47、訪問者は落ち込んでいた
「おや、テオドール様、シルフィア様。裏の畑に行っておられたのですか?」
「ハイ、トマトとキュウリとトウモロコシを収穫するお手伝いをしてきました。今、厨房でトウモロコシを茹でてもらっているのでヘンリック、も後で食べてくださいね」
「ありがとうございます。後程いただきます」
今日は朝からテオと一緒に裏庭の畑を手伝っていた。私の服が汚れてしまったので着替えに二階へ上がろうと玄関ホールを通ると、ちょうど居合わせたヘンリックさんに声を掛けられた。
うんと年上でいつ見ても真っ黒で重々しい雰囲気を漂わせながら黒縁の眼鏡を煌めかせているヘンリックさんを呼び捨てにするのは気が引ける。でも、最初に『さん』をつけたら注意されてしまったので、ウータさん達のように脳内だけで『さん』付けにするよう気をつけている。
トウモロコシが好きなのか穏やかな笑みを浮かべたヘンリックさんが、手にしていた封書をの束から一通だけ抜き取って私の前に差し出した。
「シルフィア様。お待ちになっておられた、イゼラ侯爵家ご令嬢からお手紙が届いておりますよ」
「わ、本当ですか?! 私、お友達からお手紙もらうの初めてなのです!」
思わず飛び跳ねて両手で手紙を受け取る。シャルロッテ様らしい薔薇の透かしが入った凝った柄の封筒で、私は嬉しくてそれを掲げてくるりと回った。
「嬉しい、早速お返事を書かないと」
手紙を抱きしめたところで、玄関の大きな扉がガチャッと開いた。
「あ・・・ただいま・・・」
「パトリック様?!」
「パット?!」
「やあ、パット」
予告なく突然現れた義弟のパットに驚くと、彼は申し訳なさそうな顔で頭の後ろに手をやった。
「驚かせてごめん。今日休みなんだけど、朝からちょっとイザベルに怒られちゃって屋敷に居づらくて・・・」
口籠るパットを見て、私はポンと手を叩いた。
「知ってます! これ、出戻りって言うんですよね?!」
「義姉上、違うから! ちゃんと夕方には帰るから!」
必死の形相で否定するパットを見て、違いましたか? と隣のテオを仰ぎ見れば、君は絶対に出戻らないでね、と綺麗な笑顔で返された。
・・・アレ?
「皆様、テラスにお茶の席を用意するよう手配いたしますので、そちらへ」
固まった空気をほぐすようにヘンリックさんが促し、私は着替えに行く途中だったことを思い出した。それでパットに断って、私だけ一旦ルイーゼと部屋へ戻った。
■■
「・・・それで、ケンカの原因は何だったの? イザベルはそんなに怒る人じゃないだろ」
「ケンカ、なのかなあ。俺が一方的に怒られただけな気がするけど」
着替えて一階の庭に面したテラスへ行くと、パットとテオが先にお茶を飲んでいた。
ここは三面がガラスで囲まれていて、テラスいっぱいに明るい陽射しが満ちている。季節柄、全ての扉と窓が開け放たれていて、爽やかな風が庭の草花の香りを纏って吹き抜けていく。
公爵家の人達はこのテラスがお気に入りで、私も滞在して直ぐここで催されるお茶の時間が大好きになっていた。
会話の邪魔をしないようにそっと近づいて行くと、テオがパットにケンカの理由を聞いていて私は思わず立ち止まって聞き耳を立ててしまった。
私はまだ自分の夫のテオとケンカしたことがないし、義父母も全くケンカなどする気配がない。私は出来れば夫婦喧嘩をしたくないので理由を知っておきたいな。
「・・・イザベルがさ、今朝いきなり『パットは触り過ぎ!』って怒りだしたんだよ。でも、四歳からずっと待って、やっと結婚出来たんだよ?! 四六時中出来うる限り一緒にいて触れていたいって思うのは当然でしょ? ねえ、義姉上はどう思う?」
あら、いることがバレていた。まあ、パットはお城の騎士だし当然か。
私は遅れたことを詫び、そそくさと空いている椅子に収まってパットを見上げながら確認した。
「パットはイザベル様にどれくらい触り過ぎて怒られたのですか?」
なんともびっくりするケンカの理由だった。私がテオに触り過ぎてケンカになる日は来るのだろうか?
