8 偽物?
ここには今日会った攻略対象が精霊神を除いて全員この場に集まっているのだ。これでまだ実際に会っていない攻略対象は宰相補佐のジェラルドだけだ。
まあ、ゲームでも今日一日で全員の攻略対象は出てきていたのだから別におかしくはないのだ。
おかしいのはアマリリスとマリアベルの立ち位置が入れ替わっていることだけ。あとは、精霊神が最初から姿を現したことだろうか。
「さて、少々別の話をしよう」
陛下の発言に、ティアット公爵家の面々の顔に緊張が走る。この場に来て精霊の愛し子以外の話などする必要はあるだろうか。あるとしたら先ほど父の言っていた王族との婚姻話くらいだろう。
「グレン。そなたが持ち込んだ話だ。そなたが話を進めろ」
「承知しました」
柔らかさの中に隠し持った硬質さを含んだ声で、第一王子であるグレン・スコルディアが応えた。
グレンは一瞬アマリリスを見つめてから、話を切り出した。
「皆知っているだろうが、私が第一王子のグレン・スコルディアだ」
グレンの言葉に、ティアット公爵家の面々は略式の作法で頭を下げる。高位のものに自己紹介をされたら、略式の挨拶をしてから自分の紹介をするのが手筈だ。だが、グレンはこれから話をしようとしている。そのため頭を下げるだけに留めた。
「現在、王宮では精霊神の愛し子であると自称する者を保護している」
グレンの落とした爆弾に、ティアット公爵家の面々は、さっと身構えた。
――精霊神の愛し子と自称する者。
保護していると言っているのだから、それはアマリリスのことではない。だが愛し子に対する保護がいつ発動されるかはアマリリスたちにはわからない。もしすでにアマリリスが国の保護下にあるのだとしたら、グレンの発言はアマリリスを指していることになってしまう。
だがそうすると今度は、自称している者という言葉が不適切になってくる。国が認めない愛し子など保護する必要はないのだから。
先ほどの陛下との会話からは、アマリリスが疑われている様子は見られなかった。何しろ、実際に精霊神が姿を現しているのだ。本来なら疑うべくもないことだ。
となれば、殿下の言葉はアマリリスのほかに愛し子を語る不届きものが存在することを指している。
通常ならば。
今回アマリリスが精霊神から加護を受けたことは紛れもない事実であったが、しかし本来加護を受けるはずだったのはマリアベルだ。
よもやグレンがそのことを知るはずはないと思いたいのだが、マリアベルもアマリリス同様前世の記憶を持っているだろうことを考えれば、その状況も無きにしも非ずだ。
だがグレンの愛し子を自称するものという言葉がマリアベルを指しているとなると、やはりグレンはマリアベルから何も聞いていないのかもしれない。あるいはアマリリスでもマリアベルでもない第三者がいれば話は別だ。
「発言をお許しください」
ハロルドがグレンに発言の許しを請う。その父の姿をアマリリスは固唾を飲んで見守った。
「許す」
「愛し子を自称する者とは、誰の事をおっしゃっておられるのでしょう?」
ハロルドとてグレンがアマリリスのことを自称する者と指しているわけではないとわかってはいるのだろうが、今の発言は聴き方によっては第一王子に物申しているように受け取られかねない。
「覚えはないか」
「ございません」
「そなたは?」
グレンの琥珀色の瞳がアマリリスを捉えた。グレンの瞳の色は兄のエリックと同じ琥珀色をしている。
二人は従兄弟なので同じ色をしていてもおかしくはないのだが、同じ色の瞳でありながらそのあまりの温度の差に、一瞬アマリリスはエリックからそのような目で見られたと錯覚してしまった。夢の中のエリックは、今のグレンと同じような目でアマリリスを見ていたのだ。
「私のことをお疑いですか?」
「そうは言っていない」
(絶対、疑っているでしょうに!)
