27、公爵閣下と散策
数日後、私は公爵夫人である義母の執務室にいた。
テオの色のウサギのぬいぐるみと一緒にソファに腰掛けていると、カラリと乾いた風が窓から入ってきて髪を揺らしていった。その涼しさに瞼が下りてきてウトッと頭が傾ぐ。
・・・ダメダメ、寝てはいけない。私はここに勉強に来てるのに。
今日は朝からテオもパットもディーもいなくなってしまい、私は義母に頼んで公爵夫人の仕事を見せてもらっていた。義母の側はなんとなく安心できるということもあった。
だけど、いずれ自分がすることだからきちんと教わらなくてはと、両手を膝に揃えて背筋を伸ばしてしっかりと見ていたはず。
なのに、座っているソファが気持ち良すぎて睡魔が押し寄せてくる・・・!
「シルフィア、眠いなら寝てていいのよ。私は今手紙の返事を書いているだけだし、貴方に公爵夫人の仕事を教える時間はこれからたくさんあるもの。昨夜は暑かったから、なかなか眠れなかったのではない?」
私の身体がゆらゆらしていることに気がついた義母の言葉で最後の糸が切れた私は、そのまま側の大量に積まれたクッションへ倒れ込んで眠ってしまった。
全てがフカフカで身体が沈み込んでいく。ぬいぐるみも抱き寄せるとモフモフが最高で、すごく気持ちがいい。多分、睡眠不足は暑さのせいではないのだけど、今はもうどちらでもいい。とにかく眠い・・・。
「ただいま、エミィ!・・・おや、こんなところに眠り姫がいる」
「おかえりなさい、リーン。静かにね。昨夜は暑かったし、旅の疲れもでたんじゃないかと思うの」
「そう。シルフィア殿は、僕のいない間にうちに馴染んでくれたみたいだね。よかった、ちょっと心配だったんだよ」
「ええ、本当に。さっきうつらうつらしているのを見て、とっても嬉しかったの。ここも彼女の安心できる場所になってきてるのかしらって」
「僕にはそうなっているように見えるよ。ところで、パットは城の騎士団でテオやディーは?」
「テオはお城、ディーはお茶会よ」
「えっ、テオは城に呼び出されてるの?! それは怒っていそうだなあ」
「リーンが行った次の日からずっとだから、かなり怒ってるわよ」
「それはシルフィア殿にも悪いことをした。明日からはテオに休みを取らせるよ」
テオ、という言葉が聞こえてフッと目が覚めた。午後の陽射しが眩しくて、眠気を纏ったままぐるりと寝返った途端、私はソファから落ちた。
「あら、シルフィア、大丈夫?! ごめんなさい、起こしちゃったかしら」
慌てて駆け寄ってきた義母の向こうに見慣れない人がいて、私は目を凝らした。
ええと、やたらと綺麗な男の人だ。でも、どこかで見たような。パットに似てるけどテオにも雰囲気が似てる人って・・・?
「えっ?! ハーフェルト公爵閣下? あっ、おかえりなさいませ。すみません、お義母様の部屋でこのような、その」
それが誰か、頭が認識した瞬間、私は飛び上がった。しどろもどろにこの部屋で寝ていたことの言い訳をしようとしたが、公爵が素早くなんともいえない笑顔で私を黙らせた。
「エミーリアをお義母様と呼んでいるなら、当然僕のことはお義父様と呼んでくれるよね、シルフィア?」
「ハイ、『お義父様』」
「これで僕もエミーリアとお揃いだ」
ビシッと直立不動で答えれば、義父がふふっと嬉しそうに笑った。この人は笑顔で喜怒哀楽を表現するらしい。
「さて、シルフィア。エミーリアは忙しいから僕達は庭でも散歩しようか」
「・・・へ?」
思わず間抜けな声が出た。義父と私が二人で散歩?! 一番、ありえない組み合わせではないだろうか?
そうは思っても口に出すわけにも断るわけにもいかず、私はぬいぐるみをソファに残して大人しく義父について行った。
■■
この季節、午後の庭散策は暑すぎるのではと思っていたが、義父が木陰や水辺を選んで歩いてくれるので意外と涼しかった。
しかも、庭にまつわるテオの小さい頃の思い出を色々聞かせてくれるものだから、とても盛り上がってしまった。
リスを追いかけて木に登って降りられなくなった幼い頃のテオが可愛すぎる!
