2 侍女は名探偵?
「なるほど、お嬢様が変わられたのはそういうことでしたか……」
指を唇にあてたミリアは、目を細めてほうほうと一人頷いている。
「がっかりさせてごめんね」
先ほどまで自分に向けられていたキラキラした眼差しを思い出し、居たたまれなくなってアマリリスはうつむいた。
「何をおっしゃるのです、お嬢様。わたくしはがっかりなどしておりません」
「えっ、何で?」
思いもかけないミリアの言葉に、アマリリスはばっと勢いよく顔をあげた。
「お嬢様が良い方向に変わられたのに、なぜがっかりする必要があるのです?」
心底不思議そうに首をかしげるミリア。
「えっ、でも精霊神のお告げじゃないわよ、多分。それに私悪役だし……」
「悪役は置いといて……むしろ精霊神のお告げでなくて良かったではありませんか」
「ええっ、どうして?」
「これが精霊神のお告げだったのなら、お嬢様の未来は変えられないものだということになりますから」
指を一本顔の前で突き立て、きりっとした顔で言われた事実に、アマリリスははっとする。
「そ、そうね。言われてみれば」
精霊神のお告げは絶対だ。外れることはない……とされている。もしアマリリスの得たお告げが精霊神からのものであれば、破滅するというアマリリスの未来はすでに決定事項ということだ。それはあまりにも恐ろしい。
普通の人間が破滅する未来など知ってしまったら、絶望どころではないではない。発狂ものだ。
「こ、怖いわね。精霊神からのお告げでなくて本当に良かったわ」
「そこなんですが、お嬢様」
「なに?」
「本当にそれは精霊神からのお告げではないのですよね」
ミリアは先ほど精霊神のお告げでなくて良かったと言ったその口で、今度は本当に違うのかという疑問をアマリリスに投げつけてきた。どっちなのだ。
「えっ、そうじゃないかしら? だって精霊神の声なんて聞いていないわよ?」
「そうですか……」
そういうと、ミリアはふっとアマリリスから目逸らした。
「……ちょっと、何か怖いわ。そこで黙らないでよ」
「いいえ……お気になさらず」
「気になるわよっ。何かあるなら話してっ」
「……では。実は精霊神からのお告げのほとんどは、精霊神ご自身の声でのお告げらしいのですが、中には声ではなく、もっと抽象的な何かでお告げを受けた者もいたようなのです」
「抽象的な何か……」
「ええ、抽象的な何か。……それが何かは伝わっておりません」
顔を近づけ小さな声で恐怖を演出するミリアに、アマリリスの頬は引きつった。
「いやいや、私の場合、むしろ具体的じゃない?」
「そうですね」
慌てて否定するアマリリスに、ミリアがしれっと答えた。
「ええっ⁉」
「すみません。ちょっと心配し過ぎました」
「もうっ。心臓に悪いわ」
「申し訳ありません。お嬢様は鋼の心臓をお持ちだと思っていたもので」
「ぐう。……確かに以前は鋼だったかも知れないけど……今は硝子くらいにはなったわ!」
「割れやすいですね」
「ぐう」
「お嬢様。金剛石の心臓を目指しましょう」
「だいぶキラキラしいわね。でも硬いわね」
アマリリスが感心していると、≪金剛石は一定の方向から衝撃を与えると割れやすい≫、という情報が頭の中に浮かんだ。便利なのか何なのか。そしてその情報は必要なのか。
「それよりも、お嬢様、今後について計画を立てましょう」
「計画?」
「そうです。何事も計画に基づき行動することで、効率的かつ有効的に時間と労力を使うことが出来ます」
「なるほどっ!」
「まずお嬢様がやらなければならないことは、何だかわかりますか?」
「う~ん。何かしら? とりあえず放っておいた勉強かしら」
公爵令嬢たるもの、五歳の時にはすでに家庭教師がついていた。しかし、以前のアマリリスはあまり勉強が好きではなかったため、勉強にまったく身が入っていなかったのだ。
