74 小さな日常 会えない時間に 1
「テオドール様、そろそろ出発しないと間に合いませんよ!」
「……うん」
「テオ?」
「フィーアと離れるのが寂し過ぎて。もう少し補給したら行くから、あとちょっとだけ、このままにさせて!」
今日から学院が始まるということで、アパートメントの玄関まで見送りに出たら、テオが動かなくなった。
ぎゅううっと抱きしめられて、久々に補給という言葉を聞いた。お休みの間は一緒にいることが多くて、こんなに長くぎゅっとされることはなかったので新鮮だ。
ちらりと見上げた彼は目を閉じて、確かに何かを吸収しているように見えた。
うーん、私から何が出ているのだろう? こちらからは、テオの何かを吸収することできないのかな?
首をひねったところでハッと気がついた。
……そうか、テオが私に会えないってことは、私もテオに会えないってことなんだ。
この幸せな気分にさせてくれる温もりと離れなければならないと理解した途端、淋しくなってテオの背へ回した腕に力を込める。
「私も補給します!」
「あ、可愛い。もうどこにも行きたくないんだけど!?」
「何を言ってるんですか、もう走らないと間に合いませんよ! 初日からハーフェルト家の跡取りが遅刻ギリギリなんて笑われますって」
「笑わせといたらいいよ。……わーっ」
ついに堪忍袋の緒が切れたらしいフリッツさんに、首根っこを掴まれたテオが外へ連れ出されていった。きっと扉を出たら、スッと居住まいを正してフリッツさんと学院まで全速力で走るのだろう。
「明日はもう少し早くお見送りしたほうがいいでしょうか」
「そうですねえ」
「テオドール様がシルフィア様にしがみついている時間が長くなるだけでは?」
ニコニコしているウータさんの後ろから、ルイーゼが爽やかな笑顔で言い切り、私はそうかも、と目を瞬いた。
……結局遅刻ギリギリになるなら、時間を変える必要はないかな? でも、幸せな補給の時間が増えるなら、それもいいかもしれない。
離れてしまったテオの温もりをとどめるように手を握りしめて、そのまま上に挙げる。
「今日も一日、私も頑張ります!」
■■
勉強を済ませて、お昼前にルイーゼと外へ出た。
「ルイーゼは食堂でのお仕事は初めてですね」
「大丈夫です、フリッツさんにしっかり教わりましたから!」
胸をドンと叩くルイーゼは頼もしい。私は初日ドキドキしっぱなしだったし、今日も2ヶ月ぶりで少しだけ緊張しているくらいだから、とても尊敬する。
「ルイーゼは凄いですねえ。私は初めてのことはちょっぴり怖いです」
「何事もやってみないとわかりませんからね! でも私はあんまり深く考えずに飛び込んじゃうんで、よく叱られます」
……なるほど、色々考えすぎないほうがいいのかも。私も見習おう。
ルイーゼとお喋りしながら歩いていたら、あっという間に食堂に着いた。
まずは開店準備だ、と意気込んでいたら、チェレステさんに手招きされた。
「シルフィアちゃん、お休みの間もお客としてきてくれてありがとうね。今日からまたお手伝いしてもらうのはありがたいのだけど、実は最近、妙な客が来ていてね……」
カウンターのすみっコで向かい合うチェレステさんの眉は下がっていて、珍しく歯切れも悪い。
……妙なお客様って誰だろう? どんな人かな?
