第34話:あくる日の明晰夢
「あなたは何をしてるのです!」
アルハンゲル家の侍女頭、教育係のマイヤーは、モノクルを掛けた目を怒りで釣り上げ眼下の少女を叱っていた。
「お嬢様からいただいた貴重なご本に! それも貴重な色蝋で、こんな落書きをするなんて!」
対する少女は泣いていた。
うなじの辺りで2つに結んだアッシュブルーの髪を、まるで短い尻尾のようにぴょこぴょこと揺らす獣人種の少女は、緑色の目を涙で潤ませ、えぐえぐと嗚咽を漏らしていた。
「だ、だってぇ、ね、ねえさまがぁ。すきにつかって、いいっていうから……」
「そういう意味ではありません! これは仕置きが必要ですね!」
「やっ! やめてぇぶたないでぇ!」
侍女頭は腕を振り上げた。
が、後ろから制止の声を掛けられる。
彼女がはっと振り向くと、そこに金髪で緑の目をした10代中頃の少女が立っていた。
「あんまりミュウをいじめないで?」
「ですがミュゼットお嬢様!」
「色蝋だって、わたしがあげたの。どう使ったってこの子の勝手よ」
ミュゼットと呼ばれた少女が毅然と言うと、マイヤーは何か言いたげに口を開きかけ、しかし言葉を飲み込んだ。
「……お嬢様がそこまでおっしゃるのでしたら、今回ばかりは勘弁しましょう。ですが甘やかしすぎぬよう。獣人はあくまで獣人ですので」
そう吐き捨てたマイヤーは肩を怒らせ部屋を出た。
まだ、しくしくと泣いているミュウをミュゼットはやさしく抱きしめる。
「ね、ねえさま、ごめんなさぃ……」
「いいのよミュウ。なにを描いてたの?」
「わたしの……まほうをかいてたの」
「ミュウの魔法?」
「そう。わたしだけの、わたしがかんがえた、さいきょうのまほう」
そう言ったミュウは教本を取り出し、色蝋を塗りたくった該当ページを上目遣いに姉に見せる。ミュゼットはふむふむとそれを読み、やがて感心したようにミュウの肩を叩いた。
「すごいじゃない! これミュウひとりで考えたの?」
「うん!」
「ミュウは魔法の天才ね。お姉ちゃん、すぐに抜かされちゃうかも」
「ほんとぉ!」
そう言うと、ミュウは機嫌を良くして目をごしごしと服の袖でぬぐった。
「あのね! おねえさま、わたし、ゆめがあるの!」
「夢?」
「うん、あのね、おっきくなったら、わたしねえさまみたいなね―――――――
……………………ュウ! ……………ミュウ!
まどろみを終わらせたその声は、しわがれた老婆のものだった。
彼女はゆっくり目を開ける。
すると朝靄の空を背景にして、心配そうに自分を覗き込む老女の顔が目に入る。
「……お、お師様」
「馬鹿だねぇ。また精神力が切れるまで魔法の修行をしてたのかい?」
「短縮詠唱、おぼえたくって」
「この、あほたれ。それでこんなふうに倒れてたんじゃあ、体の毒になるだけじゃないか」
老婆はペチンとデコピンする。
あいたっ、と顔をしかめる少女に彼女は厳しい口調で言った。
「いいかい、ミュウ? あんたを拾ってやったのは、ただのお人好しじゃないんだよ。薬師の仕事も暇じゃあないんだ。ぶっ倒れてる暇があったらね、薬草の1本でも採ってきな」
「はい、お師様……」
「それと〝姉様〟のことはねぇ、今は考えない方がいい。あんた、精神力切れで気を失ってる時、ずっとそのことを言ってたよ」
そう言い、老婆は肩を貸す。
ミュウは何かを言おうとしたが、結局、言葉にすることができず、杖を取りながら地面を立った。
◆◆◆
「おい、聞いたかぁ?」
冒険者ギルドのサブロビー、通称リガルミンの酒場。
厚い木材で組まれた梁が頭上を走り、魔蝋のシャンデリアが温かな橙色の光を落とすこの場所は、共に旅に出る仲間を探し、時に祝杯や苦杯をあおる冒険者たちの憩いの場である。
そんな中、1人の男――粗末な皮製の鎧を持った盗賊職風の装いの男が、なみなみに酒の注がれた樽ジョッキを手に、昼間からくだを巻いていた。
「あの男、またしてもやったんだとよぉ! 今度は女郎大蛇を倒したらしい!」
「お前その話、さっきもしてたじゃねェか?」
