31、夫の好みの女性
残った男はポカンと口を開けた。
「いや、待てよテオドール。俺達、学園で同級生だったろ?! アイツが溺れ死んでもいいのかよ?!」
「そうだっけ? 全く覚えてないな。大体シルフィアに手を出したヤツなんてこれから先、社会的か現実的な死のどちらかしかないんだから溺れ死んでるなら、それはそれで手間が省けていいよ。まあ、残念ながら伯爵邸内だし誰かが助けてると思うけど」
真顔で言い切ったテオの言葉に相手の男の顔から血の気が引いていく。
「お前、そんなヤツだったっけ? もっとこう、沈着冷静な感じだったような。・・・なんか過激すぎない?」
「君達は、絶対に手を出してはいけない人に手を出したんだよ。僕が大事に大事にしている妻をこんな目に遭わせてのうのうと生きていられると思ってないよね? それ相応の覚悟は持ってやったんだよね?」
全く表情を動かさず無機質な声で畳み掛けるテオに男が慌てだした。
「いや、待て待て。俺達はお前好みのちゃんとした令嬢を紹介してやろうと思ってさ。ほら、コレ、シャルロッテ嬢。侯爵令嬢だし、賢いし礼儀もマナーもバッチリで姿形もテオドールの好みにピッタリ! どう?!」
男が側にいたシャルロッテ様をグイとこちらへ押し出した。彼女は無言で俯いている。
彼女はこの騒ぎをどう思っているのだろう?
じっと眺めていても私には全く分からなかった。テオはといえば、もう氷点下の不機嫌さで眉間に深いシワを刻んでいる。
「言っておくけど、僕の好みの女性はシルフィアだからね。その人はシルフィアじゃないから全く好みじゃない」
「え、だってほら、背丈も小さいし目も大きくてさ・・・」
「それが何? 僕は、シルフィアが好きなのであって、大きさとか顔や身分にこだわりはないんだよね」
絶句した男を見てテオが薄っすらと口の端を上げた。
「なるほど、それをシルフィアから僕に言わせようとしたんだ? で、拒否されて暴力行為に及んだ、と。これはもう、塵にしても気が済まないな」
「俺をチリにするってどうやんの?!」
「そんなの決まってるじゃない! 私が直々にボッコボコに殴り倒して粉々にして差し上げるわ! お母様とお揃いで例えようもなくお可愛らしかったお義姉様になんてことしてくれたのよ」
突如として割り込んできた怒りに怒気に満ちた麗しい声に、男が驚いて視線を向ける。そこにはディーが華やかな薔薇色のドレスで仁王立ちしていた。紫の瞳は怒りに燃え盛っている。
バルコニー内をぐるりと見渡した彼女は、男の横にいるシャルロッテ様に気がつくと目を丸くした。
「あら、シャルロッテ様。貴方もこの男の仲間なの?」
その言葉で今までひっそりとしていたシャルロッテ様が飛び上がって首を強く横に振る。
「いいえ、私は兄から『テオドールの妻を連れてこい』と命じられただけなのです! 誓って仲間なんかじゃありません。兄はいつも私を虐めて、今日も連れてこないと殴るって言われて怖くって・・・」
ハラハラと涙をこぼして訴えるシャルロッテ様を見て、私は心底気の毒だと思った。
「やはり、そうだったのですね。シャルロッテ様、泣かないでください」
テオの腕の中から下りて彼女を慰めようとしたら、逆にぎっちりと抱き込まれた。
「テオ?」
不思議に思って彼の顔を見れば、薄青の瞳が据わっている。
「今、やはり、と言ったね?・・・フィーア、君は分かっていて、ついて行ったんだね?」
私の目を真っ直ぐ見ながら確認するテオの目がつり上がっていく。
・・・やっぱり怒られるらしい。
「ハイ。私がついていけばシャルロッテ様が誰かに嫌なことをされないで済むのならと思いまして」
申し訳ありません、とテオの視線を避けるように目線を下げれば、シャルロッテ様がハッとしたように私を見上げてきた。私は貴方は悪くないと伝えたくて、一生懸命笑顔を作って向ける。
「私は殴られるのも悪口を言われるのも慣れているので平気なのです」
なんともいえない表情になったシャルロッテ様が唇を震わせた。
