59、妻、考える
私の生まれは姫で、次期公爵夫人だ。世間的に見てかなり身分が高いらしい。そういう人は『寛容』でいなければならないと家庭教師が教えてくれた。
だけど、私は『身分が高い人』なのにきちんと育てられず受けるべき教育も受けず、ただ生きるために生きてきた。だから知らないことばかりだし、テオや殿下とは考え方が違うんじゃないかと思う。ちゃんと愛されてきちんと教育を受けて育った二人なら寛容にこの人達を許すのだろうか。
私は、テオにこんな事をした人達を許したくないし、なんなら同じような目に遭って欲しいとすら思っている。
こんなことを考えていると知ったら、皇太子の妹も次期公爵夫人も失格だってがっかりされるかな。これは、次期公爵夫人として間違った考えなのかな。
急に不安が押し寄せてきた私は、テオと殿下の顔を交互に窺った。
「フィーア、何か言いたいことがあるなら聞くよ?」
直ぐにテオが気付いて私を見る。一瞬、このまま聞いてしまおうかと思ったが、二人にとって当然のことをわざわざ尋ねると私がそう思っていないということが露呈してしまう。私は何でもないと首を振った。
「ああ、そうだ。シルフィアはどうしたい? 君が被害者なのだから希望を聞こう」
「き、希望って何のですか!?」
様子見するつもりだったのに、いきなり殿下に問われて狼狽えてしまった。
「うん。彼らへ言いたいこと受けさせたい罰などあれば聞きたい、ということだ」
「そ、それは……」
言いたいことって文句でいいの? それとも私が言ったことでこの人達への罰が決まるの?
罰を受けたことは数え切れないほどあるけれど、与える側になったことはない。罰なんて棒で叩くとかご飯抜きとか朝まで外に放り出すとか……自分が受けたことしか思いつかないけど、されて辛かったことを仕返しのようにこの人達にさせるのは何か違う気がした。
「殿下、この件は帝国法で裁かないのですか? シルフィアに罰を決めさせると逆恨みされそうで嫌なのですが」
私の戸惑いが伝わったのか、テオが助け船を出してくれた。
「今回の件は公にできん。我が家内のトラブルとして片付ける。それから、シルフィアは皇族ではなくとも私の妹なのだ。これから、こういう事が多々あるぞ。ちょうどいいからコレで練習しておけ」
それって私がこの人達のこれからを決めるってこと? そんなの、無理!
どうしよう、とテオの方を見ればそれもそうですねと頷いていたので戦慄した。私の動揺を見て取ったテオは、済まなさそうに眉を下げて言う。
「無理にとは言わないよ。ただ、公爵夫人になってもこういうことは起こるし、君は自分がされたことに対してもっと怒ってもいいと思うんだよね」
「私、怒ってますよ?」
「うん。僕がされたことには怒ってくれてるね。だけど、君自身がされたことについては、さほど怒りを抱いていないように思うのだけど。フィーアは自分が酷く扱われることに慣れてしまっているんじゃないかな?」
……そうかな? ……そうかも。
指摘されて初めて気がついた。
「ですが、私は薬で眠らされて殿下の寝室に置かれていただけで、テオみたいに怪我はしてないので……」
「それだけで充分怒っていいと思うけど、それだけじゃないよね? 着替えもさせられてたんだって?」
「あ、ハイ」
ものすごく薄い服に。
「その上、私と会った時、曲者に間違われて剣を向けられ、その後、薬の副作用で酷く苦しんでいたな?」
「えっ、そうなの!?」
「……ハイ」
殿下に色々バラされ、驚くテオに居た堪れなくなったので、彼の腕から降りようかな、と様子を窺う。彼の視線とぶつかった途端、腕の拘束が強まって何が何でも離さないという念すら感じたので諦めた。代わりにぎゅ、とこちらからも強くしがみつく。すると、ささくれ立っていた彼の気配が緩んで頰が寄せられた。
「そ、それは、想定しておりませんでした! シルフィア様にそんなご不快な思いをさせてお詫びのしようもございません!」
急に床から叫び声がして見おろすとお腹の出た男の人が這いつくばって謝罪してくれていた。上げた顔を見ればとても眉が太かった。
わあ、ロメオさんより眉毛がフサフサしてくっきりしてる。
