ執務室から出て行った。
茫然と立ち尽くすミュウの背後で袋がじゃらりと机に置かれる。
「君はどうするつもりかね?」
「あ、あたしは……」
「どちらにしても、我々に君たちを引き留める力はない。我々にできることといえば、Sランクパーティの到着が間に合うようスウシャイに祈ることだけだ」
バルドは深い溜息をついた。
下がっていい、という雰囲気をミュウは感じ取る。
少女は報酬を受け取ってヴァネッサたちに続こうとした。
だが背後から声を掛けられる。
「ミス・アルハンゲル。少しいいですか?」
彼女は手を止め、振り向いた。
そこにはバルドの右腕の秘書、リシェル・アーヴィングの姿があった。
◆◆◆
温度調整機能付きの魔導ポンプの汲み上げる湯が、セルリウムでできたノズルからシャワーとなって降り注ぐ。
それを浴びるのは10代半ばの一糸まとわぬ少女であった。
ぬるま湯程度に調整された湯は、緩やかにくぼんだ鎖骨を流れ、大きくはないが確かにそこに〝ある〟ほどよいふくらみをつうっと伝ってゆく。そのまま腹部に達したお湯は、少女特有のなめらかな、シミ1つな玉肌をゆるやかに流れて行った。
湯気の立ち上るその空間は〝お師様〟の家の浴室だった。
普段は魔晶と水代の節約のために週に1度だけ許可されている入浴であるが、今日のミュウは濃い呪瘴気によって全身を汚染されている。そこでシャワーでそれを落とすようお師様に言いつけられたのだ。
ミュウは心地よさに身を委ねながら、だが心中に暗い思いを浮かべる。
(結局、なにもできなかった……)
彼女が放った大魔法――【獄炎大旋風】。
それは5分もの詠唱の末に最大威力で放たれた攻撃であり、衝撃によって邪竜の再封印を誘発させるためのものだった。
ところが、それは効かなかった。
邪竜の魔力障壁に穴さえ開けられなかったのだ。
どころか、それは逆効果となり、結果的に貴政に全てのダメージを肩代わりさせる結果となってしまった。
「……ちゃんこを食えば治る」と言って平気そうにする貴政だったが、そのダメージは測り知れず、特に真っ赤に焼けただれたグロテスクな両手ときたら目を背けたくなるほどだった。
今頃は療養しているだろうが……無事、呪いを除去できただろうか?
ミュウは、はぁ、と息をつく。
一体あの時、どうすればマシな結果になっていたのだろう?
なんていうことを考えた時、冒険者ギルドでのやりとりが思い出された。
ギルドの秘書リシェルに呼び出され、彼女の個室に招かれたミュウは、まるで面談のように椅子に座らされ、そこでこんなことを聞かれたのだ。
『どうして、あなたはその状況で【獄炎大旋風】を使ったのですか?』
質問の意味がわからなかったミュウは、頭上に「?」を浮かべてしまった。
アンデッドに有効な火属性であることに加え、高威力かつ広範囲に撃てる魔法。それを選択をしたことを咎められる意味が彼女にはわからなかったのだ。
『確かに威力や技範囲だけで見れば、かの大魔法は強力です。ですが、あなたは魔法学園の門戸を叩き、仮にも正式な教育を受けた身。【大火球弾】や【超火球弾】等の通常魔法を使う選択肢もあったはずです。そちらの方が出が早いですし、連打などの小回りも効きますしね』
『そ、そう言われればそうかもだけど、でもあの状況では、それが最適と思ったから……』
『違いますね。ミス・アルハンゲル。あなたがそれを使ったのは、それがミュゼットが開発した、ミュゼットの魔法だからです』
『…………っ』
『〝姉様〟なら、ここでこうするだろう。〝姉様〟なら、これを使うだろう。そういう邪念がなかったと、胸を張り、皆に言えますか?』
その問いにミュウは答えられなかった。
あまりにも図星だったのだ。
『だ、だけど、上手くいけば実際あの場で再封印ができていたはずよ!』
『ミュゼットだったらできたはず、と?』
『ええ、姉様なら絶対できたわ!』