アマリリスはそう思ったが、できるだけ表情には出さないよう気を付ける。しかし、グレンの瞳を見ていると、それすらも難しい。
もとより、アマリリスの中にグレンに対する良い印象はない。夢の中でグレンには散々煮え湯を飲まされたのだ。とはいえ詳細はあまり覚えていないのだが、なぜか悔しさだけは湧き上がってくる。
(夢の中とはいえ、自分のことをないがしろにされれば面白くはないわよね)
「そうでございますか? もしお疑いだとして、こちらはそれでも一向に構いませんが」
グレンの飄々とした様子に、危惧していたとおり、アマリリスは思わず喧嘩腰になってしまう。
「構わないとは?」
「もし、私が精霊の愛し子でなかったとしても、私が困ることはございません」
「もし、そなたが愛し子の名を騙ったのであれば、それは重罪だが?」
「私自身は自分が精霊の愛し子であると、口に出したことはございません。もし私が精霊神の愛し子でないとすでに結論を出されているのなら、この場から帰していただけないでしょうか」
グレンはアマリリスの最後の言葉を無視し、言葉を続けた。
「先ほど、精霊神の名を口にしていなかったか?」
「私の前に現れた彼の方のことを皆さま精霊神と仮定しておられましたので、私もそれに従いました。ですが、私には彼の方が真実精霊神かはわかりかねます」
「何だと?」
アマリリスの言葉には、グレンのみならず、その場の全員が驚いたようだ。それぞれに固唾を飲む音がアマリリスの耳に届いた。
皆さまという言葉で濁したが、アマリリスは言外に陛下の言葉が間違っていると言っているも同然だ。同時に、真実精霊神であった場合、その存在を疑う発言にもなる。
「歴史上精霊神の姿を拝見した者はございませんのでしょう? なら、何をもってして、彼の方が精霊神であると判断するのでございましょう? どなたが、それを見極めるのですか?」
「もうよい、グレン。あまりアマリリスの忌諱に触れるな。王家が精霊神を敵に回すことになるぞ。それに、お前が保護するあの娘は精霊神の怒りに触れた。その事実だけでもあの娘の言うことが真実ではないとわかるではないか」
「ですが……」
「あの小娘に溺れたか?」
「まさか!」
父である王から疑われたグレンは大きく頭を振る。
「違うか? お前はどうだ、ダグラス。お前の精霊は何と言っている」
「……彼の存在は紛うことなき精霊神であると」
ダグラスは答えたが、不承不承といった本音が透けて見える。
「そうであろう。精霊に聞くまでもない。あの場にいた者全員が思い知っている。彼の存在を疑うことすら不敬であるとな」
陛下の瞳がアマリリスを捕らえる。確かにアマリリスはあの存在が精霊神であることを知っている。それなのに疑うような発言は確かに不敬と言えば不敬だろう。
「陛下、ですがマリアベルは……彼女はこれまでに様々な予言をし、それを的中させています」
よほどアマリリスが愛し子ということに納得できないのだろうか、ダグラスが食い下がる。
「何かからくりがあるのではないか? どうだアルフレッド」
陛下は傍らに控えるアルフレッドに話を振った。
「はい。今のところあの娘の予言が偽物であるという確証は出てきておりません。ですが、予言の中には、ある程度道筋の読める者なら予測することのできるものもございます。そして先ほども言いましたように、これまで愛し子同様、精霊神からの予言を賜った者は現れませんでした。巷にあふれる精霊神からの予言を受けた者の話は、すべて創作の域をでません。姿を見せない精霊神の存在を確実とするための、予言を賜るという形で示したのかもしれません」
「ふむ」
アルフレッドの言葉を受けた陛下は、顎鬚を撫で、何やら考えを巡らせているようだ。
「しかし、陛下のおっしゃったとおりあの娘は精霊神の怒りを買っております。真実あの娘が精霊神の愛し子ならば、あのような事態にはなりますまい」
「だ、そうだ。何か反論はあるかグレン」
「……陛下、私の護衛騎士が発言することをお許しいただけないでしょうか?」
「護衛騎士だと? なぜだ」
「私の護衛騎士――アルフォンスと申しますが、この者がアマリリス嬢の不審な発言を聞いています」
「不審な発言だと?」
陛下は顎を上げ、アルフォンスに話すよう促した。
「はい。正確には直接その声を聞いたのではなく。唇を読んだのですが」
陛下の問いに答えたアルフォンスは、紺碧の瞳をアマリリスに向ける。アマリリスのその唇に。
――読唇術。
このような場面だというのに、アマリリスはアルフォンスの言葉を聞いてつい浮足立ってしまった。後方で事の成り行きを面白おかしく見守っているであろうミリアにしても同様だろう。以前ミリアと一緒にぜひとも習得したいスキルの一つだと、騒いだ記憶があった。
ちなみに、ほかのスキルには錠前破りと、変装術があがっていた。
「これで四人目……とはどういった意味合いがあるのでしょうか?」
「えっ?」
アマリリスは一瞬何のことを言われているのかわからなかったが、すぐに思い至った。王族が会場に着いた時、グレンと、グレンの後に着いてきたアルフォンスの姿を確認したアマリリスは、つい言ってしまったのだ。「これで四人目」と。確かによくよく考えれば不審というか、ちょっと不穏な発言だ。
「あれは……」
どう答えたものか、何も良い案が思い浮かばない。だが確かにそこはかとなくこれから何かが起りそうな不穏な発言であったことは認めるが、なぜ、グレンとアルフォンスはその言葉を出してきたのだろうか。
いくら不穏だと言えども、実際にこの王宮で何かが起こってでもいない限りはアマリリスのその発言に普通は意味など見いだせないだろう。それとも本当に何か起こっているのだろうか。王宮密室殺人とか。
「これで四人目……それをアマリリスが言ったとしてその言葉に何の意味があるというのだ?」
(ですよね?)
