5 精霊の祝福を
アマリリスは傍らの兄弟に聞かれぬよう、わずかに唇を動かして呟いた。心の中だけで思っておけば良いものを、一気に二人の攻略対象に会ったことで、自分で思うよりも動揺していたらしく、心を落ち着かせるために、つい言葉にしたくなってしまったのだ。
アマリリスは二人の攻略対象者にすでに会っている。兄のエリックと弟のマリオンだ。しかしアマリリスは、すでに二人を攻略対象としては見ていない。二人は紛れもなく、アマリリスの兄弟だ。
日々二人と過ごす時間は、アマリリスに二人をゲームの攻略対象として見ることを難しくさせていた。しかし、マリアベルにとっては攻略対象であることに変わりはない。アマリリスにとってグレンとアルフォンスはこの世界で会う三人目と四人目の攻略対象だ。
「あの護衛騎士、こちらを見てるな」
「えっ?」
アマリリスはあわててエリックが顎で指し示した方向を見る。するとアルフォンス・ゴートリーと目が合った。こちらを射抜くような紺碧の瞳に動揺したアマリリスは、怪しまれると分かっていてもつい視線を逸らしてしまった。
「いくら姉さまが美しいからって、不躾過ぎない?」
「えっ?」
マリオンの言葉に、もう一度アルフォンスのいた方を見ると、アルフォンスのすぐ近くに、鼻の下を伸ばしてこちらをみている男がいた。
「護衛騎士が女性に見とれるなど言語道断だ。今度アルフォンスに言っておこう」
エリックの口から出た名前に、アマリリスは体をわずかに強張らせた。アマリリスはすっかり忘れていたが、兄は公爵家跡取りとして、第一、第二王子や護衛騎士であるアルフォンス、その他の攻略対象とも親交があるのだ。そもそも王宮で仕事をしているのだから親交があるのは当たり前ではないか。今更ながらにその事実に思い至り、アマリリスの心臓が早鐘を打つ。
「姉さま大丈夫だよ? 僕も兄様もちゃんとそばにいるから」
マリオンがアマリリスを心配そうに覗き込む。きっと無意識に心臓の上に手を置いたアマリリスの行動を、男性に不躾に見られた不安からのことだと勘違いしたのだろう。
腰を曲げ、あえてアマリリスより視線を低くし見上げるその仕草は子犬を思わせた。とてもあざと可愛い。
「ありがとう、マリオン。大丈夫よ。ちょっと緊張しちゃって……」
「緊張することはないよ、リリス。君より美しい者はこの会場にはいない。自信を持って」
「そうだよ姉さま。僕の姉さまに叶う人なんかいやしないよ」
エリックとマリオンからの的外れの励ましを受けたアマリリスは、それでも笑って礼を言った。ミリア曰く、この兄弟はシスコンが過ぎる、とのこと。それにはアマリリスも同意見だ。
敵対する心配はなくなったが、今はこの二人の将来が非常に心配だ。兄などいまだに婚約者がいないのだ。ちなみにシスコンという言葉はアマリリスが教えた。
アマリリスが兄と弟の行く末を想い物思いにふけっているうちに、王族全員が用意された椅子に腰を降ろした。
陛下からの言葉を賜ったのち、高位貴族から順次、挨拶へと向かう。この会場で一番位の高いのはティアット家だ。
一歩、足を踏み出したアマリリスの脳裏に夢で見た光景が広がる。王家への挨拶のために舞踏会場を進むアマリリスをエスコートするのは、兄のエリックでも、弟のマリオンでもなく、父親であるハロルドだった。
令嬢令息が精霊神からの祝福を受けるデビュタントに父親のエスコートで会場入りするのは、その令嬢が誰にも望まれなかった証。
夢の中の兄はアマリリスのデビュタント前にさっさと他の令嬢のエスコートで祝福を受け、マリオンはあえてアマリリスのデビュタントには出ずに、翌年兄同様ほかの令嬢のエスコートで祝福を受けていた。
ましてや夢でのアマリリスはすでに第一王子と婚約していたにも関わらず、だ。きっと恥ずかしく、惨めだったろう。
