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3、夫は妻を構いたい


 出来た、と小さな声が聞こえて、僕は読んでいた本を閉じて机に置いた。これみよがしに大きく伸びをしてシルフィアの方を見れば、彼女は僕を気にすることなく書き上げた招待状に封をしているところだった。


 窓から差し込む午後の光に透ける白金の髪、黒と見間違うほど濃い藍色の丸い瞳は真剣で、北の生まれで白く透明感がある華奢な手を正確に動かして丁寧にサインをしている。


 その様子がとんでもなく可愛くて、僕は座っている椅子の肘掛けに頬杖をついてじっと眺めていた。


 彼女はこの帝国領内の小さな国の王族に生まれた。だが、ずっと家の者から虐待されており、帝国内の王侯貴族に入学が義務付けられている学院でも実兄から暴力を受けていた。


 学生時代の彼女は今と違って薄汚れており、誰とも目を合わせず隅っこで俯いていた。帝国の隣の国から留学中の僕は、そんな彼女を救い出したくて一番確実に守ることができる夫という立場になった。

 もちろん、結婚したのは同情からだけではなく、愛情があったからだ。


 二ヶ月経った今では愛情しかないし、それが日々増えていっている。だけどシルフィアは夫の僕にさほど関心を持ってくれていない気がする。


 今も僕がじっと見ていることに気がつかず、出来上がったお茶会の招待状を両手に持って満足そうにしている。


 そんな彼女を見ているだけでも幸せなんだけど、出来ればもう少し僕の方を見て欲しいと思うのは贅沢なのだろうか?


 そんなことを考えながら妻である彼女を眺めていたら、窺うようにこちらを見た彼女と目があった。何か言いたそうな様子に先回りして声を掛ける。


「フィーア、招待状を書き終えたんだろ。今から届けに行く?」

「いいのですか?! では、直ぐに支度して行ってきますね!」


 目を丸くした後、急いで立ち上がった彼女は足をもつれさせてよろけた。


「危ない! そんなに慌てなくても、僕も今から外出の支度をするのだからゆっくりでいいんだよ」


 さっと抱き止めて、しれっとそのまま腕を回して包み込む。

 同じ石鹸を使っているはずなのに、彼女はどうしてこんなにいい匂いがするのだろう。柔らかい髪に顔を埋めて目一杯楽しんでいたら、彼女が居た堪れない様子でモゾモゾ動き出した。


 ぷはっと僕の胸から顔だけ抜け出した彼女は思いっきり顔を上に向けて、不思議そうに僕を見つめてきた。


「テオ様も今からお出かけですか? 昨夜、フリッツさんとウータさんに『明日は一日家にいるから休みを取って』と言ってましたよね」


 も? その言い方に僕の眉が跳ねる。


「フィーア、まさか僕が君を一人で外出させると思ってるの?」


 その言葉で驚愕の表情を浮かべた彼女がしどろもどろになった。


「ですが、これは私の用事で・・・テオ様はせっかくのお休みなのですから、テオ様がやりたいことをしていて欲しいのです」

「分かった。じゃあ、一緒に外出して夕食も食べて帰ろう」

「?!」

「僕のやりたいこと、だよ。丁度いい機会だ、これから街でデートしよう」


 デート、と繰り返したシルフィアの表情がふわり、と一瞬だけ綻んだ。そのまま笑顔になるかなと期待したが、それは叶わず直ぐに元に戻ってしまった。


 多分、生まれてからほとんど笑ったことがないであろう彼女の満面の笑顔を引き出してみたいとひっそり思っているのだけど、まだまだ難しいようだ。



■■



 招待状の宛先は先日シルフィアの友人になった三人で、以前商家にいたジャンニはアパートメントの隣にあるぬいぐるみ店に、見た目は怖いが気は優しいロメオは街の学校で子供の安全を守りつつ雑務を、元料理人のルノーは近くの食堂にそれぞれ再就職していた。


