7 陛下からの呼び出し
「さすがです。お嬢様」
「なにがっ⁉」
アマリリスの悩みなど知ったこっちゃないとでもいうように、ミリアはなぜか満面の笑みを浮かべている。
「勿論、精霊神を見事、虜にしたことにございます」
あの後、ミリアと合流したアマリリスは今、王宮の客間にいる。案の定陛下に呼び出されたのだ。そして事の次第を知ったミリアは大層ご満悦だ。
「やめてっ! その言い方」
アマリリスは両手で耳を塞ぎミリアに抗議する。
「あらあら、本当のことでございましょう? しかも、あの池に落ちた時にはすでに精霊神をも落としていたとは、恐るべし、ですね。……子豚ちゃんだったのに」
「ぐうっ。確かにあの頃の私は子豚ちゃんだったわ。……もしかして私ペット枠なのじゃない?」
「お嬢様をペットなどと……」
ミリアは拳を握りしめ、わなわなと震えている。しかし、怒っているわけではなさそうだ。それは次に続く言葉が物語っていた。
「……羨ましい」
「ミリア?」
「はいそこまで」
パンパンと手を叩いたのは、公爵家当主であるハロルドだ。向かい合わせのソファに座るハロルドの隣には母であるカメリア、アマリリスの側にエリックとマリオンが座り、ミリアともう二人、兄と弟の従者たちはその後ろに立っている。
一家五人、プラス侍女一人に侍従二人。仲良く王に呼び出されて今に至る。
「お前たち、仲が良いのは良いことだがここは王宮だぞ。少し控えろ」
「申し訳ありません。お父様」
「申し訳ありません。旦那様」
「おほほっ。リリスちゃんもミリアちゃんも本当、仲が良いわねぇ」
まるで私とセシリアのようだわ、とカメリアが呑気に笑う。流し目が色っぽい。
「しかし、まさかアマリリスが精霊神の加護を受けるとは……」
「あら、私はこんなこともあるかもって思っていたわよ? 何せリリスちゃんだもの」
「そうですね。私も思っていました」
「僕も」
「わたくしも」
「お前ら……」
母、兄、弟が全員、ついでに専属侍女がアマリリスに甘いのに対し、父のハロルドは唯一ストッパー役として己を律しようといつも頑張っている。
現役公爵の身としては、愛娘を甘やかしてばかりはいられないという父のその気持ちはよくわかる。それでもはたから見たら他との違いなどわからぬほどに溺愛しているのだが、本人だけがそのことに気付いていないのだ。
「まあ、確かにアマリリスで無理なら、ほかの誰でも無理だろうな」
その言葉に、侍従も含めた全員が頷いている。
結局ティアット公爵家は使用人も含め全員がアマリリス馬鹿だった。これもアマリリスとミリアのたゆまぬ努力の成果だ。
挨拶の徹底。常に笑顔。人の話をよく聞く。使用人には時々お菓子の差し入れ。家族には手作りのプレゼント。褒めるところは褒め、叱ることころは叱る。などなど好感度を上げることに余念がなかった。
それこそまるで乙女ゲームでもしているかのようだった。公爵家の全員が攻略対象だ。だがアマリリス自身はそれらの行為を面倒だと思ったことは一度もない。
前世の記憶がある今のアマリリスは、以前のアマリリスを客観的に見ることができる。
アマリリスは前世を思い出す以前から、良くも悪くも素直な性格だった。教え導く者がいれば、きっとゲームの中のアマリリスも道を踏み外すことはなかったに違いない。
どうもゲームの中のアマリリスは、太っていたことから周囲からないがしろにされ、自分の価値を自分で信じられなくなっていたようだ。ようするに卑屈になっていたのだ。
元は素直な性格ゆえ、その後に出来た取り巻きたちの影響もあり、どんどん悪い方向へ進んでしまったのだろう。最初はアマリリスの味方だったハロルドも、次第にアマリリスのことを見放していった。そして精霊神の愛し子であるマリアベルの味方についたのだ。当主が見放した娘に対し、使用人の目も厳しかった。
