9 マリアベル
「ダグラスの奴、やっぱりあれはすでに取り込まれていますね」
「そのようだな。よもや陛下の御前であのような態度をとるとは」
部屋を辞してから、アルフォンスとグレンはダグラスと別れ、グレンの自室に向かっていた。
「それにしても、ティアット家の面々にはすっかり敵認定されちゃいましたね。見ました? あの兄弟の目。今にもこちらを射殺しそうでしたよ。まったく、エリックは俺たちと交友があるっていうのに……」
アルフォンスが鳶色の髪をかき上げてため息をつく。グレンも同じくため息をつきたい心持だった。
王家とも関わりの深いティアット公爵家。その侯爵家の面々を敵に回すことはこれからのことを考えれば得策ではない。
特にアマリリスは精霊神の愛し子だ。そのアマリリスに敵と認定されれば、いくら王家と言えども無事に済むとは思えなかった。
「あと後ろに控えていた侍女もな」
グレンの脳裏に堂々とこちらを睨みつけていた侍女の姿が浮かぶ。こちらを見ていた。ただそれだけで不敬罪に問えるほどの視線だった。
「ああ。あれですか。あの二人の関係も奇妙でしたね」
「一般的な主従の関係ではありえない光景だったな。しかも、それを公爵夫妻も許している」
「公爵夫人がおっしゃっていましたね。まるで私とセシリアのようだと」
「あの侍女の母親だそうだ。公爵夫人とあの侍女の母親は友人らしい」
「調べたんですか?」
アルフォンスが物好きな、とでも言いたげな視線をグレンに寄こす。
「当然だ。マリアベルが口にした人物だぞ。注意する必要がある」
「そりゃそうですね。ということは、あの侍女は下級貴族の娘ですか?」
「いや、平民だ。といっても家は裕福な商家らしく、そこらの下級貴族より生活水準は高いだろう」
「えっ、平民の家の御婦人と、公爵家夫人が友人なんですか?」
「ああ。だがもともとは侍女の母親は侯爵家の出らしい。珍しくも恋愛結婚で平民の男に嫁いだらしいな」
「へ―、そりゃ思い切りましたね。それで、自分の娘を友人の娘の侍女につけたっていう訳ですか」
「そうみたいだな」
「それで、調べて何かおかしなことはありましたか?」
アルフォンスの瞳が何かを探るようにわずかに細められた。こちらも主に寄こすような視線ではないが、この視線は護衛騎士としてどんな些細なことも見逃さないようにとする日頃の行動に起因しているため仕方ない。
「いいや。いや……おかしいと言えばおかしいのだが……」
「何ですか、歯切れの悪い」
「怪しい行動は確かにとっていた。怪しいというか不可解というか……。二人して毎朝よくわからない怪しい動きをしているし、なぜかよく庭で草むしりをしている。だがそれだけだ。特に問題はないと判断した。マリアベルの言うような人物にはどうしても思えなかったしな」
「草むしりですか……でもまあ、そうですね。今日会っただけでも、彼女が男を誑かし国を操ろうとする悪女には到底見えませんでした」
「ダグラスはそうは思っていないようだがな」
「そうでしょうね~いや、もう。何で精霊と契約しているあいつが、率先して騙されるんですかね? 精霊は警告しないんですかね? そういうの」
「さあな。あるいはしていたかもしれない。それをダグラスが無視したか……。精霊は普通契約者の意思を尊重する。契約のしばりがあるからな」
「ああ……あいつそういうとこあるから……な」
急に歯切れの悪くなったアルフォンスを訝しみ、グレンは後ろを振り返る。
「どうした?」
「ええ、噂をすれば……マリアベル嬢のお出ましですよ」
アルフォンスの言葉にグレンはわずかに眉を顰める。きっとあの場にいることを許可されなかったため、様子が気になったのだろう。
どんどんと足音が近づいて来る。グレンの耳には小股でせかせか歩く人物と大股で前者を追いかけるように歩く人物の二つの足音が聞こえた。
「誰かと一緒か」
「まあ、ダグラスかアンリ殿下のどちらかでしょうが……この足音は、ダグラスですね」
グレンとアルフォンスは律儀にも二人が追いつくのをその場で待っていた。アルフォンスが足音を聞きつけた時点で逃げ切ることもできたが、その場合あとから部屋に押しかけられる可能性が高かったためだ。それは二人とも経験があったため、よくわかっていた。
