42、夫妻、遠乗りデートする
馬上から見る景色は、思っていた以上に高くて広かった。私はテオに抱えられている安心感もあって、公爵邸を出てからずっとはしゃいでいた。
「テオ、枝の先の木の葉に触れますよ! あっ、見たことがない鳥がいます!」
「本当だ、羽の色が綺麗だね。フィーアが楽しそうでなにより」
私とお揃いの乗馬服姿のテオが目を細め、手綱をちょっと引いて速度を落とした。私とテオを乗せた馬は、ゆっくりと森の中の道を辿っていく。
しばらくすると木立の間からキラキラ光るものが見えてきた。その輝きはずうっと向こうまで続いていて、空との境でとけている。
おや、この景色はこの国に来る時に船の中でも見たような?
「テオ! あれはもしかして海ですか?!」
「そうだよ。今日は海で遊ぼうかと思って」
その言葉にうわあ、と声が漏れる。海で遊ぶのは初めてだ。一体、何をするのだろう、と考えて一つ思いついた。
「海で遊ぶといえば釣り、ですか?」
「フィーアは釣りをしたことがあるの?」
「いいえ。前にロメオさんの故郷は海沿いで、毎日魚を釣っていたと話していました。こう、木の棒に糸を付けてブンッと振って・・・ふぎゃ!」
同時に身体もブンッと動いてしまい、馬から落ちそうになって慌ててテオにしがみつく。テオがしっかりと支えてくれたので落馬はまぬがれた。
「ごめんなさい。馬に乗っていることを忘れていました」
「大丈夫だよ。僕は君を落とさないから安心して乗ってて」
その言葉に安堵しつつも、落ちかけた恐怖でテオの背中へぎゅっと腕を回す。ふとテオの脇から背後を覗けば、直ぐ後ろをついてきているルイーゼと目があった。
ニッコリと笑った彼女は、いつも着ている侍女の制服である深緑の無地のドレスではなく隣のフリッツさんと同じ騎士服姿で、いつもは襟足の上でまとめている小麦色の髪を高い位置できりりと結び、とても格好いい。更に馬に乗っている姿は、もう麗人という表現がぴったりで私はうっとりと眺めてしまった。
「・・・僕は、ルイーゼにまでヤキモチを焼かねばならないのだろうか」
頭上から拗ねたような声が降ってきて、私は顔を上げた。ムッと結ばれた口と恨めしそうな薄青の瞳がこちらを見下ろしていて、私は思わず吹き出してしまった。
「確かにルイーゼは格好良くて素敵ですけど、私はテオが一番格好いいと思ってますからヤキモチは焼かなくて大丈夫ですよ」
そう、と言って視線を前方に向けたテオの耳は真っ赤で、私はなんだか彼をぎゅうぎゅうに抱きしめたくなった。
■■
「わっ、砂がいっぱい敷き詰めてありますよ?! 転んでも痛くないようにですかね?」
大声で叫んだシルフィアを近くにいた人達が物珍しげに振り返る。続けて、隣りにいる僕と控えている騎士姿のフリッツ達を見て目を丸くする。
ここは日帰りで行ける範囲では一番綺麗な浜なのだけど、ハーフェルト家とは全く関係がない土地だから、こういう視線にさらされるかもしれないとは思っていた。
僕は慣れているけれどシルフィアは大丈夫だろうかと様子を窺えば、彼女は気にすることなく初めて見た砂浜に興味津々で、恐る恐る足を砂の上に乗せていた。
彼女は結婚するまで『綿ぼこり』と呼ばれて、いないモノ扱いされていたためか、自分がありとあらゆる場所で注目される存在になったということがまだよくわかっていない。だけど、それでいいと僕は思っている。こんな不躾な好奇の視線なんて気にしないに限る。
「ここは『砂浜』といって、誰かが砂を運んで作ったんじゃなくて自然にできた地形なんだ」
「そうなのですか?! 船に乗った時は桟橋の下が深そうな海で少し怖かったのですが、ここなら水の近くまで行けますね! ・・・行ってもいいですか?」
尋ねる彼女の目はもう波打ち際に釘付けになっている。あの寄せては返す波の動きが気になって仕方ないらしい。
「もちろん! 一緒に行こう」
