56、妻、虚勢を張る
……私は木。帝城の植え込み。
両手に枝を持ちそっとしゃがみ込む、なんてことはしていなくて、私はただひたすら植え込みの陰から陰へオネスト殿下とともに移動していた。
「裏庭の小屋にはいなかったな。部屋から近くて一番使われていないから最有力候補だったのだが」
俊敏に移動しながら殿下がつぶやく。私達は部屋を抜け出してから既にいくつか庭の小屋など隠れられそうな場所を回っていた。
殿下は帝城の警備を統括しているから兵の配置から交代の時間まで全て覚えていて、ここまで誰にも見咎められずに来られた。
「夜間はほとんど人がいない庭かと思ったのだが。うーん……となると城の使われてない部屋か、地下牢か酒蔵か……」
顎に手を当てて考え込む殿下の横で私は上がってしまった息を整えることに集中していた。これでも毎朝護身術の練習をして食堂で働き、体を動かしているつもりだったけど、この広すぎる庭を足の長い人についていくのは大変だった!
あれ? でも、テオもオネスト殿下と同じくらいの背丈だから私よりうんと足が長いはず。だけど、こんなふうに息を切らせた覚えがない。……もしかして、出会ってからずっと私に合わせてくれてたのかな。
そのことに気づいた途端、テオにたまらなく会いたくなった。今直ぐぎゅうっと抱きつきたい。だけど、そうするためには彼を必死で探さないといけない。
テオはどこに連れていかれたんだろう、怖い目にあったり痛い思いをしていたらどうしよう。色々想像したら視界がぼやけてきた。
私の目、我慢して。こんなところで泣いちゃダメ。今度は、私がテオを助けるのだから!
手の甲でぐいっと目をこすったその時、ふわっと慣れた匂いが顔の前を通り過ぎた。
……んん? これは、テオの気配!?
急いで辺りを窺うも、何も見つからなかった。それでもどこか近くにいるような気がして辺りを見回していると殿下に不審がられた。
「シルフィア、何をキョロキョロしている。気になることがあるのか?」
そう言いながら殿下がひょこっと私の肩付近へ首を伸ばして、私と同じ目線で周囲を警戒した。
テオじゃない男の人がこんなに近くにいるのは、なんだか落ち着かない!
殿下が嫌いだとか怖いというわけではないけど、私の身体は勝手にスーッと横に移動した。それに気づいた殿下は瞬きをした後、素知らぬ顔で続けた。
「……異常はないようだが。何か見えたのか?」
「ええと、テオの匂いというか気配のようなものを感じた気がして」
「ふむ。私には何もわからないが、シルフィアがそう言うなら何かあるのだろう」
殿下はその場にしゃがみ込み、目を閉じた。私も真似をして隣で暗闇に神経を研ぎ澄ませた。夜の闇に不安が押し寄せてきたけれど、テオがいないので自分の両手を握りしめて耐える。
そよ風に揺れる葉の音と遠くのざわめきに交じる微かな香り。
もしかして、テオに会いたくてたまらなくて幻聴ならぬ幻の匂いを感じただけかも。
……ううん。やっぱり、テオの気配がする。
こっちから感じるような、と目を開けて振り向いてもそこには城の壁しかなく。なんでこんなに気になるのだろうと立ち上がってザラザラした石の壁に手を当てて途方に暮れていると背後で同じ行動をした殿下が小さく叫んだ。
「そうだ、換気口かもしれない。確かこの地下に今は使われていない石造りの古い蔵がある」
行ってみよう、と近くの城内への入り口まで二人でコソコソと壁と植え込みの間を横歩きで進む。
目的地に着くと、殿下が人差し指を口元に当て、そーっと頑丈な鉄枠の扉を引いて細く開けてくれた。私がその隙間から中を覗きこんだ途端、勢いよく扉が開いて飛び出してきた何かとぶつかった。
柔らかい、これは布地かな……?
「まあ、ごめんなさい! 大丈夫?……あっ、皇太子殿下!? どうしてここに」
驚いた声を上げたのはメイドの制服を着た女性だった。私は段の上にいた彼女のエプロンに顔からぶつかったらしい。
ここは使用人の通用口らしく、彼女は布に包んだ荷物を大事そうに抱えていた。
そして、殿下は変装をしていなかったものだから、あっという間にバレて相手はものすごく動揺した。
そりゃ、こんな時間にこんな場所から皇太子殿下が入ってきたら驚くよね、と気の毒に思いつつその女性を見上げた私は息を止めた。逆光で見えにくかったけれど、この顔はあの時の!