「いや、だってよぉ、すごいじゃねぇか! 俺たちだったら普通の女郎蛇でも3人がかりでやっとってとこだ! それをあの男、1人で倒したんだとよ!」
「いや、僕の聞いた話だと、あの魔法職の子も活躍したらしい」
「ミュゼット・アルハンゲルの妹か! いや、俺はなぁ、最初からあの子は伸びると思ってたんだ!」
「じゃあ、誘っとけや! ソロだっただろォ!」
「ガハハハハ! そりゃあ違ぇねぇ! まさに、ありゃ〝未精錬の星銀〟だったなぁ!」
円卓に掛ける冒険者たちは酒を片手に笑い合う。
――そこから遠く離れた席で、獣人種の少女が神経質にピクピクと猫耳を動かしていた。
「どうした、ミュウ? 何か聞こえたか?」
「……ううん、何も」
「浮かない顔だな。というか、少しやつれておらぬか?」
ミュウの目の前に掛ける巨漢。
飯屋貴政は心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
隣にかけているクゥもまた同じようにじっと彼女を見つめている。
どう返そうかミュウは悩んだ。
疲れているのは確かである。
何せここ3カ月で自分の生活は、文字通り一変したからだ。
ココット村の泉を縄張りにした〝超越巨体猪〟の討伐に始まり、貴政率いる3人組「ちゃんこ好き好き同好会」は様々な偉業を成し遂げて来た。
これは貴政の体質なのか、簡単なクエストを受注しても、高確率で彼の前にはAランクモンスターを含む強力な魔物が出現する。中には彼が〝運命の女神〟に選ばれし者、言い換えるなら、ある種の定めを持つのだと噂する者もいて、いずれにしても彼はそれらの全てを、ほぼ独力で屠ってきた。
「誰かさんの悪運が強すぎるせいだと思うわ」
「うむ、それは確かにそうかもしれぬ。苦労を掛けるでごわすなぁ」
貴政はなんの嫌味もなしに、本当にそう思っているのだとわかる声でミュウのシニカルな言葉に答えた。表裏などという概念はこの男にはないものだ。
一方、自分はどうだろう?
口だけはやたら達者なくせに実際に役立ったことはあるだろうか?
そんな懸念が顔に出てしまっていたのだろう。
貴政はフムと顎に手を当てて、何かを考えるような仕草をした。
「あのなミュウ、確かに最近、おいどんたちはちょっと頑張りすぎた。少し休んでもいいかもしれぬでごわす」
「別にいいわよ、気を使わなくっても」
「いやいや、そういう意味ではなくてな、おいどんたちみんなのためにごわす。よかったら、しばらくクエストを休んでちゃんこパーティでも開かぬか? 鶏肉や豚肉など普通の肉を市場で買ってくるとしよう」
「いいってば」
「しかしだな、たまにはちょっとした息抜きも……」
ミュウはドンッとジョッキを置いた。
思ったより大きな音が出た。
「……本当にいい。大丈夫。やるなら、あんたら2人でやって」
「薬屋の仕事が忙しいのか?」
「ええ、そうね……そんな感じ」
ミュウは咄嗟に嘘をついた。
本当はもっと個人的なことで消耗しているだけなのに……
――最低だわ、あたしって。
ミュウは自分に嫌悪した。
相手が善意で誘っているのは誰がどう見てもわかりきっている。
だがストイックな自己の一面が、遊んでいる暇なんてないという否定の意思を示すのだった。
今日のクエストは薬草採集。
いつものようにクゥさえいれば余裕でこなせるものだろう。
だが、いざという時のために精神力回復のポーションを飲んでおいた方がいいかもしれない。
そう思い、席を立ちかけた時、サブロビーの入り口にギルドの秘書が立っていることに気が付いた。
一体、何をしに来たのだろう?
そう思っていると目が合った。
彼女は周りを気にするように、2、3度周囲を見回してから、やがてくいくいと手招きする。
……呼ばれているのはあたしじゃない。
……恐らく本当に呼ばれているのは――
「ご指名よ」
「む?」
「ほら、後ろ見て。薬草採集は中止みたい」
「一体、なんの用でごわそうか?」
ミュウは、さあね、と肩をすくめて見せる。
しかし彼女は確信していた。
多忙なことで知られる秘書が、わざわざ、こんなところまで来るのはロクな要件じゃないことを……