唯一最後まで味方だったカメリアも、きっと本当のアマリリスを見てはいなかった。自分の理想の娘像をアマリリスに押し付けていたのだ。アマリリスの悪い噂――噂ではなかったが――を信じず、現実から目を逸らし続けた。
しかし、母のそんな心はどうしても娘であるアマリリスに伝わる。アマリリスは結局誰も信じられなくなり、公爵家令嬢、ひいては第一王子の婚約者という己の立場に依存するようになるのだ。その立場さえあれば、少なくともこれ以上ないがしろにされることはない、と。
実際はその立場をもってしてさえも陰では笑いものにされていたのだが、現実を見ないのはアマリリスも母と一緒であった。
今のアマリリスとしては、あの肥えたアマリリスに理想の娘を投影していた母はすごいな、などと思っているのだが、母の気持ちは娘が思うよりも複雑だったのかも知れない。
そこまで考えたアマリリスは、ふるふるとかぶりを振った。
(いやだわ……まるで本当に経験したことみたい)
なぜアマリリスがこれほどゲームの中のアマリリスに詳しいのかと言えば、ゲームの中でアマリリスが生い立ちを語るシーンがあったからだ。
それはありえたかもしれないアマリリスの未来だ。本当に覚えていてよかった。それはアマリリスにとってよい戒めとなっている。
「しかし、厄介なことには変わりないな」
親馬鹿から公爵の顔に戻ったハロルドが、腕を組んで唸る。
「お父様?」
「精霊神からの加護など前代未聞だ。お前が精霊神の愛し子であると、多くの人間に知られてしまった。まあ、それに関してはしょうがない。どのみち愛し子の存在がわかれば国が保護することになり民衆にも知らされるからな」
「え……ほ、保護?」
アマリリスはそういえば、と乙女ゲームの内容を思い出す。自分のことではないから今まで忘れていたが、確かに愛し子となったマリアベルは王宮で保護されていたのではなかっただろうか。
(え? もしかして私も保護されるの? 王宮で?)
「あるいは……てっとりばやく王族との婚姻か」
「そんなっ!」
思わず叫んでしまい、アマリリスは慌てて口を手で塞いだ。もう遅いが。
「まあ、保護も婚姻も明確にアマリリスの敵と精霊神に認識されたらまずいからという理由でなんとか断れるかも知れないが」
「結局断れるのであれば、特に心配することはないのでは?」
アマリリスのその問いは、そうであってほしいという願いから出たものだ。せっかく第一王子との婚約を回避できたのに、今更それはないだろう。
「そう上手くいけばいいがな。だが、あまり精霊神に頼み事はしないほうが良い。精霊神の威光を笠に着て好き放題をする人物と捉えられれば、大げさではなく国を敵に回すことにもなりかねない。制御できない脅威を放っておくほど、この国も甘くはない。あるいは国どころか世界かもしれないな。世界中の国々が協力したとしても精霊神に叶うかはわからないが、各国を巻き込んだ泥沼の戦争になる可能性もあるだろう。………あるいは暗殺とか」
最後にぽつんと零された父の言葉を聞き、アマリリスは頭を抱えて蹲りたくなった。それでは結局破滅は回避できていないということではないか。むしろ最悪のコースを辿っている感さえある。世界を敵に回すとか、恐ろしすぎる。というか暗殺って……。
「大丈夫です。お嬢様。たとえ世界を敵に回しても、わたくしはお嬢様に付いていきます」
打ちひしがれているアマリリスに、ミリアが良い笑顔で親指を立てた。ミリアはむしろ喜んでいるように見えるのはアマリリスの気のせいだろうか。
「僕もだよ! 姉さま」
「もちろん私もだ」
「お母様もよ」
「お前たち……まあ、もしそうなったら、家族で出国して姿を隠すか。精霊神に頼めばなんとかなるだろう」
「お父様⁉ 駄目です、そんなこと!」
