1、彼女は痛みに慣れていた
「お嬢ちゃん、怖くないからね。お金を受け取ったら解放してあげるから大人しくしててね」
「貴方がたは何故、私達を縛るのですか? 刃物で脅すというのは、銀行からお金を引き出す方法として間違っていると思うのですが、それで本当にお金を受け取れるのですか?」
「ルノー、そのお嬢さんに黙っていただけ!」
太い腕に握りしめた鉈を振り回しながら命令してきた首領の大声に、縄でグルグル巻きにされ矢継ぎ早に質問をしていた娘がビクッとする。
ルノーと呼ばれたお腹の突き出た、もう初老に近いその男は自分の前でウサギのようにビクついている娘に哀れみの目を向けた。
どこぞの金持ちの娘だろう、ひと目で分かる仕立てのいい服にサラサラの白金の長い髪。こちらを見上げている黒い大きな目に涙・・・は全くない。
あれ、思ってた感じと違うぞ?
ルノーは首をひねった。よく見れば藍色のその瞳はどこか逞しい。
「お嬢さん、大人しくしててくれないとちょっと痛い目に遭って貰わないといけなくなりますんで」
金がなかなか出て来ず、困りきった様子の首領が娘の前へやってきて周りに聞こえるよう大きな声で懇願した。
その大声に首を竦めつつも娘は首領を真っ直ぐに見上げて口を開いた。
「痛い目とは具体的にどのような?」
「髪をこの鉈でバッサリ切るとか」
「・・・髪は切られても痛くないですよ? それに、後ほど伸びて元に戻ります」
「ええ? じゃあ、腕を折る、とか?」
想像したのか言った本人が痛そうに顔を歪めている。
「確かに骨が折れたら痛いですよね。私、義母に棒で叩かれて腕が折れたことがあるのですけど、くっつくまで不便でした。もっと大変だったのは父に踏まれて足が折れた時で、動けないとご飯も探しに行けなくて。住んでいた掃除用具庫のモップを齧ってお腹を壊しました。兄に蹴られて肋骨が折れた時の方が痛くても動けるのでマシでしたね」
「・・・お嬢ちゃん、割と良い物着てやがるのに、どういう暮らしをしてるんだ?」
娘の口から飛び出た予想外の発言に、首領もルノーも戸惑った。
「私、皆からゴミ扱いされて『綿ぼこり』と呼ばれ、殴られ蹴られ怒鳴られるのは日常でした。勉学もさせてもらえず、この年で読み書きが覚束ないという体たらく・・・」
「そりゃ、なんて可哀想な!」
「許せねえ。俺たちと来い、もっといい生活をさせてやる! ここの金を奪って首尾よくトンズラしたら今度は嬢ちゃんの家に復讐に行こう。その格好からみてさぞかし金のある家だろうしな」
「そうだそうだ!」
男達の激しい憤りに首をひねった娘は、何かに思い至って慌てた。
「あっ、今はもう、その人達とは離れていて、とってもいい暮らしをさせて頂いてます! 殴られたり怒鳴られたりしないし、ご飯もちゃんと食べさせて貰ってますから大丈夫です」
「なんだと、それを早く言え。よかったなあ」
思わず涙ぐむルノーに娘は大きく頷いた。
「はい、テオドール様にはいくら感謝しても足りません」
「ホウ、そのおじさんがお嬢ちゃんの新しい養い親かい」
「いえ、テオドール様はおじさんではありません。二十一歳でとっても背が高くて優しい方です!」
「えっ?! 二十一でお嬢ちゃんのような大きな子供を引き取って面倒見るたあ・・・」
「あの、私は確かに見た目が小さいのですが、子供ではありません。もう十八でして、成人しております」
「・・・と、言うことは」
「彼女は僕の妻だよ。お前達、よくもシルフィアをこんな目に遭わせてくれたね。覚悟は出来ているな?」
後ろから首領の首筋に長剣の切先が当てられ、続けて聞こえてきたとんでもなく低い声が室内の温度を一気に下げた。
「テオ様!」
「お前、いつの間に入ってきたんだ?!」
「夜会で令嬢達に追い回されたお蔭で、気配を消すのは得意なんだよね。死にたくなければ、まず武器を捨てて貰おうか」