「違います。お嬢様がまずやらなければならないことは――痩身です」
ミリアの発言に、アマリリスはうっと言葉につまる。痛いところを突かれてしまった。
「お嬢様、お告げのことをお話になったときに、少々濁した箇所がいくつかございますね」
ミリアに指摘され、アマリリスはぎくっとした。
「予言によると近い将来、お嬢様は第一王子であるグレン様と婚約なさるそうですね。そして婚約破棄される、と」
ミリアの言葉が、アマリリスの心をぐさりと抉る。政略で結ばれた婚約を破棄されるとか、普通はありえない。よくて白紙だ。
「なぜ、婚約破棄されたのですか?」
「主人公が現れて……第一王子が主人公に心を奪われ……」
「それですっ!」
「えっ」
「何故第一王子は心を奪われてしまったのでしょう」
「ええ? それは主人公が運命の相手だから……?」
「違いますっ!……それもあるかも知れませんが」
「いや、絶対そうじゃない?」
反論するアマリリス。しかしミリアはアマリリスの反論を無視した。
「考えてもみてくださいお嬢様。いくら政略結婚とはいえ、いえむしろ政略結婚だからこそ、運命の人に出会ったからなどという理由で婚約破棄はいたしません」
それはさきほどアマリリスも考えた。政略で結ばれた婚約なのに破棄なんて、ゲームでのアマリリスは一体どれだけのことをしたというのか。
だが本当になんとなくだが、アマリリスにはその答えらしきものに見当がついていた。
「確かに一理あるけど……主人公は精霊神の愛し子よ? そっちを選ぶのもまた王族としての政略なんじゃない?」
精霊神の愛し子など、ぜひとも王家に取り入れたいに決まっている。
「……一理ありますね」
はっとした表情で頷くミリアを見てアマリリスは思った。あっだめだこれ、と。
「だめではありません」
「心を読まないでっ?」
「わたくしは心は読めません。ですが、お嬢様のお顔が雄弁に語っていたのです。あっ、だめだこれ、と」
己の侍女は優秀なのかそうでないのか、まだ一年という短い付き合いしかないアマリリスには判断しかねた。
「ですが、お嬢様。お嬢様に痩身が必要なのは明白です」
「うっ」
「見てください。このぷにぷにした二の腕、ぽよぽよしたあご」
ミリアはアマリリスの二の腕とあごを、それぞれの手でふよふよと持ち上げるように触った。なかなかの屈辱だ。
「氷の貴公子と呼ばれたご当主様と社交界の妖精と詠われた奥様の血をひいていらっしゃるのに、なんですかこの体たらくは」
池落ちする前後でアマリリスは変わったが、なぜかミリアも変わった。たしか、池落ちする前のミリアは優秀だが寡黙な性格だったはず。
侍女としては寡黙であることはむしろプラスの要素だが、子どものアマリリスとしては少し取っ付きにくかったのも事実だ。だが今はどうだ。さきほどからミリアの弁舌は絶好調だ。
「お嬢様、先ほど濁した箇所ですが、お嬢様の評判として、我儘しほうだい、性格が悪い、金遣いが荒いのほかに、たいして美しくもないのに、という言葉がございましたね」
「そ、そうね」
「納得できません」
「ミリアっ……!」
思いがけないミリアの忠誠心にアマリリスは感動した。だが違った。
「我儘しほうだい、性格が悪い、金遣いが荒いはまあいいでしょう」
「いいのっ⁉」
「ですが、たいして美しくもないのに、という言葉は納得できません。さきほども言いましたが、お嬢様はご当主様と奥様の血をひいていらっしゃいます。子が両親に似ず、祖父母に似ることもございますが、どちらの家系も祖父母、曽祖父母にいたるまで、皆お美しい家系でございます。事実、お嬢様のお顔はとても整っていらっしゃる。あごが少したるんでいてさえです。なのにっ! 花も恥じらう十八の乙女がたいして美しくもないなどと形容されるとは、まったくもって遺憾であります。たとえどのような容貌をした乙女であっても、十八ともなれば、皆一様に生物としての瑞々しい美しさで青春を謳歌しているはずなのですっ!」