それでも、夢で見たアマリリスは笑みを浮かべていた。ふくよかな頬をわずかに引きつらせ、それでも一生懸命笑っていた。きっと惨めな自分を認めたくなかったから。
経験したことのないはずの記憶と感情が、アマリリスを支配した。だから、アマリリスは笑った。夢の中のアマリリスはどうしようもない少女だったけれど、アマリリスなりの矜持を持っていたのだ。
王族の前に辿り着いたアマリリスは、ふわり、とまるで体重を感じさせない仕草でカーテシーを披露した。ミリアに「白鳥のように優雅にっ!」と猛特訓された成果を遺憾なく発揮した最高の出来だ。
会場からのほうっ、という感嘆を込めたため息がアマリリスの耳に届いた。
(やった、やったわミリア)
アマリリスは今はいない(会場に)侍女に、心の中で報告する。
「よい」
陛下からの許しが出た。顔を上げても良い、という意味と、声を出しても良い、という意味だ。アマリリスは口元に笑みを浮かべたまま顔を上げた。あくまで今日の主役はデビュタントを迎える令嬢だ。まずはアマリリスが挨拶を、次に兄、弟の順となる。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗く、恐悦至極に存じます。ティアット公爵家が息女、アマリリス・ティアットがご挨拶申し上げます」
「ほう、我が祖母に似ておるな」
陛下に声をかけられ、アマリリスは驚いた。夢の中では、陛下はアマリリスに特に興味を示さず、頷いただけで次の令嬢へと代わっていたのだ。
「……わたくしが、ですか?」
「そなたの母カメリアは儂の従妹になる。そなたにも王家の血は流れておる」
ティアット公爵の後妻である、アマリリスとマリオンの母カメリアは、前妻であるフレデリカと従姉妹同士だった。フレデリカと陛下は兄妹なので、確かにアマリリスにも王家の血は流れている。
その後エリックとマリオンが型どおりの挨拶を澄ますと、陛下は口元にわずかな笑みを浮かべて三人を見た。
「今宵は楽しめ。精霊神の導きのままに」
陛下のこの言葉はこの日の決まり文句と言っても良い。これで話は終了という合図だ。
「御前失礼致します」
もう一度、カーテシーをして、次の令嬢令息に場を譲る。はじめてにしては上出来ではなかろうか。アマリリスはミリアに褒めてほしくなり、いないとわかっていても、つい自分の侍女を探してしまった。
「よく出来たね。リリス」
「陛下にお声をかけられたね」
エリックとマリオンが交互にアマリリスに声をかける。
「ええ。びっくりしたわ」
「リリスが陛下とお会いするのは今日が初めてだからね。私もリリスがエリカ様に似ていたとは知らなかったよ」
陛下の祖母であるエリカ・スコルディアのことはアマリリスも名前だけは知っている。
夢の中の情報で、アマリリスとエリカが似ているなどというものはなかった。何しろ、夢の中のアマリリスは今とは比べ物にならないほど太っていたので、そのような話題がでることもなかったのだろう。
滞りなく陛下への挨拶が終わり、次は精霊神からの祝福を受ける儀式に移る。挨拶の時アマリリスはマリアベルの姿を探そうとしたが、多くの令嬢令息に声をかけられ、マリアベルの挨拶を見逃してしまった。
デビュタントは今後の人脈作りも兼ねているため仕方ない。アマリリスはマリアベルを探すことをそうそうに諦めた。
今度は先ほどとは逆で低位貴族からの順となる。主人公であるマリアベルは子爵令嬢なので中間かそれより前くらいになるだろう。
アマリリスの胸は高鳴った。自分はこれから主人公であるマリアベルが精霊神からの加護を得る感動的な場面を、この目で見ることが出来るのだ。
この世界には精霊がいる。そしてすべての精霊を束ねる精霊神が存在するのだ。
精霊は普段人々の前に姿を現さないが、運が良ければ姿を見ることもできる。前世においては空にかかる虹くらいの遭遇率だろうか。