陛下もアマリリスと同じ疑問を抱いたようだ。アルフォンスを見て、それからグレンを見やる。しかし、答えたのはダグラスだった。
「陛下、マリアベルが言ったのです! アマリリス嬢は、将来国の中枢を担う若者をその美貌で虜とし、意のままに操りこの国を傾けると!」
「「「はっ?」」」
さすがに陛下は声には出さなかったが、その他大勢の――ほとんどがアマリリス側の人間の声が見事に重なった。
「……それは例の予言か? グレン」
どうやら陛下も初耳らしい。それはそうだろう。あまりにも馬鹿げた話だ。
グレンもその話を陛下の耳に入れることにはあまり積極的ではないらしいことは、陛下に返答する声からもわかった。
「……そうです」
「……その虜にされる若者とは誰だ」
「……私とアルフォンス、ダグラス、ジェラルド、ティアット家の兄弟。そして精霊神です。アマリリス嬢が四人目と言ったときにあの場所にいたのはティアット家の兄弟とアルフォンスと私、四人です」
確かに、精霊師であるダグラスはあとからの入場だったので、アマリリスがその発言をした際にあの場にいた攻略対象はグレンの言う通り四人だ。
「……お前と護衛騎士、宰相の息子、ダグラスまでは良いとして、ティアット家の兄弟? アマリリスとは兄妹弟だぞ? それに精霊神までも引き合いに出すとは」
「ですが……先ほどそこの侍女が言っていたではありませんか! 精霊神をも虜にしたとっ!」
陛下の言葉に、またもやグレンではなくダグラスが応えた。
アマリリスは非難を込めた目でミリアを振り返る。それみたことか、と。アマリリスに睨まれたミリアはてへっと舌を出し、自分の頭を拳骨を形どった手で叩く真似をした。せめて実際に叩け、と言いたい。
そしてマリアベル。それ自分の事だろうと言ってやりたい。夢の中のアマリリスはどう贔屓目に見ても男を虜にするような容姿はしていなかった。
いいやもう、本人ではないが言ってやろうと思い、アマリリスはグレンを睨んだ。もはや不敬だのなんだの気にしてはいられない。
「私が四人目と言ったのは……言いにくいのですが、私にいかがわしい視線を投げかけた者たちの数ですわ。決して殿下と護衛騎士様のことを口にしたのでありません。ですが確かに……宮廷精霊師様はすでに虜にされておられる様子。しかしそのお相手は私ではないのでは?」
「何だとっ⁉」
アマリリスの挑発に、案の定ダグラスが引っ掛かる。王族を差し置いてべらべらと喋るとはなかなかの強者だ。それとも、宮廷精霊師の地位とは、それほどまでに高いのだろうか。
「マリアベル様とおっしゃったかしら? そのお方の虜になっておられるのではありませんか。お三方とも」
「貴様っ!」
ダグラスがアマリリスに向かって一歩、足を踏み出すと、エリックとマリオンがアマリリスを庇うように前に出た。
「よせ。ダグラス。そういわれても仕方あるまい。そなたわかっているのか、公爵令嬢でもあり精霊神の加護を受けた者に対して、そのような侮辱。精霊師であるそなたが戦争を引き起こす気か」
「……っそのようなつもりは」
「もうよい。下がっていろ。あの娘のことはひとまず保留だ」
陛下が手を一振りすると、ダグラスは大人しく一歩下がったが、その直前にアマリリスを睨んできた。あれは全く納得していない。
マリアベルもなかなかの手腕だ。グレンとアルフォンスはいまいちわからないが、ここにはいないもう一人の攻略対象、ジェラルドもマリアベルの味方と見ておいた方が良い。
「ハロルド。アマリリス。済まなかったな。今日はもう帰っていい。この件はまた後日、話をしよう」
「はっ」
ハロルドがこの場を代表して返事をした。とりあえず、今日はこれで自宅へ帰れる。アマリリスはほっと胸を撫でおろした。