58、夫妻、謝られる
扉を開けた先で、立っていたのはテオだけだった。彼はお腹の出た男の人を軽々と掴み上げていて、その足元にも男の人が座り込んでおり、さらに壁に倒れこんでいる人までいてびっくりした。
この状況は一体……?! もしかしてこれは、助けに来たつもりがテオは一人でやっつけてしまってたということかな? よかった、テオも殿下みたいに強いんだ!
私は嬉しくなって、彼に向かって走り出した。
「テオ!」
叫んで真っ直ぐに彼の腰に飛びついたら、彼は掴んでいた人をポイ捨てしてギュッと抱きしめ返してくれた。テオが学院に行っている時間よりうんと短い時間しか離れていなかったのにその数十倍ホッとして嬉しくて、私はぎゅうっと力を込めてしがみついた。
……テオが、生きててよかった。
「フィーア! 無事でよかった。怪我などはない?」
その言葉に元気ですよ、と彼の顔を見上げた私は目を見張り、叫び声をあげた。
「テオっ、顔にケガっ!? 血が出て腫れています……!」
テオの左頬がボコッと膨れて青くなり、口の端に血が滲んでいる。ショックでワタワタし始めた私とは反対にテオ本人は『あ、本当だ』と呑気そうに触れて痛かったようで顔を顰めている。
「何だと!? お前達、テオドールに暴力まで振るったのか!? なんてことを」
私の叫び声を聞いたオネスト殿下が慌てて飛んできてテオの顔を見て青ざめた。
「これは酷い。私の側近がすまない」
悲痛な表情でオネスト殿下がテオに詫びたが、彼はケロリとした顔で首を振った。
「いえ。この方々の独断による暴走だと分かっておりますので、殿下が謝ることはありません。殿下こそ、私の妻のシルフィアを保護し守ってくださり、ありがとうございます……ここに連れてきたのはいかがかと思いますが」
「私にとっても大事な妹だからな……一人は怖いというので止むを得ず」
殿下の答えにテオはハッとして私を見下ろし、床に倒れている人達は呻きながら殿下を詰った。
「そんなお優しいことばかりしていては立派な皇帝になれませんぞ」
「そうです! せっかく我々がお膳立てして差し上げたのに手を出さないとは情けない」
「馬鹿を言え! 奸計を使い無理矢理などと、皇太子として以前に人として、行ってはならぬことであろうが!」
殿下の低い低い心底怒りの籠もったその怒声に、側近の人達はもちろん私も震え上がった。
自分に向けられたものでなくても人が怒る声は怖い。テオの服の裾を両手でキュッと掴めばすかさず抱き上げられて、安心した私は顔の怪我に当たらぬように彼の首に腕を回してしがみついた。
……やっぱりテオのぬくもりと匂いが一番安心する。
目を閉じて顔を擦り寄せればテオも頰を寄せてきて怪我に障ったのかイテテと呟いた。
……私があのメイドを疑ってお茶を断っていればこんなことにならなかったのに。
テオにも殿下にも申し訳なくて胸がキリキリ痛んだ。
「テオ、私のせいでこんな目に遭わせて怪我までさせてしまって申し訳ありません」
テオの腕から滑り降りて深く腰を折って謝罪すれば、彼が驚いたように私の前にしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。薄青の瞳は真っ直ぐに私を見ていて、目が合うと段々細くなり、次いで悲しそうな光を宿した。
「フィーア、誰かに君が悪いと言われたの?」
私は痛々しい彼の顔から目を逸らして首を横に振る。
……とっても痛そう。テオがこんな目に遭っている間、私は何事もなく殿下に守られてただけだなんて、申し訳なさ過ぎて彼の目を見られない。
「そう。あのね、僕の怪我はフィーアのせいじゃないし、君は何一つ悪いことをしていないのだから謝る必要ないんだ。こんな馬鹿なことを実行に移したこいつらが悪いのだから、気に病まなくていいよ」
……どうしてテオはいつもこんなに優しいんだろう。
「でも、私があの時お茶を断っていれば……」
「それを言うなら、君の側を離れた僕が悪い。ものすごく怖い思いをさせてごめん」
「いいえ、テオは悪くないです!」
