第39話:邪竜復活ッッ
関取の呼吸、拾参の四股――〝翔去流〟。
〝太凰配牌〟という別名でも知られるこの呼吸は、周囲の岩や柱などを思い切りぶん投げて、その上に乗って飛行する完全な「逃げ」の技である。
力士の中にはこの呼吸を、臆病者の技として禁じ手とする者もいる。
しかし貴政はそうではなかった。
少年のマゲが受信した力士的第六感は、そのような技を使ってでも、一刻も早くその場から逃れるよう彼の全身に警告したのだ。
その直感は見事に当たった。
ヴァネッサを抱えた貴政が霊廟の外に着地するのと、ぐらぐらと揺れる祭壇が地響きとともに崩れ落ちるのは、ほとんど同じタイミングだった。
間一髪、危機を脱した貴政たちはぜぇぜぇと肩で息をする。
「タカマサ!」「姐さん!」「ヴァネッサ殿!」
待機していた3人が2人の下に走って来る。
貴政は抱きかかえていたヴァネッサを降ろし、汗ばんだ顔で息をついた。
「……危なかったでごわすなぁ」
その後、3人は異口同音に何があったかを2人に尋ねた。
主な応答はヴァネッサが行った。
大技を使用した貴政には少し休息が必要だった。
「――つまり〝涙〟は意図的に偽物にすり替えられていたってこと?」
事のあらましを聞いた後、最初に口を開いたのはミュウだ。
「そういうことになるだろうねぇ。もはやメンツがどうだとか、そういうことを言ってる場合じゃないよ。一刻も早くここから抜け出てギルマスの奴に報告しないと」
「……いや、それは、どうでごわそうな? そう簡単にいかぬやもしれぬ」
「そいつぁ、どういうことだい? オーク野郎?」
「感じぬか? 何かとてつもなく大きなものが近付いて来る気配を?」
瞬間、ぐらりと大地が揺れた。
祭壇だけでなく、その周囲までもまるで地面が波打つような強烈な揺れに晒されたのだ。
ヴァネッサ一味の男たちはたまらず悲鳴を上げて、地面を這いつくばっていた。
一方、貴政は「呼ッ」という声を上げながら、両脇に女性陣を抱え込み、サツマ武術に古くから伝わる守りの型〝三戦〟の構えを取る。
この構えは非常に安定していて、そのおかげで少なくとも3人は体を土で汚さずに済んだ。
地響きは長く、激しく続いた。
やがて魔法陣に囲まれた〝霊廟〟の石畳に亀裂が入り、その中心部から何かがぬっと顔を出す。
果たして、それは「腕」だった。
爛れ、ずる剥け、骨が見える、黒い鱗に覆われた巨大な腕。
全長10メートルはある鈎爪のついたその腕が、まるで石畳を掻き割るように轟音とともに姿を現し、続き、その倍の長さの「首」が黒煙とともに這い出て来たのだ。
誰もが思わず息を飲む。
貴政さえもそうだった。
日の遮られた毒霧の中でのけぞるように天を見上げた〝邪竜〟は、半分が骨になっているその朽ちかけた顎門から、まるで現世への怒号のように耳を聾する咆哮を上げた。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
一行は怯み、戦慄した。
あまりの衝撃に白目を剥いて失神しかける2人の手下に、ヴァネッサはどすどすと蹴りを入れ「起きやがんなぁ!」とどやしつける。
「気ぃ失ってる場合じゃないよお前たちっ! さっさとここから、ずらかるよっ!」
「ヴァネッサどん、大変にごわす! 囲まれてしまっているでごわす!」
貴政は女獣人に呼びかけ、周りを見るよう促した。
すると、なんということだろう!
そこには骸骨兵や腐乱犬などの、道中で戦ってきた敵がずらりと並び、中にはそれらの上位種である骸骨騎士や腐乱双頭犬などの姿も見えたのである。
「呪瘴気よ! あいつが出してる負のエネルギーがアンデッドたちを喚んでるの!」
蒼白な顔で杖を取るミュウは、しかし気丈に立ち上がり、皆に状況を説明する。
「イビルヤンカシュの封印が部分的に解けてきてるのよ! あいつをなんとかしない限りアンデッドたちは無限に湧き続ける!」
「じゃあ、どうしろって言うんだい! ここでくたばれって言うのかい!」
「そうじゃないわ! 少しでもダメージを与えれば再封印ができるかも!」
「ダメージたって、どうやって……」
そう言いかけたヴァネッサの前で貴政はフムと頷いた。
「わかったぞ、ミュウ。以前、おいどんに使った魔法を奴に当てようというのだな?」
「ご名答! あんたには防がれちゃったけど、アンデッド化したあいつに対して火属性の魔法は効果抜群のはずよ!」
「どれぐらい時間を稼げばいいでごわす!」
「最大威力で使うなら5分は稼いでほしいかも!」
「5分だとぉ!?」とヴァネッサは、無茶なことを言う猫耳少女に食い下がろうとした。だが貴政が立ち塞がって「ヴァネッサどん!」と声を張り上げる。
「喧嘩している場合ではない! 他にいい案があるでごわすか!」
「そ、それは……っ」
「なら信じるしかない! とにかく5分しのぎ切り、ここから生きて帰るでごわす! ズラードどん! ヤボックどん! お主らの力も必要でごわす! ここで寝ていては男ではないぞ!」
貴政は大声で呼び掛けて、戦意を喪失している男たちに活を入れた。