首を傾げて続きを待っていると、隣で一緒に聞いていたルイーゼが顔色を変えてチェレステさんに詰め寄った。
「その人の容姿と特徴を詳しくお願い致します! どのような雰囲気なのですか? シルフィア様になにか危害を加えそうだからこうやって教えてくださっているのですよね!?」
さすが、護衛。だけど、チェレステさんは、うーんと唸って眉間にシワを寄せた。
「危害を加えそうっていうんじゃなくて、目つきが鋭くて怖いというか、店内の人をじっと睨んでいるというか、誰かを探してる感じでね。うちの料理目当てじゃないと思ってるんだけど、従業員で後あの人に会ってないのは、シルフィアちゃん達だけなんだよ」
お客に探し人がいるのかも知れないけど、一応伝えとこうと思ってさ、と締めくくったチェレステさんは、わりと威圧感のある偉丈夫で騎士団に知り合いがいるみたいだったよ、と最後に付け足した。
「騎士団の人……? ルイーゼの勧誘、でしょうか?」
「まさか。帝城の騎士団に勧誘されるほどの活躍はまだしてませんよ」
まだ、とサラリと言うルイーゼってすごい。私も、もう少し自信を持って生きたいなあ。私の周りには立派な人が多すぎて、少し自信が生まれても、直ぐに消えてしまう。
「あっ、勧誘されても転職しませんからね!? 私はシルフィア様の侍女兼護衛が楽しいので!」
ルイーゼの言葉で、またちょこっと自信が芽生える。
「……私、ルイーゼの良い主になれているのでしょうか?」
「もちろんですよ! こんなに優しくていい主はそうそう見つかりません。だから、ずっとお仕えさせてくださいね」
「え、ずっと私でいいのですか!?」
「シルフィア様がいいんです。普通のご令嬢の護衛と違ってこんなふうに色んなことができますし、あのテオドール様が振り回されているのを間近で見られる特等席ですから!」
……ん? これは喜んでいいの?
私はテオを振り回してませんよね? とチェレステさんと厨房で手を動かしながら聞き耳を立てていたルノーさんに目線で尋ねれば、二人にサッと目を逸らされてしまった。
もう。後で本人に聞いてみようと頬を膨らませてモップを取りに行く。これから開店までに床を掃除してテーブルを拭いて、ランチメニューを黒板に書くのだ。
最初は文字をうまく書けなかったり、綴りを間違えたりしていたけど、今は間違わずに早く書けるようになった。
■■
「またきてくださいねー」
「おー、シルフィアちゃんが復帰したなら、またちょくちょく来るよ」
店の外に出て、帰るお客さんへ手を振って見送る。久しぶりだったけれど、きちんと働けた。もう午後も遅く、さっきの人で店内は空になった。
店の周りをぐるっと見渡してから、本来の目的であるランチメニューの看板を下げるために体の向きを変える。
……テオはまだ来ていない。もしかして、今日は忙しくて来れないのかな?……そうだよね、最終学年初日だもんね。色々あるに違いない。
学院のしきたりとか理解する前に退学してしまった私には、細かいことはわからない。
こんな時、普通に育てられてテオと出会いたかったなと思う。そうすれば、一緒に学院に通えたのに。でも、それだとテオと接点がなくこうして結婚してなかったかもしれないし。人生って難しい。
テオの姿が見えないかなー、と畳んだ看板を支えにして、つま先立ちしながら通りの角を眺める。
「今ならランチに間に合いますよー……」
これは今日は来ないな、と確信しつつ小さくつぶやく。
「それはよかった。……おっ、シルフィアじゃないか、やっと会えたな!」
突然、背後に人の気配がして明るい声が降ってきた。驚いて振り向けば、視界いっぱいに黒っぽい布が広がり、勢い余って顔から激突した。
「……!? すみません、ええと、」
痛む鼻を押さえつつ、どなたですか、と顔を上げれば、体格のいい男の人が親しげな笑みを浮かべていた。
うーん? 私を知っているようだけど、どこで会った人だろう? だけど、この声、ものすごく聞き覚えがある。
「なんだ、もしかして私のことを忘れたのか? 薄情な妹だ」
「……あっ、お兄様!? 何故ここに!?」
「シルフィアちゃんの兄だとっ!? おめえ、その子に手を出すんじゃねえ、出てけっ」
「シルフィアちゃん、こっちにきな!」
「えっ!? ルノーさん、チェレステさん!? どうしたんですか!?」
開けっ放しだった食堂の扉から、いきなり包丁を持ったルノーさんとモップを持ったチェレステさんが飛び出してきて、私とお兄様の間に立ちはだかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前話から間が空いて申し訳ありません、今回は全4話です。
じわじわとお話を進めていきたいと思います。
さて、テオ君の新学期が始まった。




