45、妻、カフェでお茶をする
「聞いたわよ! テオドール様は卒業後、帝国の大使の任に就かれるんですってね。これは帝国へ行く人がぐっと増えそうね」
「なぜですか?」
「だって、テオドール様が大使なら手続きの時とかに大使館に行ったら一目見ることが出来るかもしれないし、何かあったら助けてもらえるのよ?」
「そうなのですか?」
どうやら、たった数日でテオが次の帝国の駐在大使になるという話が広まってしまったらしい。
「そうなのですかって、シルフィア様は結婚したときもこちらに来るときも大使館に行ったり大使に会ったりしなかったの?!」
「ハイ。全てテオとフリッツがやってくれました」
・・・怪我で動けなかったので、ということは黙っていたらシャルロッテ様の目が据わった。
はー、これだから幸せぽやぽやの人は! とお茶を一気飲みしてお代わり! とグラスを突き出してきたシャルロッテ様のために私がポットを持ち上げたら、横からルイーゼが取り上げお茶を注いだ。
「ありがとうございます、ルイーゼ」
「さすがハーフェルト公爵夫人お気に入りのカフェ。氷がふんだんで冷えたお茶が最高に美味しい!」
シルフィア様も飲んでください、とルイーゼに促されて私もおかわりをする。
冷たくて甘いお茶が汗をかいた身体に染み込んで爽快な気分。
私はグラスを両手に抱えたまま、周囲をぐるりと見回した。
大きな窓の外には広い布の庇があって日差しが遮られ、店内は涼しい。女性のお客さんが多くほとんどの席が埋まっていて、それぞれ手元のスイーツを食べるのとおしゃべりに忙しそうだ。
ここはお義母様お気に入りのカフェらしい。そのことをシャルロッテ様に教えられて、私は少し悔しかった。
正面の彼女は街歩きということで夕陽色の足首丈の軽やかなドレスを着、綺麗に手入れされた赤みがかった金の髪を可愛く編み上げて花の髪飾りをつけている。
その姿は見るからに貴族のお嬢様で、周囲もチラチラと視線を送っている。彼女はそれを気にすることなく美味しそうにアイスがのったクレープを綺麗な所作で食べている。
・・・周囲の人達には、私はどう見えているのだろう。せめてシャルロッテ様と同じ貴族の令嬢に見えていたらいいのだけど。
こんなこと、思ったこともないだろうシャルロッテ様を少し羨ましく眺めつつ、私も目の前のアイスクリームを口に運ぶ。
・・・冷たくて甘い。それにしても何故、私はここで彼女とお茶をしているのだろう?
今日は午後からルイーゼとエルベの街へ買い物に出た。ルイーゼに案内してもらいながらあちこちお店を覗いて回っていたところ、バッタリとシャルロッテ様に出会ったのだ。
あの後、どうなったのか気になっていたので声をかけたら、近くのカフェに誘われて今に至る。
道端でちょっと挨拶して現在の状況を尋ねるだけのつもりだったのに、どうしてこうなったのだろう。
「ねえ、知ってる? 公爵夫人はクレープがお好きなのよ。貴方は次期公爵夫人だけど、好みが違うのね」
そういえば、最初のお茶のときにお義父様がそんなことを言っていたような。
なんだか得意げな彼女の顔を眺めていると、なんだかモヤモヤしてきた。私は、予定もあるしそろそろ切り上げようと口を開いた。
「あの、私、この後予定があるので・・・」
「え、もう行っちゃうの?! ・・・えー・・・じゃあ、私、シルフィア様に言わないと」
急に真面目な顔になったシャルロッテ様が私を真っ直ぐ見てきたかと思うと頭を深く下げた。
「シルフィア様、先日は酷いことを言って申し訳ありませんでした。貴方のこと、よく知らないのに自分の勝手な思いをぶちまけて、さぞ不愉快な気持ちになったでしょう。反省しています」
え、それ、今言うの?! 驚いて黙っているとシャルロッテ様がフーと大きく息を吐いて顔を覆った。
「やっと言えたわ。ずっと言わなきゃって思っていたのだけど、なかなか勇気が出なくて。なんかもう、私が臆病なせいで引き止めるために中身のない話を延々として本当にごめんなさい」
そう言ってもう一度テーブルに頭をつけてまで謝る彼女を見ていたら、さっきまでのモヤモヤが消えて私は自然と笑い声を上げていた。
そっか、シャルロッテ様はずっと私に謝罪したくて、でもなかなか言い出せなくてグルグルしてたのか。
私も姿勢を正して彼女へ深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、シャルロッテ様。あの時、私も差し出がましいことをしたと思っております。なので、私もごめんなさい」
「いいえ。おかげで兄がいなくなって両親は私に詫びてくれて優しくなったの。だから今は何にも怯えず快適に暮らしてるわ。ありがとう、シルフィア様」
「それはよかったです。ずっと、気になっていたので様子が聞けてホッとしました」
「恐怖がなくなるだけでこんなに穏やかな気持ちで生きられるんだなと、ふとした時に感じるの」
「それ、よくわかります! もうひもじさも痛みも恐怖もない暮らしを送れるというのは、どれほど素晴らしいことか。私は日々テオドール様に感謝しています」
「そうよね、シルフィア様は私なんかよりうんと過酷だったのよね。それを助けてくれたのがあんな好条件の人だったらそりゃあ、好きになるわよね」
私は丁度お茶を飲んだところだったので、返事の代わりに大きく頷いた。
・・・条件や容姿で惹かれたわけではないですが、テオは本当に優しくて頼りになる素敵な夫です!