背後からのただならぬ殺意に、少しでも動いたら人生が終わると悟った首領は大人しく持っていた鉈から手を放した。
石の床にガランっと音を立てて鉈が転がると同時に、街の警備兵達が飛び込んできて確保! だの、大人しくしろ! だのと言う叫び声が飛び交う。
今度は武器を持った男達が拘束され、縛られていた人達は皆、解放された。
観念した首領を縛り上げて警備に引き渡したくすんだ灰色の髪の青年テオドールは、白金の髪の娘シルフィアを縛っていた縄を切り、手を取って引き起こす。
背が自分の胸ほどまでしかない妻を気遣うその顔は青ざめていて、彼がどれだけ彼女を大事に思っているかが窺えた。
「フィーア、怪我はない?!」
「はい。テオ様こそお怪我はありませんか?」
「僕はかすり傷一つ無いから大丈夫。君が無事で本当によかった。帰宅したらアパートメントの入り口でウータがうろうろしていて、すぐ隣の店に行ったはずの君が消えたと言うから探していたんだよ」
「大変! ウータさんに心配をかけてしまいました。帰ったら謝らないと。私は隣のお店へ行く途中に大荷物を持った方にお会いしまして、ここまで運ぶお手伝いをしたのです」
「ああ、それでこんな場所に。僕は君を探している途中で人集りが見えたから覗いてみたんだ。そうしたら、君が人質になっているのを見つけて。家族に常にトラブルに巻き込まれる体質の人がいるから、こういう不測の自体には慣れているつもりだったけれど君が対象だと生きた心地がしなかったよ」
そう言いながらテオドールはシルフィアを抱き寄せて安堵の息を吐いた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。直ぐに戻るつもりだったのですが、いきなり縛られてしまったので動けなくって。助けてくださってありがとうございました。」
「君が奴らと話して注意を引き付けていてくれたからやりやすかったよ。だけど銀行強盗なんていう成功率の低いことで金を得ようとするとは驚いたね」
そこでシルフィアがぽんと手を打った。
「あ、これが銀行強盗ですか! 私、初めて見ましたよ!」
「うん、まあ別に一生見なくてもいいものだけどね。ここは帝都で一番大きな銀行だから行員も訓練されてて、時間を稼ぎつつ街の警備に知らせてあっという間の解決だったな」
その言葉に彼女の表情が曇った。
「・・・テオ様、あの人達はどうなるのですか?」
拘束され連行されていくルノー達を目で追いながらシルフィアが尋ねた。
「銀行強盗なんて重罪だろ。もう会うことはないと思うけど」
「でもまだお金をとっていませんし、私の話に同情してくれた優しい人達なんです」
「それでも、銀行に来ていた何の関わりもない人を監禁して行員を脅して、無罪とはいかないよ」
「そうなのですか・・・」
すっかり意気消沈して俯いてしまった愛妻の様子に慌てた夫は彼女の肩に両手を置いて項垂れた。
「分かった。君がそう願うなら、僕のできる範囲でなんとかしてみるよ」
「いいのですか?! あんな良い人達が、銀行強盗をしたのにはきっと大きな理由があるに違いないです。テオ様、ありがとうございます」
彼は目を輝かせて喜ぶ彼女を複雑そうな顔で見下ろし、大きなため息をついた。
「僕は一生、君に勝てないんだろうなあ。」
「私はテオ様と何の勝負もしていないですよね?」
不思議そうに見つめてくる濃い藍色の瞳に映る青年の薄青の瞳は、ただひたすらに彼女を愛しいと訴えていた。
『綿ぼこり姫は次期公爵閣下にすくわれる』を読んで続きを待ってくださっていた方も、お初の方もここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第一章はおまけ込み6話になります。のんびりと若夫婦の日常をお届けできたらと思っています。よろしくお願いいたします。