ミリアは力説した。アマリリスが少々ひくくらいに力説した。何が彼女をそうさせるのかアマリリスには見当もつかなかったが、ミリアのほうでは十年後のアマリリスがたいして美しくない理由について、ひとつの見当がついているらしかった。
「ということはですね、お嬢様。お嬢様は今から十年後、生まれ持った美貌を見る影もないほどに損なっていらっしゃるということになります。それはなぜかっ! おそらく怪我や病気によるものではないでしょう。もしそれらが原因なら、たいして美しくもないなどという曖昧な表現には当てはまりません。たいして美しくない、という言葉はそこまで最悪じゃあないけれど言うほど美しくもないよね、むしろその逆かもね、くらいの意味で使われます。なぜ、その言葉がお嬢様に対して使われたのか、現在のお嬢様の体形と生活を念頭においた上で鑑みれば…………生活習慣の乱れによる肥満が原因という結論が導き出されます」
犯人はお前だ、とでも言わんばかりの勢いでミリアは自らの推理を披露した。
「いかがですか?」
「……参りました」
アマリリスは素直に降参した。
原因までは知らないけれど、いや、多分そうなのかも知れないけれど、ゲームの中のアマリリスが太っていたことは事実だ。
宝飾品をじゃらじゃらとつけた豊満すぎる肉体に個性的すぎる厚化粧。ティアット公爵家の豚姫。それが乙女ゲームの中でのアマリリスの二つ名だった。もう泣きたい。
「……やはり、そうでしたか。先ほどの話、ところどころお嬢様が何かを隠すように言いあぐねる箇所がございましたが、それは自らの失態を隠すためのものだったのですね。すなわち、将来太るであろう己の未来を隠すため」
確かにその通りである。ちょっと太っているかな、でもまだ許容範囲だよねと思っていたところに、お告げという形で今より更に肥える未来を約束されたのだ。若干現実逃避気味であったことは否めない。
「でも、ミリア。それって本題とは関係ないんじゃ……」
「とんでもない! 見た目は重要ですっ! とくに貴族の世界では。もし、十年後のお嬢様がお美しく成長し、手放すのは惜しいと王子に少しでも思わせることができたなら、破滅する未来にはならなかったかも知れません」
「そんなばかな……」
アマリリスが太っていたばかりに婚約破棄されたとでもいうのか。
「いいえ、お嬢様。そんなばかなではございませんよ。もちろん外面だけではなく内面も磨かなくてはいけません。真の美とは内面から発揮されるもの。どれほど生まれ持った造形が美しくとも、そこに魂の美を見出せなければ、真に人が人に惹かれることはございません。むしろ性格の悪さが外面に出れば、その美しさと相まっていっそ醜悪にさえ見えるものです。………時には醜悪なものをこそ好む人種もおりますが、それはそれ、これはこれ」
ミリアの言う通りかもしれない。当の本人であるアマリリスでさえ、あの体形はないなと思っていたのだから。ゲームの中の第一王子も出来れば婚約をなかったことにしたいと思っていたとしても何ら不思議ではない。
「う~ん。まあ一理あるわね」
「まあ、お嬢様の場合、すべての悪いところを集約した結果だったのかも知れませんが」
「ぐう」
本当にこの侍女は痛いところを突いてくれる。さきほどから蓄積されたアマリリスの受けたダメージは計り知れない。
「とにかく。痩身は現状打破の第一歩です。まずは生活態度を見直すこと。規則正しく生活すれば、痩身に効果があるだけではなく、やるべきことを速やかにこなすことにもつながります」
「そうね。まずはこつこつと、よね」
力説する侍女に押されて、アマリリスはおおいに納得した。