だが稀にその存在に好かれ、その力を使役する者が存在する。それが精霊師だ。
デビュタントにおける精霊神からの祝福の儀は王家お抱えの精霊師によって行われるが、実際に精霊神からの祝福があるわけではない。精霊師と契約している精霊を通じて、精霊神からのものと見なされる祝福を授けるだけだ。
精霊神はあまねく精霊の親であるため、どんな精霊からの祝福も、突き詰めれば精霊神からの祝福ともとれるというわけだ。ちょっと屁理屈だなと、アマリリスなどは思っている。
だが、今回は本当に精霊神からの祝福を授かる者が現れるのだ。それが主人公のマリアベルだ。
マリアベルが精霊神からの加護という祝福を受けたあと、会場は大騒ぎになる。何しろ、長い歴史を誇るこの国でも、精霊神から直接言葉を賜り加護を受けた者はいないのだから。
次々と令嬢令息が精霊師の前へ行き膝をつき、祝福を受けた者たちから順に両親の元へと戻っていく。その令嬢令息に手をかざし祝福を授けているのが、攻略対象である宮廷精霊師ダグラス・レストナーだ。
「五人目……」
ダグラスの手元は祝福の言葉を紡ぐたびに、淡く光っている。精霊師の使役する精霊の姿や力は、誰にでも見ることが出来るのだ。
神秘的な長いホリゾンブルーの髪とライラック色の瞳にも光が当たり、ダグラス自身を精霊かと思わせるような光景だ。
祝福の様子をぼんやりと眺めていたアマリリスの目が、撫子色の髪の令嬢の姿を捕らえた。マリアベルと同じ髪色だ。ピンク系の髪は非常に珍しいから目立っている。
アマリリスのブロンズ色の髪も珍しいが、それを言えば攻略対象の配色も、さもありなんといった体で珍しいものばかりだ。その他大勢と区別をつけやすくするには仕方ないのかもしれないが、目立つのが玉に瑕だ。
撫子色の髪の令嬢は、エスコートしている令息と息を合わせてしゃがみ込む。同じ髪色からみて、兄か弟だろう。アマリリスはその令嬢の後ろ姿をじっと見つめていたが、何事も起こらなかった。
(あら? 人違い?)
アマリリスが人違いかと思った矢先に令嬢が声をあげた。
「えっ、何で⁉」
アマリリスのいる位置は令嬢からは少々距離がある。それでも聞こえたと言うことは、かなり大きな声だったのだろう。会場ではひそひそと耳打ちし合う者たちの姿が見受けられる。どうやら悪目立ちをしてしまったようだ。
おろおろとしているその令嬢に対し、エスコート役の令息が宥めている。そんな二人に、ダグラスが腰をかがめ何事かを囁くと、その直後令嬢はばっと勢いよく立ち上がり、ずんずんとどこかへ歩いていってしまった。令息はそのあとを慌てて追いかけている。アマリリスはあっけにとられてその様子を見ていた。
「何だろうね。あの子」
隣にいたマリオンが放った言葉に、アマリリスも激しく同意した。彼女は恐らく主人公であるマリアベルで間違いないだろう。
彼女は己に精霊神の加護が無いことがおかしいと知っていた。それは彼女がアマリリスと同じ存在という証にもなる。己の未来を知っている、己が主人公だと知っているから、はずれた未来に驚いたのだ。
だがそのことをマリオンに言うことは出来ない。アマリリスはとぼけることにした。
「さあ? 何かしら。精霊の光を見て驚いたとか?」
「ああ、まあね。精霊はこんなときでもないと滅多に見ることができないからね」
「そうね……」
アマリリスの言葉を疑うことなく信じているマリオンに、アマリリスは心の中で謝った。
だがまるきり見当違いな意見でもないはずだ。
精霊の姿を見るのは空にかかる虹と同じくらいの頻度。それは精霊師と契約した精霊に関しても同様だ。
精霊師の数は少ない。そしてそのほとんどが国お抱えとなっている。普段の生活をしていてひょいひょい会えるような存在ではないのだ。