「お茶を持って来た人!」
私の小さな叫びに殿下が素早く反応した。
「お前が妹に薬を盛ったのか!」
サッと彼女の片腕を取りぐいっと背に回して部屋の壁に押し付け動けなくしたその鮮やかな動きに、私は感嘆の声を上げた。
「オネストお兄様、すごいです!」
私もそれくらい強くなりたいと動きを目に焼き付ける。
「お兄様って、ま、まさか、この少年はシルフィア様!?」
私の声を聞いて動転しガタガタ震え始めたメイドの手から、持っていた包みが落ちて中身が床に散らばった。
冷たく固い石床の上にぶちまけられたのは切り刻まれた薄い青色の布で、その中に見覚えのある銀色の切れ端が混ざっていた。それは今朝、テオが私の髪に結んでくれた特別なリボンに見えた。
寝間着に着替えてからも失くさないようにと髪に結んでおいたのにいつの間にかとられてたんだ! しかもこんなに細切れにされたら、もう二度と髪に飾れない。
そう認識した途端、私の口から悲鳴がこぼれそうになった。ここで叫んではいけないと口を両手でぎゅっと塞いだら、私の視線を辿った殿下が眉をひそめて小さく鋭い声で彼女を詰問した。
「これはなんだ? どこで手に入れた?」
問われたメイドは唇を噛んで沈黙し、ショックで動けなくなっている私を見た殿下がひょいと足元のリボンの切れ端を拾い上げ、壁に掛けられた明かりに翳した。
「……ああ、ハーフェルト家のリボンか。ということは、これはシルフィアの着けていたもので間違いないな?」
私が小さく頷いたのを確認した殿下は、ポケットから細い縄を取り出してスルスルと彼女を縛った。
「とりあえず、窃盗罪だな」
「……何故、それがハーフェルト家の、シルフィア様のリボンだと断言できるのですか!? そこで拾ったゴミなんですけどっ」
縄でグルグル巻きにされたメイドに睨まれながら抗議された私は、足元から拾い上げた銀色の切れ端を手のひらに乗せて彼女の目の前に差し出した。
「このリボンは、ハーフェルト家の紋章が織り込まれている特別な物なのです。ですから、今朝、夫が私の髪に結んでくれた物しかここにはないのです」
「そんなの、聞いてないっ」
「では、なんと言われたのですか?」
「証拠隠滅のために庭へ埋めてくれ、と……でも、あまりにも良い生地なので街で売ろうと思って。……縫い合わせればまだ使えそうだし」
観念したようにこぼした彼女に殿下は呆れた声を出す。
「あのテオドール相手に証拠隠滅も何もあるものか。どんな小細工をしたところでバレるに決まっている。しかも今回は、シルフィアが絡んでいるからとんでもなく怒っているだろう。覚悟しておけ」
まあ、テオドールは自身の油断を一番に抹殺したいと思っているだろうがな。そう続けた殿下が私を見てため息をついた。
「シルフィア、諦めろ。それはどうやっても元には戻らん」
その言葉に私は拾い集めたリボンを握りしめた。
「でもっ、この人は縫い合わせれば使えるって言いました! テオが、せっかく……くれたのに」
そう言ってはみたけれど、本当は分かっていた。寝間着の布と違って、この繊細なレース編みのリボンは切断された所から糸が解けて既にバラバラになりかけている。
こんなの、元に戻りっこない。
それでも諦めきれなくて、私は集めたリボンだったものをポケットに入れた。それから目にぎゅっと力を入れてあふれそうな悔しさと悲しさを抑え込み、縛られて不貞腐れた顔の女性を睨みつけた。
「今すぐテオドール様の居場所を教えてください。私だってハーフェルト次期公爵夫人なのです、貴方が言うことを聞いてくれないならそれなりの手段をとりますよ」
精一杯虚勢を張って怖く見せようと彼女を見上げれば、一応効き目があったらしく引きつった声が聞こえた。
「もうっ、なんなのよ、私が悪いっての!? わかったわよ、案内すればいいんでしょっ」
……よかった、これ以上はどう脅したらいいのか分からなかったから。
私はホッと息をつくと、彼女の縄の端を持って歩き出した殿下の後ろをついて行った。
人気のない暗い廊下の奥にある、壁とそっくりな扉を開け、下へと続く狭い階段を降りた先の地下に古ぼけた木の扉が3つ並んでいた。その一番奥の扉の前でメイドの彼女が振り返った。
「確かここに運ぶって言ってたわ。私が嘘つかれてるかもしれないけど」
それでも怒んないでよね、と言う彼女に礼を言った、その時。中から破壊音と人の騒ぐ声が聞こえて、私は慌てて扉を開けた。
テオを助けなきゃ!
「待て、シルフィア! 危険だ、私が先に行く!」
「私、受け身取れますから!」
「馬鹿者、そんな危ない目に遭う前提でお前を行かせる訳にいくか!」
殿下の叫びを無視して扉を全開にした私の視界には、なんだか凄まじい状況のテオがいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この二人だけでも意外と話は進む。