「え。うーん、抱きしめたりひざに乗せたり? これくらい普通だよね? 兄上はもっと義姉上にいっぱい触れてるよね?! 俺の何がいけなかったのかなぁ」
パットの声はどんどん勢いが弱くなって、遂には頭を垂れた。イザベル様の瞳の色である青い飾り紐で一つに括られた淡い金の髪も悲しそうに項垂れている。
確かにテオも私を直ぐ抱き上げたり、ひざに乗せたりしてるけど、私は怒らない。イザベル様はどうして怒ったのだろう?
「パット。付き合いの長い君達とはまた違うから参考になるかわからないけれど、僕は結婚してしばらくはシルフィアに許可を取ってから触れていたよ」
そういえばそうだったかも。私はテオの隣で一人頷いた。テオは更に続ける。
「それに今だって触れたい気持ちの全部は満たしてないよ。シルフィアの様子を見ながら彼女の邪魔をしないように気を付けてる。パットはまさか自分の気持ちを優先してないよ
ね?」
「そうなの?! 俺、結婚したからってちょっと自分の欲のままにイザベルに触れてたかも。これからは気をつけるよ」
パットが大いに反省している横で私は驚いていた。
・・・ええ?! テオはあれでまだ遠慮してるの?! テオに我慢はさせたくないけれど、好きなだけ触れていいよって言ったら私はどうなるのかな?
一人想像して困惑していたら、気がついたテオが困ったように首を傾けた。
「フィーア、怖がらないで。僕は自分の欲を完全に満たしたいなんて思ってないから。君が僕の側にいてくれる、それだけで十分幸せなんだ」
「でも、それだと私だけ満足していることになって不公平です」
「フィーアが満足してくれているなら、嬉しい。でも、どうしても気になるというのなら、時々でもフィーアがいいと思う時に僕に触れてくれたらもっと嬉しいかな」
それなら出来るかも、と張り切って頷いた私にパットが目を丸くしてため息をついた。
「・・・なるほど。義姉上、兄上は十分自分の欲を満たそうとしてるから気にしなくていいと思うよ」
「そうなのですか?」
「パット!」
テオが慌てたように隣のパットの口にトウモロコシを突っ込んだ。
■■
「・・・じゃあ、俺はそろそろ帰ろうかな」
「もう帰るのですか?!」
「うん、義姉上達を見ていたらイザベルに会いたくなっちゃった」
「母上やディーも会いたがると思うけど」
「うーん。この近さだもの、いつでも会えるからまた来るよ。兄上達はもうすぐ帝国へ戻るのでしょ? その前に会えて良かった」
一時間も経たないうちにパットが腰を浮かせた。
このままエルベの街へ寄って、イザベル様の好きなお菓子と次の季節に向けた新作の髪飾りを買って帰るという彼をテオと玄関まで送る。
その道中、私は気になっていることをパットに尋ねてよいものか悩んでいた。
・・・やっぱり聞いたらダメかな。失礼に当たりそうだし。
「義姉上、さっきから視線が気になるのだけど、俺に何か言いたいことがあるなら聞くよ?」
さすがハーフェルト家の血筋。私の迷いはあっさり見抜かれて気を遣われてしまった。テオにも促されて私は思い切って聞いてみることにした。
「あの、パットはイザベル様に『触り過ぎ』と怒られても嫌いにならないのですか?」
こんな踏み込んだことを聞くのは良くないと思ったけれど、私はどうしても気になって仕方がなかった。
パットは一瞬面食らった後、顔いっぱいの笑顔で答えてくれた。
「うん、そんなことくらいで嫌いにならないよ。義姉上、俺は幼い頃からずっとイザベルの可愛いところ、尊敬するところ、優しくて損するところ、いっぱい見て好きを積み重ねてきたんだ。そしてそれは今も続いていて、全部愛してるって気持ちで包みこんでるんだ。だから、ちょっとやそっと怒られたり文句言われたりしたって気持ちは揺らがないよ。それに今回は俺が反省しなきゃいけないことだし」
よかった、とホッとした途端、テオに抱き上げられた。正面のテオの顔はものすごく真剣だ。
「僕だって同じだよ。フィーアと過ごした時間はパット達より少ないけれど、君への愛は負けてないからね。だから、僕への言葉を遠慮しないでね」
兄上の愛は短期間でも濃そうだなあ、と苦笑しながらパットが私をまっすぐに見て笑顔を咲かせた。
「義姉上、この国の年越し行事も面白いからまた次の休暇も兄上と一緒に帰ってきてね。その時はイザベルと一緒に会いに来るよ」
パットが自然に口にした愛情に満ちた次の約束は私が結婚してから得た幸せの一つで、私は嬉しくなって大きな声で返事した。
「はい! きっとまたここに帰って来ます」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ここで終わるのもいいかと思ったのですが、蛇足でまだ続きます