テオに謝られるのは違う、と慌てて顔を向ければ薄青の目がいたずらっぽく笑っていた。
「うん。ほら、僕達のどっちも悪くないだろ? というわけで、元凶を処理しましょうか、オネスト殿下」
「処理とは余りにも酷くないか」
「僕の妻に余りにも酷いことをしたのですから、当然です」
テオは殿下と明るい声で不穏な会話をしながら、ヒョイッと私を再度抱き上げた。私は大人しくされるがままに彼の腕の中で身の安全と安寧を享受した。
……ここが私にとって世界で一番安心できる場所だ。
「実際のところ、皇太子殿下はこの件をどう収拾するおつもりですか? 私はかつてないほどの怒りを覚えていますが」
テオがハーフェルト家としても断固抗議しますよ、と続けると殿下は額に手を当てて絞り出すような声で答えた。
「そうだな……私もかつてないほどの怒りと落胆を覚えているよ」
「殿下っ!? 他国の貴族令息ごときに同調されるとは! 貴方様はもっと冷静であらねばなりませんぞ。我々はこの帝国の将来を憂えてやむを得ず成したのです。それもこれもお世継ぎを作る気のない殿下が悪い……」
「黙れ! 私にはこの計画、貴様らが私を犯罪者にして皇太子の座から引きずり下ろすつもりだったとしか思えぬ」
「な、なんですと!?」
「殿下ともあろう御方がなんという言いがかりか! はっ、その男に脅されているのですな!? あのハーフェルト公爵の息子ならやりかねん! テオドール、お前を牢送りにしてやる、最初からそうすればよかったのだ!」
まず殿下へ食って掛かった男達は直ぐにテオを悪者にし始めた。
それに怒った私は、そちらのほうが言いがかりだ、テオが殿下を脅したりするわけがないとテオの腕の中から彼等を睨みつけた。
「おや、私の妻に睨まれるとは相当だな。私だってそうそう拝める表情じゃないよ。フィーア、こいつらに見せるなんてもったいないから僕の方を向いてて」
「えっ!?」
テオは私に睨まれたいの!? いや、そうじゃない、そうじゃないのだろうけどこのまま彼を睨むのも変。
私は困惑しつつ睨むのを止めて、テオの顔に視線を向けた。
「睨んだフィーアも可愛いね」
「私はテオを睨んだりしません」
「僕に見せない顔を他の男には見せるの?」
「ええっ……でも、テオを睨むなんて」
出来ないです、と言い掛けたところで、殿下が吹き出した。
「ハハッ、『溺愛公爵』の息子がこんなに愛情を掛けている妻を私が無理矢理とってしまったら、世間は私をとんでもなく極悪非道で好色な皇太子と思って離れていくだろうな」
「まさか、そんなことは……」
一様に青ざめる側近達を哀れむような目で見下ろした殿下は、大きくため息をついた。
「地位に驕り高ぶりそんなことすらわからなくなっているのか? そもそも、人妻を無理矢理娶って評判が上がる奴がこの世にいるのか? これはもう私を陥れようとしてるとしか思えんだろう。この帝国の民の間でも、ハーフェルト公爵の家族、特に妻へかける愛情の深さは知れ渡っている。その息子が同じく溺愛する妻を寝取った皇太子の評判がどうなるか、お前達にはわからなかったようだな」
今更そのことに思い至ったらしい側近達は、ようやく自分達の暴走がどういうものだったか理解したようで、真っ青を通り越して紙のように白い顔で私とテオへ謝罪してきた。
「申し訳ございません! 皇太子殿下がいつまでも結婚に興味を示さなくてヤキモキしていたところに、従兄弟のテオドール殿が電撃結婚をしたと知って焦ってしまいました」
「そうなんです! それで、シルフィア様が殿下と結婚すれば一石二鳥と思って実行してしまいました! 何卒お許しください」
「ボクも、この方々に逆らえなくて言いなりですみません」
「私もお金に目がくらんですみませんでした」
平身低頭土下座して謝る側近の人達と縛られたままのメイドをテオの腕の中から見下ろして、私はモヤモヤしていた。
……テオもお兄様もこの人達に傷つけられたけど、謝っているから許すのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
コレ、謝って済むかどうか・・・・・・・