10、小さな嵐 前編
最近、テオ様は忙しい。
もうすぐ試験期間ということで、その勉強や提出課題などで夜遅くまで机に向かっている。
今日は休日だけど、彼の邪魔をしないように私も別室で静かにノートを広げていた。一応、私も勉強中の身なので家庭教師の先生から出された課題があるのだ。
テオ様のように難しいものではなく、私の場合は社交界で困らない最低限の知識とマナーを身につけることが急務なので、その辺りを重点的に学んでいる。
「さて、昨日の新聞はどこでしょう?・・・あ、ありました」
私は一人で呟きながら見つけ出した新聞を机の上に広げ、指でたどりながら記事の内容を読んでいく。
新聞にはまだまだ分からない言葉が多く出てくるので、辞書に手伝ってもらいながら興味のある記事を見つけては切り抜き、ノートに貼ってその内容に関連したことを調べて書き込んでいく。
これで芋づる式に知識が楽しく増えていくからたくさんやってね、と先生に言われたので頑張っている。
「わ、美味しそう」
あるカフェの新作メニューの紹介を切り抜き、じっと描かれている絵と説明文を眺める。
ぱふぇ、かあ。バニラアイスクリームと季節の果物と生クリーム・・・食べたい物しか入ってない!
私はうっとりしながらその店の場所を地図で探した。既に書き込んである自分の住んでいる場所からの道順を指でたどってみる。
「歩いて行ける、かな?」
「ちょっと離れているけれど、休日のデートにはちょうどいいんじゃないかな。試験が終わったら行こうか?」
「ひゃっ?!」
いきなり背後から声を掛けられた私は椅子から飛び上がった。慌てて振り向けば、予想通りテオ様が立って私を見下ろしていた。
・・・全く彼の気配に気がつかなかった!
「テオ様、なんでここにいるんですか?!」
「驚かせちゃってごめんね。飲み物を取りに来たらフィーアが真剣に地図を見てたから何処へ行くのかと思って」
そう言ってにこっと笑った彼は、持っていたカップをテーブルに置くと私の隣の椅子に座った。
私は平日と同じように新聞を広げるべく大きなダイニングテーブルを使っていたため、お茶を取りに来た彼にぱふぇにうっとりする様子を見られてしまったのだ。
テオ様は私が心を動かしたものに敏感に反応して、直ぐに手に入れたり連れて行ってくれようとする。
それはとても嬉しいことだけど、私が何の気なしに口にしたことで、彼に無理をさせているのではないかと心配になる。
今も彼は、ぱふぇの切り抜きを手にとって真剣に見つめている。私は彼の方を向いて、膝の上に両手を揃えた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいのですが、テオ様は甘い物は食べないですよね。だから、ぱふぇは一緒に行かなくていいですよ」
「じゃあ、君はこのパフェを誰と食べに行くの?」
あ、パフェの発音が違ってた、と口に手を当てた私の前で、彼の表情がすうっと消えた。
あれ、何かマズイ気がする。
私は慌てて両手を振って付け足した。
「テ、テオ様は私の希望を叶え過ぎです。私のために無理して甘い物を食べに付き合ってもらいたくないのです」
その途端、彼の顔がクシャっと崩れた。
「なんだ、そんなことか。無理なんてちっともしていないよ。僕は君が甘い物を食べて幸せそうにしているところを見るのが好きなんだ。だから、このパフェの店には僕と二人で行こうね」
笑顔で私の手を取って小首を傾げた彼の念押しに思わず頷いてしまう。
いや待って、このまま流されてはいけないと首を振る。
「だ、ダメです! いつも私の希望を叶えてもらってばかりなので、今度はテオ様の行きたいとこに行って食べたい物を食べるんです」
「えー、そんなのいいのに。僕は君と一緒ならどこでも嬉しいし、君が楽しそうにしているのを見るのも好きなんだよ。だから次のデートはここに僕と行こうね」
勇気を振り絞って伝えた気持ちは、あっさりいなされて結局いつも通り。私が困った顔をしていると、彼はそのまま抱きしめてきて背をポンポンと叩いてあやしてきた。
「フィーアは僕にいっぱい甘えてくれたらいいんだ。僕は君の夫なんだから」
