38、妻、はしゃぐ
「シルフィア、次はあれ、あれに乗りましょう!」
「お義母様、あれってどれですか?!」
はしゃぐ母に手を引かれてシルフィアがワクワクとついて行く。
「毎年、この遊園地を一番楽しみにしているのって実はお母様よね」
その様子を隣で眺めていた妹のディートリントが苦笑した。
「僕が生まれて父上が帝国から誘致したらしいけど、母上が一番気に入っちゃったんだよね」
毎年この季節になるとカレンダーに丸をつけてそわそわしていた母を思い出す。そんな母を見る父の幸福感に溢れた眼差しも。
「シルフィアも気に入ったみたいだから、僕の代でも続けないとね」
「あら、テオ兄様は移動遊園地を止めるつもりだったの?」
「業務を街に移管してもいいとは考えていた。でも、シルフィアの予定に合わせて彼女の好きなものを呼べるようにするには僕が権利を握っていたほうがいいよね」
「それはそうだよ。それに、しっかり自分で目を光らせていないと直ぐに公爵家の人間を狙う輩が紛れ込んでくるよ。特にシルフィアはまだ警戒心が甘くて狙われやすいから気を付けないと」
いつの間に背後に来たのか、いきなり父が会話に入ってきた。
「父上、執務はどうしたの? 今日はどうしても行かなきゃいけないって泣く泣く城に出仕したよね」
不審に思って尋ねれば、横に並んだ父が満面の笑顔を向けてきた。
うわ、嫌な予感がする。
「うん。だから、どうしてもの分だけ片付けて後は持って帰ってきた。夜に二人でやろうね、テオ」
「えっ、夜はシルフィアと・・・」
「大丈夫。これだけはしゃげば、今夜は二人ともあっという間に寝ちゃうから。美味しいお酒もあるから付き合ってよ」
父には今回の帰省中、城の呼び出しを抑えてもらっている恩があるから強くは断れない。僕は不承不承頷いた。
「よかった、助かるよ。ところで、エミーリアはどれだけ乗った?」
「メリーゴーランドから始めて、もう五つくらい。今はあの空中ブランコに乗ってるわ」
妹が指を折りながら父へ報告すると同時にキャーッという楽しそうな声が降ってくる。
「一緒に楽しんでくれる相手ができてよかった。君達は乗らないの?」
「もちろん最初の方は一緒に乗ったよ。だけどちょっと、あれだけ立て続けは辛いよ」
「では、そろそろ休憩してもらおうかな。エミィ!」
苦笑した父が、頭上を回る母へ大きく手を降った。
「フィーア、大丈夫?」
「こんなに空を回ったのは初めてで、なんだか身体がふわふわします」
空中ブランコから降りてきたシルフィアは右に左にフラフラと揺れていた。慌てて手を差し伸べてすくい上げる。抱き上げ禁止、と言われるかなと思ったが、緊急事態ということなのか大人しく腕の中に収まってくれた。
「少し休もう」
「そうですよ、お義姉様。遊園地は逃げませんから、約束していたアイスクリームを食べましょう!」
「はい!」
妹の提案に身を乗り出して嬉しそうに頷き、またふらついて僕にしがみつく妻に、たまらなく心がくすぐられる。
「テオ! あそこ、雲が売ってます! ふわふわ真っ白の雲ですよ!」
ちゃっかり抱き上げたまま移動していたら、シルフィアが突然耳元で驚嘆の声を上げた。
「お義姉様、あれは綿あめです。甘くてふわふわしていて口にいれるとシュワッと溶けるのです」
「綿あめという名の雲ですか? えっ、あれは食べられるのですかっ?!」
知らなかった・・・と目を丸くして空を見上げる彼女に周囲が笑みをこぼす。
「フィーア、綿あめは砂糖でできた雲だからね、空の雲とは材料が違うんだ。食べてみる?」
「でも、アイスクリームと両方は・・・」
「綿あめとアイスクリームなら問題なく食べられると思うよ。もし、無理そうだったら残りは僕が引き受けるから」
「本当ですか? でも、テオは甘い物が好きじゃないですよね」
「綿あめは割と好きだから大丈夫だよ」
「ええと、それなら食べてみたいです!」
僕の腕からストンと地上に降りて、綿あめを受け取ったシルフィアは、雲を食べられるなんて! と身体を震わせて感動していた。
「んー、甘くって食べると消えちゃうところが雲ですね!」
大きく口を開けてひとくち食べると、謎の感想を述べて目をキラキラさせて次を頬張る。
