77 小さな日常 会えない時間に 4
昼の営業を終えようとしている食堂に、男が一人、入ってきた。
扉の上についているベルのカラン、という音でそちらを振り返ったジャンニは、チラリと見ただけで視線をカウンターの上の皿へ戻した。
男は見るからに身体を鍛えていて、窮屈そうに黒の制服を着ている。城に勤めている騎士だと直ぐにわかった。
ルノーの料理が評判になり、通用門が近いのもあって、この食堂では城勤めの人をよく見かける。その割合として騎士が一番多いくらいだ。
ただ、なんとなく、その男は常連の騎士達とは佇まいが違うような気がして、背中で気配を窺っていた。
男は、知らんふりをして食べ物を口に運ぶジャンニの後ろを抜けて店内をサッと見回し、カウンター内のルノーへ明るく声をかけた。
「やあ、ルノー。シルフィアは?」
「あ、いらっしゃいませ。シルフィアさんは今、裏へ物を取りに行ってるんで、お好きな席に座って待っててください」
軽く頷いた男は、奥の席に座ったものの、メニューを見ることもなく、何かの本を広げて読んでいる。
「……ちょっと、アレ、誰? 常連さんにあんな人いたっけ?」
色々な客がいる、と分かっちゃいるけど、シルフィアさんの知り合いだなんて、ものすごく気になる。しかもルノーとも気安い雰囲気だなんて。
カウンターの上に首だけ伸ばして尋ねると、ルノーが夜の仕込みか、玉ねぎの皮を剥きながらサラリと教えてくれた。
「ああ、あのお方はシルフィアさんの養女先のご家族だそうだ。『お兄様』と呼んで懐いているから悪い人ではないと思うよ。最近、シルフィアさんの働いている日に来てランチを食べていかれるんだ」
どこかのお貴族様だろうが、気さくで付き合いやすいお方だよ、続くルノーの言葉は耳を素通りしていく。
…………待って。シルフィアさんの養女先って、ねえ? この国の皇族じゃなかったですかね?
……そうすると、『お兄様』ってことはだね、あのお方はあのお方なんじゃないかな? ほら、多分、皇太子殿下とかいう帝国唯一の…………ねえ?
ジャンニは恐ろしくて恐ろしくて、後ろを振り返ることができなくなった。
この大陸のあらゆる富を手にできる帝国の皇太子が、こんなうっかり銀行強盗をやらかしてぬいぐるみ屋で細々と更生中の俺と、同じ街の食堂で昼メシをかっこもうというのか!?
人生って何があるか分からねええっ……!
「あっ、お兄様! いらっしゃいませ!」
冷や汗をダラダラと流していたら、直ぐ側で元気な声が上がる。
「あ、そうだ! お兄様、こちらお世話になっているジャンニさんです! ジャンニさんはお兄様と会うのは初めてですよね?」
無邪気な親切心からの紹介に預かり、飛び上がるように椅子から立ち上がって振り向き、ピシッと礼をする。なるべく目を合わせないように深く腰を折って……この後どうすれば!? 皇族の前で勝手に頭を上げていいの? 誰か、助けてくれ!
頭を上げられず固まっていたら、再度扉のベルが鳴って馴染んだ声が聞こえてきた。
「あっ、また来てる! 義兄上、僕とシルフィアの大事な時間を邪魔しないで欲しいのですが?」
いつもなら、この人にささやかな恐怖を感じたものだけど、今は飛びつきたいほどの救世主に思えた。
「何を言うか、それを言うならお前のほうが邪魔者だろう。私とシルフィアはここでしか会えないのだぞ!? お前は一緒に住んでるじゃないか」
「僕達は夫婦ですから、当然でしょう」
「それなら私とシルフィアは兄妹だぞ」
「結婚したら夫が優先ですよ」
「過ごした時間が少ないのだから兄が優先だ」
割と本気で角を突き合わせている二人の声が頭の上を飛び交っている。
シルフィアさんは本当に養女先で可愛がられているようで安堵した。やや過剰な愛情を傾けられている気がしなくもないけど、それはテオドール様で慣れているだろうから平気に違いない。それより。
……俺は、頭を上げる機会を逃したのでは?
いつ顔を上げればいいのか、と腰を折った姿勢で悩んでいたら、ひょこっと白金色が視界に広がった。
「ジャンニさん、ずっと下を向いてますけど、何かありましたか?」
しゃがみ込んだシルフィアが、心配そうに濃い藍色の丸い瞳をこちらに向けて尋ねてきた。
「わあっ!?」
驚きすぎてたたらを踏んで後ろに仰け反ったら、ぐいと首の後ろ襟を掴まれた。
「ジャンニ、気をつけてね?」
「あ、ありがとうございマス」
……テオドール様の声が冷たい。この『気をつけて』はコケないようにじゃなくて、シルフィアさんに構われて彼の不興をかわないように、のほうだろうなあ。
もしかしたら、テオドール様は、まだシルフィアさんに下から覗き込まれたことないのかも。どことなく嫉妬の気配を感じる。
シルフィアさん、今直ぐにテオドール様を下から覗き込んであげて。
その願いは予想外の形で達成された。
「フィーア、おいで」
俺を放り出したテオドール様が、すかさずシルフィアさんに覆い被さるようにしてニコッと笑いかけると、反射のように無垢な笑顔が返される。途端に彼は幸せそうな笑みを浮べ、ゆっくりと彼女を抱き起こした。
……うわあ、この人、自らシルフィアさんにしゃがみ込んだまま見上げてもらうという体勢を作りにいったよ。
「テオ、お兄様。今日のオススメはベーグルサンドですよ。パンがしっかりモチッとして食べごたえがあります。それとトマトスープは、私も作るのを手伝ったんです。どちらも美味しいですよ!」
テオドール様の腕に掴まったまま、ニコニコと宣伝するシルフィアさんは店員の鑑だと思う。それに彼女のひと言でいがみ合っていた二人が競ってそれを注文し、もう三人仲良くテーブルについている。
シルフィアさんは、意外と自分の使い所を理解しているのかもしれない。
■■
「もしかして、シルフィアちゃんのお兄様ってのはたいそうなお貴族様なのかい?」
シルフィアさん達が帰った後も、ルノーの友人特権で俺一人、店内に残ってくつろいでいたら、休憩中のチェレステさんが突然尋ねてきた。
……さすがに、これは正直に言わないほうがいいよな? たとえチェレステさんでも皇族相手だといつも通りっていうわけにいかないだろうし、それでもし、皇太子殿下がこの店に来づらくなってシルフィアさんに会えなくなったら、恨まれて俺が国外追放されるなんてこともありうる。
冷や汗をダラダラ流しながら考えているとチェレステさんがふむ、と苦笑した。
「何でもかんでも知ろうというのは欲張りだったね。あんたがそうまで悩むってことは、聞かないほうがいいんだろ?」
申し訳なさ全開で小さく頷くと、チェレステさんはからっと笑ってポンと肩を叩いてきた。
「あの方がどういう人であれ、シルフィアちゃんにとって良いお兄さんってことが重要なんだ。だから、私はこのまま知らないでいるよ」
チェレステさんは、肝が太い人だと感嘆していたら、肩に置かれた手へ、ぐいと圧をかけられ、ニヤリと笑いかけられた。
「そういえば、うちの皇妃殿下は西の国の王族出身で、テオドール様のお父上のハーフェルト公爵閣下もそうらしいね?」
俺の目が限界まで見開かれるのを面白そうに見守っているチェレステさんは、随分と腹が据わっていると思う……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ジャンニさんの胃が心配……。