「二度といたしませんので、この通り何卒ご容赦を」
重ねて詫びられた私は、この人達が気の毒になってきた。
私が許すと言えばこの人達は解放されるし、私は恨まれずに済む。
『寛容』が大事だって言われたし、そうしたほうがいいんじゃないかな、と口を開きかけた私は目の前のテオの腫れ上がった顔を見てキュッと唇を噛み締めた。
ちがう、この人達のしたことを許してはいけない。テオの顔の傷も、テオを失うかもしれないと思った私の恐怖も、なかったことにしちゃいけない。
公爵夫人となるために必要な『寛容』はきっと何でも許すってことじゃない。それは、公爵夫人の威厳を損なわせ、私の気持ちを無視して閉じ込めることだ。
……そうか。そうならないために私はその両方がうまく成り立つ罰を見極める練習をしなきゃいけないんだ。そして、私はこれを一人でできるようにならないといけない。
だけど、今の私にはどう決めればいいのか、皆目見当がつかなかった。
「テオ……テオドール様も被害者ですよね」
思わずテオに助けを求めてしまって慌てて彼に掴まっていた手を外して自分の口を塞ぐ。
一人で決めないといけないことなのに、私はズルいことをしようとした。
「あの、これは、魔が差したというか、その」
しどろもどろで取り消そうとすれば、テオの手が伸びてきて頬に添えられた。薄青の瞳が私の目を覗き込んでくる。
「そうだよね、急に言われても困るよね。……では、今回はフィーアがこの人達にどれくらい怒っているか教えてくれたら、後は僕と殿下がいいように取り計らうよ」
だから、自分がされたことについて考えてみて。
小首を傾げて柔らかく笑んだテオの言葉でホッとした私は、改めて足元で不安そうな顔をしている人達を順番に眺めていった。
……一番手前の眉の太いお腹の出たおじさんが多分この計画を指揮してる人。直ぐ後ろの細身でタレ目のおじさんが……アレ? もしかしてこっちの人が首謀者かも。私を叩かせて後ろで笑いながら見てた王や王妃に雰囲気が似ている気がする。この人、私のこと簡単に許す甘い人間だって思ってるみたい。
そっか、さっき許しそうになったの見抜かれたんだ。
なんだか馬鹿にされているようで急に悔しくなった。それと同時に、テオのことも殿下のことも軽く見られている気がして悲しくなった。
私が迂闊なことをすると二人の評判まで落ちてしまう。この人達が私にしたこと、テオにしたこと、ちゃんと反省してもらわないといけない。
テオや殿下が辞書級としたら、赤ちゃん向けの絵本くらいしかない私の少ない知識を振り絞って考える。
なんとか決まってテオの腕から滑り降りた時、膨らんだズボンのポケットに手があたった。ああ、これもあったな、とひっそりと握り締めた。
よし、と気合を入れてテオの隣で床を踏みしめ、目の前の人達を真っ直ぐに見た。なるべく感情を表に出さないように気を付けながら口を開いた。
「私は、今回の件で貴方がたの目論見が成就していた場合を考えようとしました。だけどそれは怖すぎてできませんでした。よくこんな事を考えましたね」
前方の二人がビクッと震えた。どうやら二人で考えたらしい。
「本当に自分勝手で相手の気持を考えない計画で、こんな事を平気で実行できてしまう人が帝国の中枢にいるなんて恐ろしいです。それに、貴方がたはテオドール様もお兄様も傷つけました」
「そんなっ、殿下を傷つけてなどおりませんぞ!」
前のめりで食って掛かられたけれど、あの悲しそうだった殿下を思い出して踏みとどまる。
「貴方がたにあれくらいで人妻に手を出すと思われていたことに、お兄様の心は深く傷つけられていましたよ」
「全くだ。私は大いに傷ついたぞ」
それは、そんなつもりは、と冷や汗をかいている側近達に殿下は冷たい視線を浴びせた。
「申し訳ございませぬ! 二度とこのようなことは考えませんので、今回ばかりはどうかお慈悲を」
彼等は殿下へ向かってのみ、ひれ伏し謝罪し情けを乞うた。その必死さは先ほどの私への謝罪の比ではなく、そのことに心が重く悲しくなって無意識にテオの袖を握っていた。
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ロメオさんの眉毛は多分、結べる