見を乗り出すように言うミュウに、秘書は溜息をつき、そして冷ややかな視線を向けた。
『……ミス・アルハンゲル。いい加減、目覚めなさい。あなたは何になりたいのです? 強い魔法職になりたいのですか? それともミュゼットになりたいのですか?』
『そ、それは――』
――そこまで思い出し、ミュウは我に返る。
ああ、駄目だ……
お湯を使いすぎている……
ミュウは慌ててシャワーを止めると、名残惜しさを少し感じながら湯浴みを終えた。
彼女は細い体をバスタオルで拭き、脱衣所に行くと、寝巻き用のネグリジェを着て自室へと戻る。
行倒れていた自分を拾ったお師様が急ごしらえで用意してくれた、こぢんまりとしたその部屋には、ベッドと、机と、衣装棚。それ以外のものは何もない。元々、物置部屋だったので、それ以上のものを置くスペースがそもそもここにはないのである。
ミュウは、はふぅ、と息をつき、そんな狭い部屋に押し込められた小さなベッドにぼふんと仰向けに倒れ込んだ。
頭の中でリシェルの言葉が、何度も、何度も、再生される。
――あなたは何になりたいのです? 強い魔法職になりたいのですか? それともミュゼットになりたいのですか?
「あたしは…………」
ミュウは虚空に手を伸ばし、何かを掴むような仕草をした。
恐らく、たぶん、本音を言えば、自分は〝姉様〟に追い付きたいのだ。
それはもう憧れという感情を超えた、ある種の執着ともいえた。
姉妹ゆえに、いや姉妹だからこそ、遠くへ行ってほしくない。
理性が無理だと気付いていても止めようのない憧憬を、自分は姉に抱いている。
多分、本当にそれ一本で今まではずっとやってきた。
少しでも姉に近付きたい、少しでも姉と同じになりたい。
そんな思いから学園を抜け出し、冒険者を志したのだ。
でも今は、どうだろう?
今の心にあるものは姉への憧れだけだろうか?
――おいどんたちには、お前のような賢い仲間が必要でごわす。
……いや、違う。そうじゃない。
ミュウの頭に浮かんできたのは、とある少年の顔だった。
憎らしいほどまっすぐで。
呆れ返るほどの強さがあって。
何より優しい、あの男。
彼の隣に立てるような、彼にふさわしい魔法職になりたい。
そんな思いを、明確に、ミュウは初めて意識した。
自分は飯屋貴政や、彼が主導するパーティに恥じぬ存在になりたいのだ。
そう思い、胸に手を当てたミュウは何をすべきかを考え始めた。
数日以内に確実にイビルヤンカシュは街に来る――そう、ヴァネッサは自分に言った。
彼女は逃げる準備をしろと非情なことを言っていたが、そんなことをする気もちろんない。それをやるには、この街に大切なものが増えすぎたからだ。
逃げ出すわけにはいけない以上、迎撃手段を考えなければ。
(だけど、あたしの最大火力の【獄炎大旋風】は弾かれた)
つまりは普通の魔法ではなんのダメージも入らない。
魔力障壁が厚すぎるのだ。
恐らく、貴政の攻撃ですらも物理的に彼を押し返し、ダメージを与えることはできないだろう。
(だったら、それに特化した魔法……障壁を貫くことだけを考えたようなピーキーすぎる魔法はない?)
ミュウは記憶の文献を漁り、それに該当するようなものがないかを必死に考えた。
だが、そのような極端な魔法は当然、魔導書には載っていない。
そう、通常の魔導書には。
ミュウは、はっ、となり息を飲む。
確かにそれは型破りな発想だ。
ただし世界にたった一冊だけ、そういう魔法が書かれた本がある。
彼女はベッドから立ち上がり、引き出しの奥を捜索する。
すると埃を被ったノートが彼女の前に現れた。
「……ひさしぶり。元気だった?」
ミュウは口元をほころばせながら、その白い本の表紙を撫でる。
そこには色とりどりの色蝋でこんなタイトルが書かれていた。
『わたしがかんがえた せかいさいきょうの まほうのほん』