心の中でテオを褒め称えていると、食べ終えたお皿を押しやるようにテーブルに両手を滑らせたシャルロッテ様が私へ上目遣いの視線を向けてきた。
「あー、本当にシルフィア様が羨ましい。どうして私にはテオドール様やパトリック様みたいな男の人が現れないのかしら」
「・・・テオドール様は絶対にあげませんよ。パトリック様もダメです」
「分かってるわよ。それに、やっぱりあんな怖い人はいらないわ」
あげないと言ったけれど、いらないと言われるとなんとなくムッとしてで私は口を曲げた。
「テオドール様は怖くないですよ。とっても優しい人です」
心の底からそう言ったのに、彼女の目がずんと座って私を睨んできた。
「そ、れ、は、シルフィア様限定なの! 社交界でテオドール・ハーフェルトといえば、笑わない情がない弱味がないで有名だったんだから」
驚きすぎてポカンと口を開けたら、シャルロッテ様が不本意そうに続けた。
「そんな人を激変させちゃったんだから、貴方はもっと自分の特別さを知ったほうがいいわよ? でも、きっと最初は怖かったわよね?」
私にだけは本当のところを教えて、と顔を近づけてきたシャルロッテ様に私も顔を近づけてみた。なんだか秘密の話をするみたいだ。
「テオドール様は最初からずっと、優しかったですよ」
私の小さな声に彼女は目を丸くして嘆息した。
「・・・そっかー、最初からかぁ。それはもう誰も勝てないわね。今まではその見た目と地位だけが目的の人が狙っていたのに、貴方のせいでテオドール様は笑顔が素敵な優しい貴公子になっちゃって、更にめちゃくちゃ人気が高くなっているんだけど、無理ね。今日だって、貴方の服装からはテオドール様の妻っていう主張が凄いもの」
・・・私のこの姿が何を主張していると?
今日の私はテオの瞳の色のふわっと軽い素材のワンピースに、銀色のサンダルとリボン。特にいつもと変わらないと思うけど。
「テオドール様の色なのはもちろん、その生地は光の加減で文様が浮かぶハーフェルト家の特注品。服のデザインから髪の結い方まで若く見える貴方の良さを活かしつつも、若奥様の落ち着きが垣間見える絶妙なバランス! その姿は『ハーフェルト家の若奥様』にしか見えない!」
拳を握って力説するシャルロッテ様に圧倒された私は背筋を伸ばして真顔で傾聴し、横ではルイーゼが私の苦労が報われてる、と言わんばかりに嬉しそうに頷いている。
そうか、私はルイーゼのおかげでちゃんと若奥様に見えてるんだ。よかった!
「おかげで貴方といると周囲からの視線が痛くってしょうがないわ」
その言葉で私はシャルロッテ様の方へ勢いよく身を乗り出した。
「それは違います、シャルロッテ様が綺麗なご令嬢だから、皆さん見ているのですよ!」
「何言ってるの、この街の人達は令嬢なんて見慣れているわよ。この店の中にだってゴロゴロいるわ。なにせ、このエルベは一番治安が良くて最新の流行が作られる街なのよ」
ここで買い物をしない令嬢はいないわ、と続けられて私は店内に視線を巡らせた。皆、私達の会話を聞いていたようで一様に目が合う前に逸らしてゆく。
・・・ええっ?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前章に出てきた彼女です。