「何ソレ、自分は特別って言いたいの? それで私を助けたつもり?! 貴方はいいわよね、こうやってテオドール様に助けてもらえて次期公爵夫人だからこの先うんと贅沢できて、幸せいっぱいじゃない。私なんていつもいつもお兄様に虐められているのにお母様達は全然気がついてくれないし、地位があってお金持ってて超素敵な男の人は助けに来てくれないし! シルフィア様と私と何が違うっていうのよ、貴方だけ私の欲しいもの全部手に入れてズルいわ!」
一気に叫んだシャルロッテ様は肩で大きく息をしながら私を睨みつけてきた。その場は静まり返って、私はどう返していいか分からず戸惑った。
「何を言ってるの、シャルロッテ様。お義姉様は貴方の欲しがっているものを何一つ、望んだことはないわ」
静寂をものともせずに切り捨てたディーへ、シャルロッテ様がいきり立つ。
「だって、この人は今、全部持ってるじゃないですか! ディートリント様だっていいお家に生まれてズルい!」
「まあ、私がとても恵まれていることは否定しないけれど、不幸比べなんてしてもしょうがないの。幸せ比べはもっとくだらないけど。それより、貴方が『今』を変えたいのなら少しだけど私はお手伝いすることができるわ」
ふっと目元を緩ませて笑んだディーに、シャルロッテ様が目を輝かせてにじり寄る。
「私、変えたい! ディートリント様、何をしてくれるの? ハーフェルト家の養女にしてくれるとか?!」
「いえ・・・それは無理だけど、家族から離れるためにお城の侍女になるのはどう? 父に頼めば王妃殿下に口利きできるわ」
なるほど、それはいいかもしれない。お城にいればシャルロッテ様は兄から虐められることはない。私はホッとして身体から力を抜いた。途端、彼女が思いっきり足を踏み鳴らした。
「はぁっ?! あのキツイ王妃殿下に仕えろっていうの? シルフィア様が公爵夫人でなんで私が侍女なのよ、ありえないわ!」
「じゃあ、シャルロッテ嬢はどうしたいのかな?」
それまで様子見を決め込んでいたテオが平坦な声で尋ねれば、今度はテオの方へ近づきながらシャルロッテ様が胸の前で手を組んでうっとりと語った。
「私はハーフェルト公爵家の養女になって、大事にされて何処かの国の素敵な王子様とか、私の言うことを全部聞いてくれるお金持ちの格好いい貴族とか、誰からも羨ましがられる相手と結婚して一生幸せに暮らしたいの。シルフィア様だってそうなんだから、私もそれくらいされて然るべきでしょう?」
なんでそこで私が出てくるのだろう、と困惑しているとディーが噴火した。
「お義姉様とシャルロッテ様は全然、違うんだから!」
「そんなことない、見た目も生い立ちもそっくりだってお兄様が言ってたわ! このために私は虐められてた違いないの。不幸な美少女には万能の王子様が助けに来てくれるんだから!」
夢見るように話す彼女に、さすがのディーも顔を引き攣らせた。テオはどうかなと窺えば彼は無表情を極めていた。
「バカバカしい。容姿が少々似てるくらいで人生も同じになったりしないわよ。大体、お義姉様と貴方の思う『幸せ』は違ってると思うわ。地位やお金じゃないの」
瞬時に態勢を立て直したディーが腕を組んで言い放てば、シャルロッテ様が激高した。
「そんなのウソ! シルフィア様だってお金と地位という幸せのために結婚したんでしょ?! 正直に言いなさい!」
目を限界まで見開いて詰め寄ってくる彼女へ、私は考え考え正直に答えた。
「ええと、私はお金や地位ではなく、家族から逃げるために結婚しました。テオドール様に地位やお金がなくても、その手を取ったと思います。私の幸せはテオが抱きしめてくれる時の温もり、です」
「シルフィア、君はなんて嬉しいことを言ってくれるの!」
喜んだテオが私の頬にキスをし、それを見たシャルロッテ様の目が据わった。
「何よ、私が間違ってるとでもいうの?! なんで私だけが不幸なのよ。こんな指輪、幸せを見せびらかしているみたいで大キライ!」
そう叫ぶと手すりの側にぼんやりと突っ立っていた男の手にいきなり飛びつき、私の指輪をもぎ取って外へ投げ捨てた。
「私の指輪っ」
気がついた時には私の身体も一緒にバルコニーの外へ飛び出していた。
奇跡的に指輪を掴んだものの、戻る術はなく私は引力により下へと急激に引っ張られた。
池に、落ちる!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
夢を語るシャルロッテ嬢の独擅場。