ハロルドの発言に、アマリリスは声をあげた。自分のせいで家族が巻き込まれるなど、そんなことは納得できない。こうなったら仕方ない。いざとなったらミリアを連れて珍道中の旅に出よう。そうしよう。
「お父様、もしそのようなことになったなら……私とミリアだけで国を出ます!」
「大丈夫だ。そんなことはさせん」
アマリリスの決意を込めた発言に、思いもかけない相手から返事が来た。
「陛下!」
突如聞こえた陛下の声に、全員あわててソファから立ち上がり、頭を下げる。
いつのまにか、陛下と第一王子、それぞれの護衛――そのうちの一人はアルフォンスだ――、宰相、そして宮廷精霊師のダグラスがいた。
「……気付きませんでした。申し訳ありません」
ハロルドが申し訳なさそうに頭を下げる。主君の来訪に気付かなかったとは、臣下失格と言われても反論できない。
「いや、良い。気付かなくて当然だ。ダグラスに頼んで、気配を消してもらった」
「……いつからいらっしゃったのですか?」
「さすがです、お嬢様。のあたりか?」
全員が気まずい思いに陛下から視線を逸らす。滅茶苦茶最初からだ。陛下はなかなかお茶目な性格のようだ。ミリアと気が合うかもしれない。
「そう畏まるな。あの程度の会話で反逆罪などには問わん」
陛下からのお許しをもらい、全員ほっと胸を撫でおろす。決定的に国と敵対する旨を言葉にしてはいないが、結構危うい発言もしていたかも知れない。国を捨てて全員で国外へ逃げるとか。暗殺とか。
思えば愛し子が暗殺されそうになったら精霊神が黙っていないのではなかろうか。というかそれを願う。
「ありがとうございます」
ハロルドは深く頭を下げて礼を言う。
「良い。そなたの言ったことは決して間違いとも言えないからな」
上げてから下げる会話の技術は、さすが王といったところか。父の頬がひくついているのをアマリリスは見逃さなかった。
「しかし……よもや儂の代で精霊神の加護を持つ者が現れるとは、何とも光栄な……とも言い切れんのが痛いな。アルフレッド」
陛下が同意を求めたアルフレッド・カーバスは現宰相であり、攻略対象の一人、ジェラルド・カーバスの父親だ。ゲームで見た通りのジェラルドそっくりのダークブロンドにアイスブルーの瞳が理知的だ。
「はい」
「精霊神からの加護とはどのようなものだ。精霊神から授けられる予言とは別か?」
「過去に例がないもので詳しくはわかりかねます……ですが、今まで悪い未来を回避することが出来る予言と加護は同じものと考えられてきましたが、精霊神は予言については何もおっしゃりませんでした。予言についても古い書物にそう書いてあっただけであり、確実に精霊神からもたらされる予言かどうかは正直にいって怪しいものです」
「ほう……それは新しい見解だな」
「……今までは予言をする者自体出てくることがありませんでした。当然それを検証する機会も、実証する機会もありませんでしたから」
「まあ、そうであろうな。アマリリスよ、そなたはどうだ。何か変わったことはないか?
精霊神から予言のごとき言葉を賜ったりは?」
「えっと、……特にありません」
むしろ前世の自分からの知識の方がひんぱんに降りてくる。いっそそれを予言と言ってしまっても良いのではないだろうか。
「ふむ。そなたは精霊神の名を聞いたな」
「はい。リトゥです」
「それは真名ではないだろう」
「精霊神の真名は……恐らく人では発音できません。私も発音できませんでした。だから好きに呼ぶようにと」
「なるほどな。だが、たとえ綽名だろうと精霊神の名が知れたのは僥倖だ」
陛下はそう言ってしばらく無言で何かを考えるそぶりをしていた。アマリリスを除く家族は、そんな陛下の一挙手一投足に精神を集中させている。このあと、どのようなことを言われるのか、また命令されるのか気が気ではないのだ。そんな中、アマリリスだけは、他の事が気になって仕方なかった。