そのテオが初めて登った木を見て感動している私の横で、義父が自慢気に話す。
「・・・テオは当時赤ちゃんだった弟にリスを見せてあげたかったらしい。もちろん、その時はリスに逃げられた。でも、彼はその悔しさを糧に木登りの練習をし、リスについて調べて見事自分で捕まえたリスを弟に見せたんだ」
「リスについて調べるところがテオドール様ですね!」
小さいテオが一生懸命リスを捕まえるべく奮闘している様子が目に浮かぶ。元気に相槌を打った私へ義父は軽く頷いて続けた。
「うん。テオは真面目で勤勉なんだ。そして、いつも誰かのためを考えている。彼が自分のことだけ考えていたのは、弟が生まれるまでの本当に短い期間だけだったんじゃないかな。それからずっと、この家を背負って立つべく彼は自分の気持ちを後回しにして生きてきた」
急に告げられたその内容に、私は返す言葉が見つからず黙って目の前の悲しそうな笑顔の人を見上げた。
サアッと風が吹いて木の葉が揺れる音とともに、義父はテオと同じ薄青の瞳で私を見つめ返し、ふんわりと笑った。
眼の前の人は笑っているのに、私には今にも泣きそうに見えた。
「さらに成人して周りがうるさくなって、ついにテオが公爵家の跡取りの義務として妻を娶ると言い出した時、僕は止められなかった。テオは僕の側近に婚約者選びを任せて、その男はものすごく張り切ってしまっていたんだ・・・」
その言葉に私は固まった。
え、テオには私以外と結婚する未来があったの?
私は気になったことを恐る恐る義父に尋ねた。
「その、婚約者候補様は、やはり貴族のご令嬢ですよね・・・?」
「そうだね。世間的に見た目も能力も家柄も考えうる限り最高の条件のご令嬢達だったよ」
サラリと告げられて私は小さくなった。私はそんな方々を差し置いてテオの妻の座についてしまったのか。そして、義父はそれを快く思ってないのでは、ということに思い至った私は必死で謝った。
「申し訳ありません! 私は最低の条件も満たしていなくてダメなところしかありませんが、立派な公爵夫人になれるよう必死で頑張りますので、このままテオドール様と一緒にいさせてください」
平謝りして土下座しようとする私を止めて、義父が穏やかに言う。
「そうじゃない、君はもう立派な次期ハーフェルト公爵夫人だよ。僕は、君がテオと結婚してくれたことに感謝しているんだ」
私はその言葉がよく飲み込めなくて首を傾げた。
最高のご令嬢じゃなくて、何も出来ないボロボロの私でよかったの?
義父は私の目を真っ直ぐに見つめて頷く。
「シルフィア、テオの婚約者候補達は世間一般的には最高の条件だったけど、ハーフェルト公爵家にとって一番大事な条件を満たしてなかったんだ。」
それは、何?
「お義父様・・・私は、その条件を満たしているのでしょうか?」
薄青の目をじっと見たまま尋ねれば、義父はもちろんと、飛び切りの笑顔を見せた。
「条件はただ一つ、テオに愛されること。彼は本当に多くの令嬢達に会ったのだけど、誰にもその心は動かなかった。それどころか、逆にどんどん嫌いになっていってしまって、ついには永久凍土とまでいわれて。僕達はもう彼は恋をしないだろうと思っていた」
義父は同意を求めるような困ったような笑みを浮かべて続けた。
「そんな時に突然フリッツがテオの手紙を持って駆け込んできて。あの真面目で気遣い屋で義務感の塊だったテオが、なりふり構わず君と結婚したいと言ってきたんだ。あまりにも急だったけれど、僕と妻は手を叩いて喜んだよ」
「それは、私を助けるために・・・」
心優しいテオは私のために動いてくれたのだ、と言えば義父は慈愛に満ちた表情で頭を振った。
「いや、それもあるだろうけれど、テオは一秒でも多く君といたいから直ぐに結婚したいと書いてよこした。そんな出会って直ぐの求婚を君が受け入れてくれたことにとても感謝をしている。そして、テオを好きになってくれてありがとう、シルフィア」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
当初の予定と全然違う場所だけど、この二人で会話をさせたかったのです。