なんてお可愛らしい! と身を捩っている妹の首根っこをつまんで抑えれば、横目で睨まれた。
「テオ兄様だって今『とんでもなく可愛い』と思ってるでしょ」
「もちろん常に思っているけど、突撃はしないよ」
「私だってしないわ。手を離してくれないと兄様が本当は綿あめが大っ嫌いなこと、お義姉様にバラすわよ? お義姉様の前でどれだけカッコつけてるの」
「・・・シルフィアが好きなものは僕も好きなんだよ」
そう言いつつも、バラされたくはないので手を離す。
僕は甘い物が苦手なので、当然砂糖でできた綿あめも好きではない。だけど、シルフィアには遠慮しないで欲しかったから、つい嘘をついてしまった。
もちろん、彼女が食べ切れなければ責任持って食べるつもりだったけれど、様子を見る限り僕の出番はなさそうだ。ふわふわー、とうっとりしながら食べ続けている。
「美味しかったです! あっ、テオと半分こするつもりだったのに、全部私が食べてしまいました・・・ごめんなさい」
「僕は何度も食べているから大丈夫だよ。それより、フィーアが夢中になるほど気に入ってくれたことのほうが嬉しい」
僕は砂糖の塊を食べずに済んで心底ホッとしていた。昔弟妹に残りを押し付けられたから十分味は知っている。でも、シルフィアは納得できないようで申し訳なさそうな顔のままだ。
「それなら・・・」
いいことを思いついたと身を屈めた僕は、彼女の大きな帽子を小さく引いて影を作り、サラッとキスをした。
「テオ?!」
「・・・ん、甘い。綿あめ、ごちそうさま」
口を押さえて慌てるシルフィアの帽子を元に戻して笑顔を向ければ、どう反応していいかわからないけど恥ずかしい、と顔を覆ってしまった。
こういう時、もっと困らせたいような、ぎゅうっと囲い込みたいような落ち着かない気持ちになる。
・・・とりあえず、今はどちらもしてはいけないな。
「フィーア、次はアイスクリームだよね。期間限定ってどんな味だろうね」
そっと彼女の顔を覆う手をとって繋ぐ。顔を赤くしたままぎゅっと握り返してくれたことに心が満たされる。
「そういえば、今日乗った物ではどれが一番楽しかった?」
ふと思いついて尋ねてみると、パッと僕を見上げた彼女が顔いっぱいに笑った。
「一番最初に乗ったメリーゴーランドです! 私は馬に乗ったことがなかったので、テオと一緒に乗れてとっても楽しかったです」
シルフィアは初めてきた遊園地の雰囲気に少し緊張していたから、最初は穏やかにメリーゴーランドにしようと母が決めて僕が一緒に乗ったんだった。
そっか、馬か・・・。
「フィーア、明日にでも僕と一緒に遠乗りに行かない?」
「『トオノリ』ってどこにあるのですか?」
「遠乗りは場所ではなくて、馬に乗って遠くに行くことだよ。もちろん、僕が馬を操るから君は乗ってるだけで大丈夫。馬上からの景色も面白いよ」
「まさか、本物の生きている馬さんに乗せてもらえるのですか? それもテオと一緒に?!」
そうだよ、と頷けばシルフィアの目が輝いた。
「テオと一緒に遠乗りに行きたいです!」
・・・ああ、僕はこの笑顔を見るためなら、何だって出来る気がする。
■■
「・・・それで、明日の時間を作るために今必死で仕事を片付けているのか」
父が隣でペンを走らせながら笑いをこぼす。二人並んで山積みされた書類を高速で片付けつつ雑談をしていたら、遠乗りの話になった。
「まあ、そうなんだけど。どこに行けばいいと思う?」
「おや、行き先はまだ決めてないの?」
「うん。シルフィアはどこでも喜んでくれると思うけど、だからこそ一番喜びそうな場所に連れて行ってあげたいんだ」
「その気持ちはよく解る。せっかくだから、僕のとっておきの場所をいくつか教えてあげるよ。それにしても、君とこんな話をする日が来るとは思わなかったなあ」
すごく嬉しそうにしみじみと言う父の声を聞きながら、心の中で呟いた。
・・・僕だって想像もしていなかったよ。まさか、たった一人の女の子に僕の全てを持っていかれるなんて。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これを沼るというのか?!