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次期公爵閣下は若奥様を猫可愛がりしたい!  作者: 橘ハルシ
第六章 夫妻の穏やかな日々 (短編集)
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69 小さな日常 妻、闘う4


「あのっ、ハーフェルト次期公爵夫人。もしや、そのお菓子は『緑の庇亭』の料理人が作った物でしょうか?」


 あの食堂に名前はないとチェレステさんは言っていたけれど、お客さんからは確かそんな名前で呼ばれていた、と曖昧に頷けば目の前の令嬢の顔が輝いた。

 

「是非、私のお菓子と交換してください! 実は、お声をおかけしていいものか、ずっと迷っていたのです」

「えっ、いいのですか?」


 主催者が明らかに私を嘲ったのに? こういう時、周囲の人達はいつもその場の権力者に阿って一緒になって私を虐めてきたはず。


 ものすごくびっくりしたけれど、ルノーさんのお菓子と知った上で欲しいと言われたことが嬉しくて、私は籠の中の袋をひとつ取って渡した。


「どうぞ! 私とテオも手伝って、一緒にできたてを味見したのですが、本当に美味しかったですよ」


「『緑の庇亭』のお菓子? あの幻の!?」

「テオドール様の手作りですって!?」

「ハーフェルト次期公爵夫人、いえ、シルフィア様っ! 是非、私とも交換してくださいませ」

「私もっ!」


 ちゃんと私以外の人も毒見したと伝えれば安心するかなとテオの話を付け加えると、何人かが色めき立って交換してくれた。


 ……凄い、籠の中身があっという間に半分くらい他の美味しそうなお菓子に変わった。テオ効果についてはなんだかモヤッとするけど、今は考えないようにしよう。


「『緑の庇亭』のお菓子はメニューになくて、気まぐれに売られる品でしょう? 滅多にお目にかかれない上に、とても美味しい幻のお菓子だと噂が広がっているのです」

「そのお菓子を持参されるなんて、さすがハーフェルト次期公爵夫人ですわ」


 ……このお菓子、幻なの!? 確かに、ルノーさんは手が空いて気が向いた時じゃないとお菓子は作らないし、ほとんど私達で食べてしまうから売るのはその中でもほんの少し。最初は常連さんへの手土産にしていたのだけど、評判が良くってたまに売ることにしたと、チェレステさんが言ってたっけ。


 急に褒められだして少し居心地が悪くなった私は、モゾモゾしながら令嬢達の会話に相槌を打っていた。


 ……そういえば、まだ何かこのお菓子にまつわる話があったような。


「あ、そうです! このお菓子は、お母様にも召し上がって頂いたのですが、美味しいと太鼓判を押してくださいました。今度お茶会に使いたいと……」

「えっ?」

「……ハーフェルト次期公爵夫人のお母様って……」


 更に、安心材料を提供しようと追加した情報はその場を凍らせた。


 あっ、テオから、これは隠し球で一発逆転したい時に使いなよって言われてたんだった。……今、一発逆転しちゃってよかったのかな?

 

「あの、お母様とはハーフェルト公爵夫人ですか?」

「いいえ、その……養女先の」

「まあ! シルフィア様を養女にされたのって確か……」


 周囲からゴクッと喉が鳴る音がした。令嬢達の表情は真剣で、その先の名前を私から聞くのを期待しているようだったので、迷いつつも口にする。


「………………皇妃殿下、です」


 その場の全ての人が息を呑む気配がした。


■■


 ルノーさんと、このお菓子を作った時、出来上ったものを見てお茶会用にしては多いなと思っていた。皆でおやつにするのかと楽しみにしていたら、驚いたことにテオがその半分を籠に入れ、私を帝城へ連れて行った。


『テオ、もしかして、これをお母様に差し上げるのですか!?』

『うん。一応、保険をかけとこうと思って』

『保険……?』

『いや、それは気にしないでいいからね。君の手作りだもの、喜んでくれるよ』

『私はちょっとお手伝いしただけですけど』

『大丈夫、皇妃殿下はそんなの気にしないよ。ああ、そうだ。念の為、皇帝陛下と皇太子殿下の分はとり分けて置いて後で届けてもらおう』

『お父様とお兄様にも食べてもらうのですか!?』

『もちろん。保険は多い方が……じゃなくて、全員平等にしないと後で揉めるからね』


 ちょっと遠くを見たテオに、結婚式で私のエスコートを誰がするかを巡って争った時のことを思い出して、同じように宙を見る。


 あの時の三人は怖かったなぁ……。


 結局、お母様が泣き落としのような、見えない圧をかけたような感じで、勝利していたっけ。


 私の手作りと称したお菓子に大喜びしてくれたお母様は、テオから事情を聞くと、その時みたいな怖い笑顔を浮かべた。


『ああ、昔からあるご令嬢達のお遊びね。いいわよ、このお菓子が美味しいのは本当だし、可愛い娘の為ならこの権力、いくらでも使って頂戴。後で陛下とオネストからもお墨付きを届けさせるわ』