手を差し出せば、シルフィアは嬉しそうに手を重ねてきた。そのまま僕の手を引っ張って走り出そうとして砂に足を取られてつんのめる。僕はさっと彼女の身体に腕を回して抱き止めると暫し考えた。
このまま抱き上げてしまえば安心安全なのだけど、それは砂浜を歩くという彼女の経験と楽しみを奪ってしまうことになるから、ここは我慢だな。
シルフィアが体勢を立て直すのを待って身体を支えていた腕を離せば、濃い藍の瞳をキラキラさせながら彼女が見上げてきた。
「ありがとうございます、テオ。砂の上は思っていたより歩きにくいのですね」
「もう靴を脱いで行けばいいのでは? せっかくの砂浜で靴なんて勿体ないですよ」
ルイーゼがあっけらかんと言って自分の靴を脱いだ。つられたシルフィアが勢いよく靴を脱ぎかけ、フッと気がついたように僕へ視線を向けた。それの言わんとしていることを察して、僕も素足になってみせる。後ろのフリッツが驚愕している気配が伝わってきて、気恥ずかしくなってきた。
・・・自分でも柄じゃないことをしている自覚はある。
「フィーア、行くよ!」
フリッツの視線から逃れるべく、再度彼女に手を差し伸べる。
「テオ、待ってください」
パパッと靴を脱ぎ捨てたシルフィアは僕の差し出した手に全身で飛びついてきた。僕はそのまま彼女を抱えるようにして海へ走った。
こんなふうに誰かとはしゃぐのは初めてかもしれない、と思うとなんともいえない高揚感が僕の中に満ちてきた。
■■
「・・・フリッツさんは靴を脱がないんですか?」
「俺、護衛だよ? そんな無防備になってどうすんの」
「えっ、ダメですか?! すみません、直ぐに履きます」
「いや、ルイーゼはシルフィア様の侍女も兼ねてるからいいんだけどさ。お陰でテオドール様も楽しそうだ」
目線だけでフリッツが促し、木陰に入った二人は、日に焼かれながら波打ち際で戯れるそれぞれの主を眺める。
「まさか、テオドール様が海で遊ぶとは」
「雪か槍が降りそうですよねえ」
彼らの視線の先では主達が砂山を作り始めていた。どうやら近くの子供達と高さを競っているらしい。
・・・俺の知っているテオドール様は大抵いつも本を抱えて書庫か自室にいて、さんさんと降り注ぐ陽の光の下で砂遊びをするなんてことは想像したこともなかったのだが。
昨夜もいきなり『明日は海に行く。シルフィアは海で遊ぶの喜びそうだから』と言い出して大いに面食らった。
「ご家族で遊びに行ってもいつもどこか冷めていて、ご弟妹と遊んでいても付き合っているという感じだったテオドール様が太陽の降り注ぐ海で遊んでいる。これほど違和感のある組み合わせはない・・・」
絶対、静かな森の湖とか遠くの街の古書街とかに行くと思ってた。思わずそんな本音がフリッツの口からこぼれ出た。隣のルイーゼが一つに高く結んだ小麦色の髪を揺らして深く頷く。
「確かに・・・」
そこで言葉を切った二人は、有り得ないはずのその光景を沈黙と共に見守った。
砂山対決はいつの間にか終わったらしく、テオドールと手を繋いだシルフィアがを押し寄せてきた波を足先でチョイチョイと突いている。
なんとなく嫌な予感がして腰を浮かせたルイーゼの目の前で、大きな波がきて驚いたシルフィアがバランスを崩した。
「あっ、シルフィア様! ・・・さすが、テオドール様。安定のフォローっぷり・・・え」
「ああっ?! テオドール様?!」
呆然と立ち上がったフリッツの視線の先には、コケかけたシルフィアを抱き止めたまま砂に足を取られてひっくり返ったテオドールがいた。
「あーあー、なんてこった。水も滴る美貌の次期公爵夫妻の誕生だよ」
「・・・着替え、持ってきてないですねえ」
「お昼食べている間に乾くだろ」
「あーっ、シルフィア様がそのまま海水浴されてます・・・」
「テオドール様まで・・・」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よく考えたら、乾いた後も塩でべたべた