「あっ、グレン様!」
二人の予想通り、先ほど通り過ぎた廊下の曲がり角から、マリアベルとダグラスが姿を現した。
「グレン様、アルフォンス様! どうして陛下はあの女を返したの!」
「あの女とは?」
マリアベルのいうあの女が十中八九アマリリスのことだとわかっていながら、グレンは白を切った。
「アマリリスのことよ!」
「公爵令嬢をあの女呼ばわりか?」
「あんな悪役……あの女で構わないでしょ! 皆、見てたでしょ? あの精霊神の態度。絶対あいつに何かされたのよ!」
両手の拳を握りしめ、マリアベルは叫んだ。あの女を通り越し、あいつ呼ばわりをするマリアベルに、グレンだけでなくアルフォンスも眉を顰める。品性の欠片も見受けられない言動だ。
グレンは大きく息を吐いてから、マリアベルではなくマリアベルの隣で心配そうに立っているダグラスに尋ねた。
「ダグラス。ただの人間が精霊神に何かできるのか?」
グレンからの問いかけに、ダグラスは先ほど王に問われた時のように、気まずそうに答えた。
「恐らく……無理ではないかと」
グレンにとっても、そんなことは百も承知である。わざわざ聞くまでもないことであったのだが、マリアベルに聞かせるためにあえて精霊師であるダグラスの口から言わせたのだ。
「何でよ! だったら何で精霊神はあいつを選んだのよ! ありえないわ! 何か……そう、魅了の能力とかを使ったんじゃない⁉」
「ほう……魅了か?」
貴族の間でお遊び程度に使われる媚薬はあるが、魅了という言葉はあまり使われない。それはおとぎ話の中の魔女が使う能力のひとつだ。
比喩として、魅了にかける、魅了された、などと言う言葉を使うときはある。だが、誰もそれが本当に存在する能力とは思っていない。だが、マリアベルはさも当然であるかのように、それを口にした。
「それは魔女が使う能力だな? アマリリス嬢が魔女だとでも言う気か?」
「そ、そう! 魔女よ。あいつは魔女なのよ!」
「あきれたな……。魔女は子供向けの童話に出てくる空想上の人物だ。魔女が本当にいるとでも?」
「え…? あっ!」
一瞬呆けたあと、マリアベルはしまったというように口元に手をやる。無意識の行動だろうがマリアベルのその行動を三人は見逃さなかった。
「マリアベル?」
信じたくない、という表情でダグラスがマリアベルを覗き込む。
「と、とにかく、アマリリスが悪女であることには変わらないわよ! 皆騙されないでよね!」
それだけ言うと、マリアベルは来た時と同じように早足で去っていった。その後を追いかけようとしたダグラスは、一度止まってグレンとアルフォンスを何か言いたそうに見つめたが、結局はお辞儀をするに留めてまたマリアベルを追っていってしまった。
「……今のどう思いますか?」
アルフォンスに問いかけられ、グレンが答える。
「魅了の能力か……そんなものが本当にあるとしたら、使っているのはマリアベルのほうだろうな」
魔女は子供向けの童話の中に出てくる架空の存在とされている。だが、それに近しい存在は、確かにいるのだ。その存在は、便宜上、魔女と呼ばれている。
だが、誰でもその存在を知るわけではない。知っている者は限られる。問題はなぜ、マリアベルがその存在を知っていたかだが……。
「ダグラスが教えたわけではないようだな」
「でしょうね。あいつも驚いていましたし」
グレンは先ほどの変わってしまった友人の姿を思い出した。
グレンもアルフォンスも、ダグラスとは、ダグラスが宮廷精霊師となった十六の頃からの付き合いだ。そこに現在宰相補佐となったジェラルドを含め、王城内ではいつも四人で顔を合わせることが多かった。グレンにとっては三人とも、王城内では貴重な、気の置けない友人とも呼べる存在だったのだ。
それが壊れたのは、二年前。グレンたちの前にマリアベルが現れてからだ。
マリアベルと出会ったのは、グレンがアルフォンスとジェラルドと一緒に町へ視察に出た際、男たちに絡まれているマリアベルを助けたことが切欠だ。
どうやらお忍びで町へ来ていたようだが、撫子色の髪に緑がかった銀色の瞳の愛らしい容姿のマリアベルは人目を引く。それにも関わらず、髪を結うことも帽子を被ることもせず、かなり目立った姿で街を歩いていた。
