第29話:ウーサの泉
「もう、そろそろでございます」
決断を迫る村長の手をためらいもなく取った貴政は、まさに今、彼の案内によって巨体猪が縄張りにしているという〝ウーサの泉〟に案内されていた。
徒歩にしておよそ30分。
確かにかなりの近場といえる。
そんな場所を魔物の住処にされてしまった村人の心境たるや、察するに余りあるものだ。
彼らはティナや村長と同じ兎耳の獣人たちであり、村を出る時、小柄な痩せた体を折って「どうかお願いします」と懇願してききた。相当、貧乏なのだろう。恐らく、彼らも満足に飯を飯を食えてはいないのだ。
貴政は義憤に燃えていた。
必ず魔物を成敗し、ティナの妹と村人たちを助けるのだ、と。
そういうことを考えてるうち、ふいに村長が足を止めた。
彼がじいっと見るものがある。
それは一本の大木だった。
「あの大きな木が見えますか? あれより向こうが、かの魔物めの縄張りの境界のようなのです。なぜ、そんなことがわかるかというと……苦い経験則からです。あそこを越えた若者たちが2人犠牲になりました」
「その猪に?」
「ええ、そうです。ここへ来た3人の若者のうち、1人だけここを越えませんでした。彼は泉の方角から怖ろしい悲鳴を聞いたといいます。その際に彼が見た姿だけが魔物の正体の手がかりなのです」
村長はぶるりと身震いした。
彼は手と手を組み合わせ、散った者たちに祈りを捧げる。
「メシヤ殿」
そう言って、彼は複雑な模様が書かれた護符のようなものを貴政に渡す。
「気休めにしかなりまぬが、これはこの村に代々使わるスウシャイ神のお守りです」
「かたじけない」
「それと、もし。泉に近付いた時に魔物が近くにいなかったのなら、無理に倒す必要はありません。我々に必要なのは薬草なのです。それを何本か採ってきてくれれば、報酬はお出しいたします。どうか、ご無理をなさらぬよう」
村長はそこで足を止めた。
貴政は彼と握手を交わし、大木の奥、魔物のテリトリーに足を踏み入れた。
そのまま、まっすぐ進んでゆく。
まるでこれから死ぬ者を見るような目で見送られてしまった貴政だったが、実は当人はこの任務にそれほど危機感を覚えてはいなかった。というのも、呼吸の1つである探知技「陸の四股――〝把握法〟」によって、近くに敵の気配がないのがすでにわかっていたからだ。
――牡丹鍋、食いたかったなぁ
などと呑気なことを思う貴政だったが、そうは言っても、まず今は薬草採取が優先だった。何しろティナの妹の命がかかっているのだから。
なんていうことを考えてるうち、貴政は泉に到着した。
そのスケールに彼は圧倒される。
それは泉と表現するには大きすぎるように思われた。
「でかいでごわすな」
なんとなく貴政は「泉」というのを、金の斧と鉄の斧を持った女神が出てくるようなこぢんまりとした水溜まり。深い沼のようなものをイメージしていた。
だが彼の目の前に広がるそれは、およそ円形に広がった池のようなスケールのプールであり、ほとりから見た水面は浅く、水は大変に澄んでいた。ここで水浴びをしたらさぞや気持ちいいだろうなぁ、などと彼はまたしても呑気なことを思う。
しかし泉の中央には、ぽっかりと開いた底の見えない穴が黒々と口を開けている。
それは人間の潜在意識に恐怖をもたらす光景だった。
あの穴はどこに続いているのか? もし吸い込まれたらどうなるのか?
なんて想像が貴政の脳裏をよぎったが、彼は「いかん」と首を振った。
畏怖などしている場合じゃない。
呪いに苦しむ少女のために一刻も早く薬草を探さねば!
思った彼は鞄から植物図鑑を取り出した。
ミュウから借りたものである。
付箋の貼られたページをめくると、そこには目当ての解呪草の詳細なスケッチが載ったページがあった。
どうも青い花を咲かせることがあるらしいが、今はそういう季節ではないのか、それらしきものは見当たらない。こんな時、クゥが居てくれたなら心強かったに違いないが……
「いや、まあ言っても仕方あるまい」
貴政は再び首を振る。
安全面に配慮して、あの子は村長の家に預けてきたのだ。
確かに魔物はいなかったものの、それは結果論にすぎないことで、その選択をしたこと自体を悔いるべきではないだろう。
「とりあえず、あの草が似ている気がするが……いや、葉の形が少し違う? ううむ、わからんでごわす」
とまれ貴政は考えるよりも行動してみることにした。
今のうちに似ている草を集めるだけ集め、あとで村長に確認に行けば、1本ぐらいは正解の草が混じっているかもしれないからだ。
「うむ、これは違う。これも違う……むっ、これは中々似てるでごわすな。とりあえず、これはキープでごわす。おっ、こっちのも似ているなぁ」
なんて独り言を呟きながら、彼は薬草らしき草を革袋の中に集めていった。
おおよそ5分か10分くらいは、そういう作業をしていたろう。気付けば、小さな革袋の中は草でいっぱいになっていた。
とりあえず、一度、確認に戻ろう。
そう思いながら立ち上がり、土の汚れを払おうとした時――
キュルルリィィィ~~~ン! という金属質な、おニューなタイプのSEが貴政の脳裏に鳴り響いた。
貴政は、はっとなり革袋を懐の中にしまいこむ。
危機的状況を告げる〝力士的第六感〟――それを彼のマゲが受信したのである。
本能的に貴政は泉から距離を取るべきだと思った。
その直感は当たることとなる。
泉の中央にぽっかりと開いた黒々とした大穴からぶくぶくという泡が浮かび始め、何かがぬっとその穴の中から水面に浮上したのである。
『ブモォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!』
天を突くような咆哮とともに「それ」はバシァァァと水しぶきを上げ、ズシンと地面に着地した。
突如、現れたその魔物を貴政は唖然と見上げた後、思わず苦笑いしてしまう。
――恐らく、泉に居座ってるのは巨体猪っていうC~Dランクくらいの魔物よ。外見的な特徴としては、文字通りちょっとでかめの猪って感じ
「ミュウめ、おいどんを謀りおったな。さすがに、これは……恨むでごわすよ?」
貴政は魔物に向き直り、臨戦態勢の構えを取る。
巨体猪――そう思われていた個体は、体高だけで4メートルを超す、超大型の魔物だったのだ。
【作者コメント】
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