『さすが伯母上、頼りになります』


 二人の笑顔で部屋の空気がドンと下がった。


■■


 ……ということで、実はこの籠の底には皇帝陛下と皇太子殿下のサイン入りで、このお菓子は美味! と書いたカードが入っている。


 だけど、これはもう出さなくていい気がするな……。帰ったらオルゴールの宝箱に入れておこう。


 ちらっと籠の中を見れば、持って来たお菓子は予備の五つしか残っていなかった。


 ん? これって、ルビーニ伯爵令嬢の分は私が食べちゃったから、私は招待客全てとお菓子の交換ができたってこと!? これは予想外の快挙! 心配してたテオに胸を張れるかも。


 褒めてもらう自分を想像して浮き立っていると怒りに震える声がした。


「何言ってるのっ?! 綿ぼこりは最北の国の生まれで母親は貴族ですらないのよ、皇妃殿下の娘になんかなれるわけがないわっ!」


 ルビーニ伯爵令嬢が叫んだ内容に、皆、目を丸くして口元に扇をあてた。


「……まあ、ルビーニ伯爵令嬢。まさか、ご存知なかったのですか?」

「確かに公にはされてませんけど、それなりに有名な話ですわよ?」

「学院での夜会でテオドール様がはっきりと公言なさいましたけど、聞いておられなかったのですか?」

「そんなの、嘘! だって、ヒリスを脅すためだけのでまかせだって聞いたもの! 皆様、綿ぼこりに騙されているのよ!」


 久々に聞いた実の兄の名にビクッとした。こんなところで聞きたくなかったな、と思ったところで気が付く。


 そうか、私が社交界に出れば嫌でも前の家族の話を耳にすることになるんだ。……だからテオは、帝国でのお茶会や夜会に私を連れて行かないんだ。もちろん、まだまだ出られるほどにマナーや教養ができてないのもあるだろうけど、招待状が来ても断って、どうしても行かないといけないものには一人で出席しているのはそういう理由もあるに違いない。


 私はテオに守られてばかりだ。このお茶会用のお菓子にだって何重にも保険が掛けられているし、結婚する前に養女先を決める時だって頼みやすい親戚は他にもいたというのに、最高に条件がいいからと、ある意味犬猿の仲の皇妃殿下に頼んでくれた。

 今思えば、姫とはいえ何の教育もされていない、小国の庶子を皇帝陛下の養女にするなんてとても大変だったはず。だけど、こういう場では皇帝の娘というのは絶大な効果がある。それもこれも全部、私のためだ。


 テオにそこまでしてもらっているのだから、実の兄の名前を聞いたくらいで怯えていてはいけない。この先、社交界でテオと並んで立つために、ここは持たされた保険という名の武器で徹底的に闘うべきだ。私は籠の中のカードを取り出してルビーニ伯爵令嬢の目の前に突き付けた。


「本当ですよ。私は帝城にご挨拶へ行きましたし、ほら、皇帝陛下と皇太子殿下からお菓子のお礼にカードをいただきました」


 まさか帝国の伯爵令嬢が皇帝一家のサインや紋章を知らないわけがない。彼女は目を皿のようにしてそれを見た後、恐る恐るこちらを見てきた。


「本当に、皇帝陛下の養女なの……? なんで公表してないの?」

「はい、本当です。ええと、西の国の慣習で結婚式を挙げてからでないと公にできないものですから……」


 そう、だから今のところ私たちの結婚は知る人ぞ知る公然の秘密というやつだ。もちろん正式なものだし、内緒にしないといけないわけではない。ただ、テオの国の王様への挨拶や正式な社交界への出席ができないというだけなんだけど、それは今の私にはとてもありがたい状態だ。


「ええー……。本当なの? ……あの、ハーフェルト次期公爵夫人。私とお菓子の交換をしてくださるわよね?」


 ひきつった笑顔のルビーニ伯爵令嬢に請われて、反射的に予備のお菓子を渡そうと籠に手を入れたものの、街で出会った時に色々されたことや、先ほどお菓子をわざと踏まれたことを思い出して躊躇した。


 うーん……これがもし、ディーだったらきっと怒るよね。ハーフェルト家に属するものとしてここでホイホイあげるのはいけないような気がする。


 ルビーニ伯爵令嬢だけにお菓子を渡さないことを申し訳ないと思う気持ちとしばらく葛藤した後、私は籠から何も持っていない手を出した。


「あの、ごめんなさい。貴方の分はもう残ってないのです」


 誰かが一生懸命作った物をわざと踏みつけるような人に、このお菓子を渡したくない。


 私は心の中で頷いてルビーニ伯爵邸を辞した。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


シルフィアさん、自分でも驚きの反撃ターン。

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