絡んでいた男たちを退け、マリアベルに、その恰好ではすぐに貴族とわかってしまうからもう家に帰った方が良いと伝えその場を去ろうとした三人は、悲し気な表情をしたマリアベルに内密に相談したいことがあるといわれて、呼び止められてしまった。
何故、初対面の人間に相談を持ち掛けるのか疑問には思ったが、悩んでいるだろう少女の相談を無下にするのも王族としては憚られ、結局話を聞くことになってしまった。
マリアベルの相談とは、自分に宿った力についてのものだった。
ある時、マリアベルに予言の力が目覚めたらしい。誰かが頭の中で、これから起こることを色々と教えてくれるというのだ。
マリアベル曰く、その力に最初に気付いたのは、侍女による窃盗事件が起こったときだった。
それまでマリアベルの家では時々金目の物が盗まれていたらしい。一番怪しいと目されていたのは料理人で、誰もがその料理人が犯人だろうと思っていた中、マリアベルだけはその頭の中の声のおかげで、犯人が侍女であることがわかった。
その侍女は品行方正で、誰もその侍女が犯人とは思ってもいなかったようだ。だが、マリアベルが証拠の品を発見し、侍女に突き付けたところ、その侍女はあっさりと犯行を自供したらしい。
後に詳しく調べたところその侍女は常習らしく、マリアベルの家にくる以前にも、同じようなことをして解雇されていた。それが何故、何度も侍女として雇われることが可能だったのかといえば、さる貴族の愛人をしていた時期があったため、その威光で罪を犯してもその罪が公にされることはなかったのだという。
その侍女が歴代務めて来たのは、すべてその貴族に恩がある家だったため、その侍女は窃盗を繰り返しては解雇され、を繰り返していたようだ。
しかし、マリアベルの家はたまたまその貴族との縁がなかったため、従業員によって瞬く間にその噂は他家へと広まった。もうその侍女を雇ってくれる家はないだろう。
後日、家族になぜあの侍女の犯行と分かったのかを問われ、マリアベルは素直に答えた。頭の中で、誰かが教えてくれたと。
それからも、マリアベルの周囲では同じようなことが起こった。いつもではないが、たまに、小さなことから大きなことまで、脈絡なく頭の中の声は教えてくれたそうだ。今回、町へ出てきたのもその声に従ったのだという。
「あなたたち、第一王子様と、その護衛と、宰相の息子さんでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、グレンはマリアベルを警戒対象に認定した。それは、アルフォンスもジェラルドも同じだった。そんなことは予言しなくとも事前に調べればわかることだ。
一介の下級貴族の令嬢であるマリアベルにそんなことをする理由は見当たらなかったが、裏で誰と繋がっているかはわからない。
「私に予言を授けてくれるのは、もしかして、精霊じゃないかと思って」
しかしマリアベルのその言葉で、マリアベルのことは、単なる警戒対象として見ることができなくなってしまった。
以前に宮廷精霊師に聞いた話を思い出したのだ。人間に未来を予言する力を与えられるのは、精霊神かよほど力の強い精霊のみであると。それこそ精霊神に追従するほどに強い精霊。未来は不確定すぎて並みの精霊ではその道筋を見極めることは難しいのだそうだ。
どちらにしろ、精霊が関わっている可能性があるのなら、マリアベルが精霊神の愛し子がどうか、それを見極めなければならない。三人は相談して、そのままマリアベルを王宮へ連れていくことにした。宮廷精霊師に会わせるために。
当時、王宮に在籍していた宮廷精霊師は十人。その中でも精霊師を束ねる首席精霊師のユルグムと次席のダグラス、この二人にマリアベルの判定をさせることになったのだが、そこで思いもかけないことが起こった。二人の意見が割れたのだ。
ユルグムの精霊は予言については言及しなかったが、マリアベルを愛し子ではないとし、ダグラスの精霊は愛し子であるかどうかはわからないとしながらも、予言は本物であると判定した。二人の精霊の意見が一致したのは、マリアベルに精霊はついていないということだけ。
よってマリアベルの判定は愛し子ではないかもしれないが、予言は本物かも知れない。というなんとも中途半端な判定結果となってしまった。