その言葉に心臓がキューッと締め付けられて、次に顔が熱くなって、どう答えていいか分からぬまま、私は見上げた彼の薄青の瞳から目を逸らせずにいた。
固まった私へ極上の笑みを浮かべたテオ様の顔が近づいてくる。さすがに半年近く夫婦をしている経験から、キスだな、と思った私は了承の意で目を閉じた、ところで。
「ただいま、帰りましたー! お昼のパンを買って来ましたよ。・・・あ、お邪魔でした?」
「テオドール、課題が間に合わねー! 助けて!・・・あ、お前こんな時に何してんだ、さては余裕だな?!」
居間の扉がバッターンと開くと同時に、今日はウータさんがお休みなのでお昼ごはんを買いに行っていた護衛のフリッツさんと、何故かテオ様のお友達のカミーユ様が飛び込んできた。
口々に騒ぐお二人へ、拳を固めてゆらりと立ち上がったテオ様が叫んだ。
「フリッツ、ノックしろよ! カミーユ、なんでうちに来てるんだよ?! お前の課題なんて手伝わないぞ」
「いやー、まさかお二人で過ごされているとは思わなくって。若奥様がお腹空かせて待ってるかなーと急いだもので」
「もうテオドールが手伝ってくれないと終わらないんだって。頼む、これ落としたら俺は進級が危ないんだよー」
「フリッツ、シルフィアだって子供じゃないんだから、お腹が空いたらその辺のもの勝手に食べるよ! カミーユ、お前が進級出来なくても僕はちっとも困らない。逆に試験の度に泣きつかれなくて楽だ。今直ぐ帰れ」
私は言い合うテオ様とカミーユ様を避けつつ、フリッツさんから受け取ったパンを籠に盛り、温め直したスープを片付けたテーブルに並べて声を張り上げた。
「テオ様、カミーユ様、ごはんですよ!」
言い争っていた二人がピタリと止まり、私とテーブルに並んだ食事を見た。
「えっ?!」
「あ、俺の分まである。ありがとう、シルフィアちゃん!美味しそー、もしかしてシルフィアちゃんが作ったの?」
「はい、昨日ウータさんと一緒に作りました。ルノーさんのレシピですから、美味しいですよ」
「それはいいな。昼時を狙って来てよかったぜ!」
「お前、王子のくせに礼儀ってものを知らないのか?! フィーア、カミーユのスープは無くていいよ。せっかく君が作ってくれたのに、僕の取り分が減ってしまう」
「スープはまたいつでも作りますよ。テオ様のお友達は、大事なお客様ですから」
「そうそう、友達は大事にね!」
「どの口が言うか! ・・・もう仕方がない、せっかくシルフィアが用意してくれたから食べていきなよ。但し、彼女から一番離れた席に座れ」
テオ様は、なんだか疲れた声でカミーユ様へそう言うと側にいた私をきゅっと抱きしめて、そのまま近くの椅子へ座らせた。
「フィーアはここに座って」
「あ、りがとうございます?」
自分で座れるのに、と思ったことは直ぐにバレたようで彼はクスリと笑った。
「昼食の準備をありがとう。後はお茶だけだし、僕がやるから座ってて」
「ありがとうございます」
既にお茶を淹れているフリッツさんの手伝いに行く彼を見送って、私は目の前の美味しそうなパンを眺めていた。
どれも美味しそう。皆さん、どれを食べるのでしょうか。
「いやあ、君といるとテオドールが全く俺の知らない人物に思えるね。で、どう? 学院中の、いや、周辺国全ての貴族令嬢垂涎の夫を手に入れた気分は?」
テーブルの端からカミーユ様の声が飛んできた。彼の方へ視線を向ければニヤニヤしながらこっちを見ていた。
私は首を傾け、問われた内容を頭の中で咀嚼し、彼へ笑顔を返した。
「とても、幸せです」
「・・・そりゃ、そうだろうさ。そうじゃなくて、俺が聞きたいのはね」
「カミーユ、そこまで。シルフィアが僕と結婚して幸せだと言うのだから、それでいいじゃないか。フィーア、僕も君が妻でとても幸せだよ」
私の前に温かいお茶を置いて、テオ様がサラリと私の頭にキスを落とした。
「客の前でよくやる」
「新婚家庭に突撃しておいて何を言う」
カミーユ様がボヤいてテオ様がピシャリと答えたところで、四人揃って食べ始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お邪魔虫が二人!