37、ぬいぐるみ屋にて
うわー!
私は心の中だけで感嘆の声を上げた。壁一面がぬいぐるみで埋め尽くされている。床から天井までぎっしり詰まった大きさ様々、種類豊富なふわふわのぬいぐるみ達。
ぬいぐるみ屋の扉を開けた途端、眼の前に広がったその光景に圧倒されて、私はその場に立ち尽くしてしまった。
すごい。帝都のぬいぐるみ屋さんの何倍も色や種類があって、店内も広い。たくさんありすぎて、この中から一つ選べと言われたら困ってしまう。
「お義姉様、お洋服はこちらです」
今日は本体が目的ではないので、とディーが遠慮なく私を引っ張って行く。そこでも私は口を開けた。
・・・ぬいぐるみサイズの素敵なお洋服がいっぱい!
「可愛いですね! ディー、どれにしますか?!」
「お義姉様はどんな服がお好きですか?」
「そうですね・・・どれもウサギさんに似合いそうで迷います」
「これなんてどう?」
眼の前に差し出されたのは男女セットの夜会服。色は銀と青。これは誰が勧めてきているのか見ずとも分かる。
「テオ。今日はディーとお揃いの服を探しに来たので・・・それもすごく素敵ですけど」
テオの色の服を着ているウサギ達を想像してとても欲しくなったけれど、ぐっと我慢する。ディーとの約束が先!
「でも、僕達が何枚も服を持っているように、ぬいぐるみだって着替えが必要だと思うよ。ディーとのお揃い、僕とのセット、君が気に入ったもの。今日はいっぱい買って帰ろう?」
ということで、この服は決まりだね。とテオが手に持っている籠に嬉しそうに夜会服を入れた。
そんなにたくさん、いいのかな?
周りのお客さんの籠をちらっと窺って驚いた。皆さん、籠に山盛り買っている。
あっ、あの人の持っている服、可愛い! 向こうの人が籠に入れているのはなんだろう? 小さな椅子、かな? どこに置いてあるのだろう?
「ああ、ぬいぐるみサイズの家具も扱っているんだ。服を選んだ後で見ようね」
私の視線を辿ったテオがすかさず予定に組み込んでくれる。
うっかりあちこち見ないほうがいいのだろうか?
「シルフィア、今日は遠慮なくこのお店の品を好きなだけ見ていってね」
ここに来てからオーナーらしく店内を見て歩いていたお義母様が、後ろを通りかかって声を掛けてくれる。
本当に遠慮、しなくていいのかな?
悩んでいたらディーが両手に服を持って私の目の前に掲げてきた。
「お義姉様、この二つならどちらがお好きですか? こちら? では、この緑と花柄では? あ、なるほどこういうのがお好きなのね!」
お任せ下さい、と続けたディーが選んでくれた服はどれも可愛くて一つに絞れず・・・結局私も籠いっぱいになってしまった。
ぬいぐるみの腕輪は、テオの発案で私達の結婚指輪とお揃いのをオーダーすることにした。我が儘、言っていいかなと恐る恐る腕輪じゃなくてウサギの耳飾りにしたいとテオに耳打ちしたら、褒められた。
「我が儘じゃないよ、いい考えだと思う。ウサギだもの、耳飾りのほうが目立っていいね!」
そう言ってもらえるとなんだか嬉しくなって、ちょっと浮かれた気分でテオの腕を引いて家具や小物を見に行く。
「あれもこれもウサギさん達が身につけているところを想像したら欲しくなっちゃいますね」
「全部、買おうか」
笑顔のテオの背後に本気が窺えて、私は高速で首を横に振った。
断らないと、このお店から商品が消えてしまう!
