■第1話: 旅立ち
ベルリン、1946年
ハインリッヒ・シュミットは、枯れた路地を歩いていた。その足取りは重く、足元には灰色の瓦礫が散らばっていた。戦争が終わり、彼の生活もまた折り返し地点に差し掛かっていた。
かつての親衛隊員であり、ナチス党の一員だったハインリッヒは、戦争終結後に拘留所に送られていた。その間、かつての同志や敵との接触はほとんどなかった。多くの者が戦後の混乱に巻き込まれ、新たな現実と向き合っていたが、ハインリッヒにとっては過去の罪との対峙が日常であった。
彼の心は重かった。妻エレナと息子ヴォルフガングを戦争の狂気で失った後、彼の人生は急速に崩壊していった。今や彼は孤独で、荒廃した街の中でのみ存在を確かめているような気がした。
ハインリッヒは拘留所で知り合った者たちと時折交流を持っていた。その中には彼と同じく、過去の暗い影に囚われた者もいれば、戦争中に起こった出来事を忘れようとする者もいた。その日々の中で、ハインリッヒは自らの罪深さに打ちのめされることも多かった。
「シュミット、君も今日出所だろう?」
拘留所での最後の日、元同胞の一人が彼に声をかけた。クルト・ヴェルナー。彼は戦争中に共に戦った親友であり、同じ拘留所に収監されていた。
「そうだ、クルト。君はどうするつもりだ?」
クルトは軽く肩をすくめた。「まだ決めていない。ベルリンは今、何が起こっているか分からない。」
ハインリッヒは深くため息をついた。彼にも同じ思いがあった。自分の内面と向き合い、新しい人生を模索する覚悟が必要だと感じていたが、その過程で彼を待ち受ける困難は予測できなかった。
「君の計画は?」クルトが尋ねた。
「まだわからない。ただ、前に進むしかない。」
ハインリッヒは自分自身に言い聞かせた。彼は拘留所の門を出ると、まずはかつての家のある地域を訪れることにした。妻と子が暮らしていた家。それは今や戦火によって焼け落ち、空き家となっていた。
瓦礫の中を歩きながら、彼は過去の光景を思い出した。幸せな日々。エレナの笑顔と、ヴォルフガングの無邪気な声。しかし、それらは今や遠い記憶に過ぎなかった。
突然、道端に何かが光るのを見つけた。それは小さな銀の十字架だった。ハインリッヒはそれを手に取り、じっと眺めた。エレナが愛用していたものだ。彼の目から涙が零れ落ちた。
「ハインリッヒさん?」
その声に驚いて振り返ると、そこには若い女性が立っていた。彼女は優しく微笑んでいた。ハインリッヒは初めて彼女を見たが、どこかで見覚えがあるような気がした。
「私はアンナ・ミュラーです。あなたはハインリッヒ・シュミットさんですよね?」
彼女の声に少しの驚きを隠せなかったが、ハインリッヒは頷いた。「はい、そうです。お会いできて嬉しいですが、どうして私を知っているのですか?」
アンナは微笑みながら言った。「私の両親は戦争中、あなたと共に戦った仲間だったんです。私の母、エレナ・ミュラーは、あなたの妻だったんですよ。」
その言葉が彼の心に落ちた石のように響き、ハインリッヒは驚愕した。