 その三人へ順に招待状を届けて、最後のルノーが働く食堂でちょっと早めの夕食を摂ることにした。

 まだ客は少なく、空いていたカウンターの端にシルフィアを座らせる。


 「フィーアは何を食べる? 好きなものなんでも頼んでいいよ」


 ごく当たり前に口に出した僕の言葉に、彼女は困惑した表情になった。


「・・・私の好きなものって何でしょう?」


 差し出されたメニューの文字を指で追いながら途方に暮れた声を出す彼女に、カウンターの奥の調理場にいるルノーや横で注文を取ろうと控えていた女性が目を見張った。


 僕はしまったな、と頭を掻いた。彼女はきっと虐待されていた間、食べることに必死で好き嫌いなど考えたことがなかったんだろう。


「じゃあ、僕と一緒に決めようか」


 そう告げれば、彼女がホッとしたように頷いた。

 そうして、結婚するまで勉学の機会を与えられず、まだゆっくりとしか読めない彼女の指の動きに合わせて一緒に小声でメニューを読み上げていく。


「・・・魚のスープ、野菜のスープ、キャベツと肉団子のスープ」


 そこでぴくっと彼女の指が止まった。


 ・・・分かりやすい。そしてたまらなく愛しい。ここが家なら彼女をひざに乗せて続けたい。


「じゃあ、このキャベツと肉団子のスープにしようか」


 いいのかな、というように僕を窺いつつも、食べてみたいと目を輝やかせている彼女に僕の中の何かが切れる音がして、気がつけばその頬に唇を寄せていた。


「テオ様?! な、何をしてるんですか!」


 頬を押さえて慌てるシルフィアの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「いやもう、君が可愛すぎて我慢できなかったんだ。ごめんね、嫌だった?」

「・・・嫌、ではないです。でも、は、恥ずかしい方が勝ってて」


 そう言いながら、彼女は真っ赤な顔で店内へ首を巡らせて見ていた人がいないか確認している。

 

 ルノーも側の女性もそっぽを向いて知らんふりをしているけど、確実に見てただろうなあ。


「大丈夫、客も少ないし端っこの席だし誰も見ていないよ。そうだ、デザートも頼む?」

「いいのですか?! うわぁ嬉しい!」


 デザート、の一言で恥ずかしさは何処かへ吹っ飛んだらしい。真剣な表情でメニューを読むことに戻った彼女の方へそっと顔を近付ける。


 保護した時より健康的になって丸みを帯びてきたその頬を眺めていたら、また耐えられなくなって今度は指でつついてしまった。


「テオ様っ!?」

「フィーアはたまらなく可愛いね。君は本当に何をしても可愛いな」


 我慢を放り投げて全開で愛でたら、彼女が困り果てた声を出した。


「テオ様、これではいつまで経っても注文ができません。私、お腹が空いてきました」

「それは大変だ。よし、急いで決めよう。まず先にスープを注文しておこう。ルノー、キャベツと肉団子のスープを一つ。あと、妻は人参とキノコが少し苦手だから少なめでお願いするよ」


 近くにいた女性は新しく入ってきた客の応対をしていたため、カウンターの向こうにぽんと声を掛けた。直ぐに承知しました、と応える声とともに準備を始める音が聞こえてきた。


「・・・テオ様、私はキノコと人参が苦手なのですか?」


 目を丸くして僕を真っ直ぐに見てくるシルフィアも可愛くて、また触れてしまいそうな自分をぐっと抑えつける。これ以上は不味い。怒られるを通り越して嫌われる。僕は平静を装って笑顔を向けた。


「食事中に君を見ていたら、何でも嬉しそうに食べてくれるけど、キノコや人参があるとフォークで少し突いて転がしてから口に入れているんだよね。それで少し苦手なんじゃないかと思ったんだ」


「えっ、そうなんですか?! 自分では気づいていませんでした」


 むむ、と眉を寄せた彼女が何かに閃いた顔になった。


「テオ様もご自分では気がついていないクセがあるかもしれませんね。今度は私がテオ様をじっくり観察して見つけてみせます!」


 お待たせしました、と目の前に置かれたスープの湯気の向こうで彼女の笑顔が咲いた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


テオのくせってなんだろう?

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