「ち、畜生めぇ! やってやらぁぁぁ!」
「しょ、小生も男ですぞぉぉぉ!」
果たして、彼のその言葉は、震えあがった2人の精神に発破をかけたようだった。
ズラードとヤボックは共に立ち上がり、片方は拳を魔力で光らせ、もう片方は杖を掲げながら呪文を詠唱し始める。
かくしてアンデッドとの大乱闘――否、死の舞踏会が始まった。
貴政は〝翔去流〟の反動によってしばらく呼吸が使えない。
よって周囲を駆け回り、戦士職たちが対処できない幽体系のモンスターたちを処理することに専念した。
「うおおおおおお! 振塩! 振塩! 振塩! 振塩! 振塩ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
――ファァァァァァン ファァァァァァン ファァァァァァン ファァァァァァン ファァァァァァン
生霊を筆頭した幽体たちは、聖なる塩の力によってなすすべもなく消滅してゆく。だが、なんにしても数が多く、彼だけでは対処しきれない。
「小生、聖魔法はあまり得意ではありませんが……援護しますぞっ! 【聖魔弓】ッ!」
ヤボックの杖から光が放たれ、それは名の通り矢のように幽体たちを貫いてゆく。
「ナイスでごわす!」と貴政は叫び、引き続き除霊を行った。
「ズラード、骨野郎どもはお前に任せた! お前の打撃攻撃の方がこいつらにゃ効くみたいだからね!」
「わかりやしたぜ、姐さん! じゃあ犬っころの方は頼みやす!」
ヴァネッサとズラードも負けていない。
彼女たちは役割分担を決め、より効率よくアンデッドたちを物理攻撃で仕留めていった。
その中心。
〝霊廟〟の淵に立っているミュウは呪文を詠唱し続けていた。
たった5分、されど5分。
その絶妙な詠唱時間は、ミュウにとっても他の者たちにとっても、まるで永遠のように長く感じられた。
「――ッ、できたっ!」
しかし連携が取れているおかげで彼女に危害が及ぶことはなく、高火力呪文の詠唱は難なく遂行されたのだった。
「ミュウ、行けるかっ!?」
「ばっちりよ! あれだけ的が大きければ外すことなんてありえないわ!」
啖呵を切ったミュウは杖を振り上げて、空中でくるくるとそれを回す。
彼女の頭上にはその身長を超える巨大な火球が形成されていた。
「全てを消し去り、焼き尽くせっ! 【獄炎大旋風】ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
少女は杖を振り下ろした。
すると巨大な火の球は、弾丸がごときスピードでイビルヤンカシュに飛んでゆく。
閃光! 轟音! 大爆発!
それは邪竜の頭部に命中たり、邪悪な霧を振り払う巨大な打ち上げ花火となる。
「やったでごわすか!?」
「やったかい!?」
「やったのか!?」
「やったんですかな!?」
皆が一斉にそう叫ぶ。
ミュウはよろりとふらついて、思わず膝を突きそうになった。
「や、やったわ……なんとか、これで…………っ」
そう言いかけた時だった。
『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
再び、咆哮が鳴り響く。
爆炎の靄が一気にかすむ。
皆が一様に〝霊廟〟を見ると、そこには傷1つ負っていないイビルヤンカシュの姿があった。
「そ、そんなっ! 全力でっ、最高火力を当てたのにっ!?」
ミュウはその場にへたり込む。
精神力切れも重なって、彼女の心はぽっきりと折れてしまったようだった。
「やってくれたね、お嬢サマ! おかげでこちとら働き損だよ!」
「あ、姐さぁん! あの野郎っ、俺たちのことを見てますぜぇ!?」
「き、気を引いてしまったんですかなっ!? ひ、ひえぇ! 口が開きましたぞ!」
ヤボックが指を差した先。
20メートルほど先にある肉のずる剥けた巨大な頭部は、明らかに一行を視認して、かつ、その口の中に血のように赤黒い邪瘴気の塊を生じさせていた。
「恐らくブレスを撃つ気だろうねぇ……あたいらは、ここで終わりだよ」
ヴァネッサは苦虫を噛み潰したような顔で、吐き捨てるようにそう言った。
「そ、そんなぁ!」
「あんまりですぞぉ!」
手下の男たちは再び抱き合い、おいおいと涙を流し始める。
誰もが絶望に打ちひしがれていた。
たった1人を除いては。
「皆、よくやってくれた。後はおいどんに任せるでごわす」
飯屋貴政はそう宣言し、回し一丁で前に出る。
彼は1人、臆しもせずに、濃い毒瘴気に汚染された〝霊廟〟の中に足を踏み入れる。
「た、タカマサ!? 何する気!?」
「するべきことをするのでごわす」
「む、無茶よっ! あんた1人じゃ止められないわっ!」
「いや、おいどんが止めてみせる。なぁに、大丈夫。サツマ男児には最強の神がついておる」
不敵な顔でそう言うと、貴政は、どんっ、と四股を踏み「はっけようい」の姿勢を取った。
同時に邪竜は「それ」を吐く。
皆を守るべく立ちはだかった1人の男を飲み込むように、赤黒い邪瘴気の奔流が彼の肉体に殺到した。