「まさか! そんなにたくさんは必要ないですし、じっくり選んで決めた物を帰宅してから眺めることが楽しいのです」
あのオルゴールみたいに、と言えばテオが成程と納得してくれた。ホッとして棚を端から端まで眺める。どれも可愛くて、見ているだけでもワクワクする。
ふと小さな木製のシンプルな椅子が目に入った。私のウサギには小さすぎるけど、背もたれに描かれている模様が綺麗で惹かれて手を伸ばしたところ、同時に誰かの手もその椅子へと伸びてきて二人で同時に手に取ってしまった。
「これ、私も欲しいのだけど・・・あっ、テオドール様の奥方様?! 申し訳ありません、これ、どうぞ!」
私と目があった彼女は、驚いて飛び上がり、椅子を私の手に押し付けて勢いよくぴょこんと頭を下げた。
・・・あれ? 私、怯えられてる? 大変、このエルベの街はハーフェルト公爵家が治めているのに、私が怖がられるのはよくない。
「あの! 私のウサギさん達にはこの椅子は小さすぎるので、貴方のぬいぐるみさんへどうぞ。」
「いいんですか?! これ最後の一つだったんです、ありがとうございます!」
「・・・その、私を怖がらないでくださいね」
「え?! そんな、テオドール様の奥方様を怖がったりしないですよ!」
なるべく優しく見えるように笑顔で椅子を彼女の手に渡した私は、彼女の返事に安心した後、ふっと疑問が湧いて首を傾げた。
「・・・あれ? そういえば、私のことをご存知なのですか?」
「もちろんです! エルベの街の民でテオドール様の奥方様のことを知らない人はいませんよ! 待ちに待ったお方ですからね」
「私は待たれていたのですか?!」
「はい! あのテオドール様がどんな方をお選びになるか、皆興味津々でした! だけど、なかなかご婚約すらなさらなくて。ですから遂にご結婚されたと噂を聞いて、皆、一目会いたがってましたよ」
それを聞いた私は震え上がった。皆さんのその大きな期待に応えられている気がしない。
「僕が選んだ妻は、とっても可愛いだろ?」
頭の上からテオの嬉しそうな声が降ってきて、同時にふわりと後ろから包みこまれる。
「二十一年かけて、見つけたんだよ」
私の頭にテオが頬を寄せて彼女と彼の会話が続く。
「はい! テオドール様が奥方様に向ける眼差しが見たことがないくらい優しくて、とても幸せそうだったので、そっと見守ろうと皆で言い合っていたのですが・・・結局、お邪魔してしまいました」
目の前の彼女は二つに結った髪を揺らして申し訳無さそうに眉を下げた。
「お邪魔なんかじゃないですよ! 私は皆さんとお話がしたいです。それから、『テオドール様の奥方様』は長いのでシルフィア、と名前で呼んでいただけると嬉しいです」
彼女と話せて嬉しかったと伝えたくて、私の身体を包んでいるテオの腕を掴んで身を乗り出して訴えれば、彼女に笑顔が戻った。
「よかった! ええと、では、シルフィア様。また街で出会ったらお話させてくださいね」
もちろん! と返した私へ今日はここまでと軽やかに挨拶をして彼女は去っていった。
街で会ったらお話する人ってお友達かな? ロメオさんやジャンニさんと街で会ったらお喋りするもの、きっとそうだ! 私にお友達が増えたんだ。
心に湧き上がった喜びを噛み締めていたら、周囲にいた他のお客さん達に取り囲まれた。
「シルフィア様! 初めまして。私達ともお話してください!」
「はいっ、もちろんです」
「お二人は何処で出会ったんですか?!」
「ええと、帝国の・・・」
「学院」
「ご結婚されたきっかけは?!」
「僕のひと目惚れ」
「やっぱり溺愛されてるんですよね?」
「もちろん。だから、今日はここまでね。僕とシルフィアの大事なデートの時間が減っちゃうから」
途中からテオがポンポンと答えてサラリと質問攻めから逃れた。
「フィーアが人気すぎて、とられそうでハラハラする。僕の心の安寧のために君を抱き上げちゃ駄目かな?」
弱々しい声で頼まれると嫌とは言えず、後ろから抱きしめられたままだった私は、答えの代わりに彼の方を向いてその首に腕を回した。
「やった、ありがとう。これで少しは落ち着けるよ」
テオが心底嬉しそうに私を抱き上げて頭を擦り寄せる。その薄青の瞳がキラリと光った。
「そうそう、フィーア。今度は僕にも何か見立ててよ」
「灰色のウサギさんにですか?」
彼にも色々買ったのだけど、と首をひねりつつまだ見ていない物はあるかなと店内を見回す。
「違う違う。僕自身に、だよ。ぬいぐるみだけが君の選んだものを身につけるなんて羨ましすぎて我慢出来ない」
ぬいぐるみにまでヤキモチ焼かないでください・・・!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ぬいぐるみ屋は多分、ここが世界最大規模