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2話 本物のメイドさん

 誰かが部屋の扉をそっと開けると、硬い床を踏む足音が静かに響き、確実にベッドへと近づいてくる。

理沙の体は動かないまま、神経だけが研ぎ澄まされていく。


ベッド脇に立ったのは、一人の少女だった。黒いワンピースの上から真っ新なエプロンドレスを身につけて、エプロンと同じ素材のベッドドレスを頭に付けている。


理沙の脳内では、推しである蕾ちゃんの新衣装がメイド風だった事を思い出すが、目の前に立った少女は、スカートの丈はもちろん無駄なリボンやフリルなどは付いておらず、彼女が"洗練された"メイドであるとすぐに分かった。


彼女は栗色の髪を低い位置でまとめ、両手には銀のトレーと白い陶器のカップ。


彼女は理沙の顔を覗き込み、目が合った瞬間、ぴたりと動きを止めた。瞬きを数度繰り返したあと、状況をようやく理解したのか、トレーをそっとテーブルに置き、再び理沙の顔をのぞき込む。


「り、リサ様……! お目覚めになられたのですね!本当に、良かった……!」


その瞳には、涙の膜が光っている。


“リサ”という呼び名に、理沙の目が思わず揺れ、眉間に皺がよる。けれど、言葉は出てこなかった。重たい体と、ひどく乾いた喉が、声を押し留めていた。


「喉、渇いていらっしゃいますよね! 今、お水を用意しますね!」


少女は優しく理沙の体を支え、ふかふかのクッションを背に当ててゆっくりと上体を起こした。

陶器のグラスが理沙の口元に優しく運ばれる。水面からはかすかに花のような香りが漂い、ひんやりと冷たい水が喉を潤した。


それは、まるで生き返るような感覚だった。

わずかに力を取り戻した唇が、初めて言葉を紡ぐ。


「……あ、あの……」


震える声。しかし、問いかけたいことは明確だった。


「あの……ここは……どこですか?」


少女の目が、明らかに同様している。その反応に、理沙の表情には彼女を驚かせてしまったと申し訳なさが浮かぶ。


「ごめん……なさい。私……よく分からなくて……」


リサの言葉に、少女は悲しみに似た痛ましい表情を見せた。だが、すぐに微笑みに変わる。


「……あ、いえ、大丈夫です! 何もご心配なさらずに。人を呼んできますね!」


そう言って、彼女は慌てた様子で部屋を出て行った。



 背もたれに身を預けた理沙は、ようやく部屋の全貌を見ることが出来た。


寝転んでいる時からは想像を超える広さの部屋には、高級感漂うソファと磨かれた木の机。たくさんドレスが入っていそうなクロードゼット。そして、替えたばかりの花が飾られたガラスの花瓶。


自分が横になっていたベッドは、両腕を広げてもまだ余るほどのキングサイズ。


目に映るすべてが夢のようだった。理沙は、これが現実なのか、それともどこか異世界の幻想なのか、判別できずにただ呆然とする。


すると、廊下から重みのある足音が近づいてくる。コツ、コツ、と響くその音が、床を通じて胸に伝わった。


再び、扉が静かに開いた。


 現れたのは一人の男性。三十代前半ほどの年齢て、髪はきちんと整えられ、身にまとった黒のスーツはどこか格式高い雰囲気を漂わせていた。姿勢は端正で、歩き方に一分の無駄もない。


その立ち姿には、明確な"格"があった。メイドの次に現れたこの男は、まさに"執事"。そう見紛う者だった。


現れた男性は、静かに理沙のそばまで歩み寄った。その所作一つひとつが、まるで舞台の上の演技のように淀みがない。


「お目覚めになられたとのこと、何よりでございます。体調は、いかがですか?」


低く穏やかな声が理沙の耳に届く。冷静なその声からは、微かに心からの安堵と気遣いがにじんでいた。


理沙がうまく答えられずにいると、先ほどのメイドが小走りで戻ってきた。そして、少し緊張した面持ちで執事の隣に立つと、理沙の方をちらりと見て口を開いた。


「執事長様……リサ様は、その、記憶が……」

「……記憶?」


執事の眉が動いた。視線が理沙へと向けられる。探るようであり、確かめるような目。


沈黙の中、重苦しい空気が流れる。だが、執事はすぐにその空気を断ち切るように、優しい笑みを浮かべた。


「……差し支えなければ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


丁寧な前置きに理沙はコクリと頷いた。


「わかる範囲で大丈夫ですので、どこまでお覚えですか?」


理沙は戸惑いながらも、首をわずかに横に振った。すると、メイドが理沙の代わりに言葉を繋いでくれた。


「目を覚まされたときから、とても不安そうで。ここがどこかも、おわかりでないようでした」

「……なるほど」


執事は頷き、手を口元に当て、何かを考える。しばしの沈黙の後、理沙の方へさらに一歩近づき、膝を付いて理沙と目線を合わせた。


「まずは、順を追ってお話しさせていただきますね。私の名は、クロード。このお屋敷で執事長として、旦那様やリサ様にお仕えしております」


そう言って、彼は丁寧に一礼した。まさに紳士とは、この人の事を言うのだろう。それに続いて隣に立つメイドの少女もまた控えめに腰を折った。


「私はジーンと申します。リサ様の専属の……つまり、リサ様の身の回りのお世話をしています」


クロードさんと、ジーンさん。理沙は頭の中で彼らの名前を反復する。


「そして……あなたは、“リサ・エルフィンバート”様。帝国西方を治める、エルフィンバート伯爵家のご息女でいらっしゃいます」


理沙の目が見開かれる。明らかに漢字の"理沙"では無い。今の自分は、カタカナの"リサ"で、まるで異国の物語のような現実味のない肩書きに戸惑いを隠せなかった。


クロードは、理沙の様子をみて、慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。


「そして、リサ様はこのお屋敷を所有しております、"ヒューゴ・デカルト"侯爵様と婚姻関係にあられます」


理沙の表情がより一層険しくなる。以前いた世界では結婚は愚か彼氏という存在も出来たことがない。そんな自分がまさか聞くからに偉い人の奥さんになるとは。


理沙自身"侯爵"という地位がどれほど凄いのかも理解出来ていないが、きっと以前の自分とは天秤にかけるのもおこがましい存在だという事は、理解出来た。


クロードはジーンへ目をやった。それに呼応するように、ジーンが小さく口を開いた。


「……そして、突然裏庭で倒れられまして、それが5日前になります」


理沙にとって、ここまで来ると、倒れた事に対してはあまり驚きはしなかった。きっと自分がここに来た事に影響がありそうだと見立てるが、そんなことよりも、自分が元いた世界とは全くちがう事に恐怖心が込み上げる。


クロードが微かに眉をひそめる。そして、意を決したように口を開いた。


「……ご無礼を承知の上で、申し上げます」


放心状態だった理沙は、現実に引き戻され息をのむ。クロードの目には、ためらいと責任感がにじんでいた。


「……あなた様は、この国では“女狐”の異名を持たれています」


「……え?」


クロードの言葉に、理沙は思わず声が出てしまった。そして、前の世界で最愛の"推し"がオススメしていた漫画を思い出す。

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