18 魅了の魔女
ユウカと名乗った魔女の言葉を聞いて、アマリリスは愕然とする。
「何てこと……」
では魔女と呼ばれているこの存在こそが、アマリリスの同類だったのだ。そして消えていったマリアベルは正真正銘、この世界の主人公であるマリアベル・ミスティだったということになる。
「参ったわよ。前世の記憶を思い出してからずっと、マリアベルの頭の片隅に押し込められてきたのよ。普通前世の記憶思い出したらその人格が主導権握るわよね? 本当、やんなっちゃうわ」
ユウカはせいせいしたとでも言うように大きく伸びをした。その表情、態度からはマリアベルに対しての同情も憐みも見出すことはできない。
「……あなたはマリアベル様とずっと一緒にいたのでしょう? マリアベル様が消えて悲しくないの?」
「ええ? どうして悲しむのよ。だってマリアベルの意識が残っていたのはただのバグよ? 本当ならわたし一人の身体だったのよ。マリアベルの意識が残っていたのが間違いなの!」
「バグって……。違うわ! だってマリアベル様の意識がバグなら、私たちの意識だってただの作り物ということになってしまうじゃない!」
「あら? あなたは違うでしょ? あなたは私の同類。あなただって豚姫の意識を追い出してその身体を乗っ取ったんでしょう?」
「……違うわ」
「違わないわよ。前世の記憶を持っているんでしょう? じゃなきゃ、あの豚姫がこんなに綺麗になるわけないじゃない」
嘲るように、蔑むように、マリアベルがアマリリスにお前は同類だと言っている。己に向けられたその醜い笑顔を見たアマリリスの脳裏に、豚姫と呼ばれていた己の姿がよぎった。
「わ、私……違うわ。私はアマリリスの意識を乗っ取ってなんか……」
しかし本当にそうだと言えるのかアマリリスは確証が持てなかった。ユウカとアマリリスが同類だというのなら、アマリリスが意識していないだけで、池で溺れる以前のアマリリスを追い出し、この身体を乗っ取った可能性は確かにあるのだ。
「お嬢様!」
アマリリスは震える己の身体を両手で抱きしめる。するとそんなアマリリスの肩をミリアが掴み、己に向き合わせた。
「お嬢様はあの小娘とは違います。確かにお嬢様は変わられましたが、以前のお嬢様も、今のお嬢様も、お嬢様であることに変わりはありません。このミリアが保証します」
「……ミリアぁ」
アマリリスの瞳からぽたぽたと流れ落ちる涙を見て、ミリアが顔を歪めた。
「ふうん。その使用人には話してあるのね。いいじゃない。泣ける主従関係ね? でもどうせなら侍女より執事でしょ」
「魔女……。わたくしのお嬢様を泣かせたこと、許しませんよ」
ミリアから放たれた殺気に一瞬ユウカが怯む。しかしユウカの変化を感じ取ったのか、エリオットとマリオンがユウカの前に出て剣を抜いた。
「坊ちゃまズ……。剣を振り回していいのは五歳までですよ?」
エリオットとマリオンは剣が得意というわけではないし、いつもは帯刀すらしていない。
しかも二人は肝付のシスコンなのだ。アマリリス馬鹿なのだ。それはミリアとアマリリスの弛まぬ努力の成果だったが、少々やり過ぎたかな、ということで二人の意見は一致していた。それが魅了にかかっているとはいえ、こうも簡単にアマリリスに剣を向けるとはにわかには信じられなかった。
「お兄様とマリオン……。きっと一度しかしてないわよね?」
ぜひともそうだと思いたい。アマリリスの縋るような視線を受けて、ミリアは真剣な表情でこくんと頷いた。
「さきほどはわたくしもお年頃故などとのたまってしまいましたが……マリオン坊ちゃまなどファーストキスは姉さまがいいなどと頭のおかしなことをぬかしていたので、一度ならず二度などということはまずあり得ません。気合で何とかするでしょう。……ちょっと躾け方を間違ってしまいましたね」
「知らなくていい情報だわ、それ!」
ミリアからもたらされた衝撃の事実に、アマリリスは頭を抱えて叫んだ。
「完全に魔女に入れ替わったことで魅了の力が強くなったのでしょうね」
「ええ……。じゃあ、一度でも奪われたらもうアウトってこと?」
「ですね、きっと。唇は死守してください、お嬢様」
「……」
ミリアからの忠告を受けて、アマリリスが両手で唇を隠す。だがそんなアマリリスの仕草を見てユウカが笑った。
「あはは。心配しなくても女になんかキスしないわよ」
「それは良かった。これでわたくしは最後までお嬢様の味方でいられますね」
「……ミリア?」
どこかいつもと違う己の侍女の雰囲気を察知して、アマリリスの胸に不安がよぎる。
「お嬢様……下がって。グレアムさんと逃げてください」
「嫌よ!」
「お嬢様。この伝説の呪具で魔女と対峙し、大切なお嬢様を護るという崇高な使命を与えられたわたくしは今かつてないほどに高ぶっております」
「ええ⁉ ぶっちゃけすぎよ!」
「ミリアさんらしいべな」
グレアムの前では猫を被っていたミリアだったが、グレアムはしっかり見破っていたようだ。
「いえ、ちょっとミリア! 落ち着いて、ね!」
「あんたに用はないのよ、使用人。わたしが欲しいのは精霊神の愛し子という立場なの。そのためにはそいつに死んでもらわなきゃ」
「ちょ……欲しいならあげるわよ! あげるからどっか行って!」
「あんた馬鹿ねぇ。いらないからあげるなんて真似出来るなら世話ないわよ。精霊神が一度愛し子に定めた相手をそうほいほい変えると思うの?」
「だって……本来ならあなたが愛し子になるはずだったんでしょ? だったらあなたが直接精霊神に会って頼めばなんとかなるんじゃないの⁉」
ユウカが人差し指を唇に当て、首を傾げて考える。
「……それもそうね。どのみち精霊神も魅了にかける予定だったし」
納得したらしい様子のユウカに、アマリリスはほっと息をはく。このままどこかへ行ってくれればいいのにと思っていたところに、ミリアがユウカに質問をした。
「小娘。ちょっと聞きたいのですが」
「何よ。というかその小娘って呼びかたやめなさいよね」
「その魅了の力はその身体の持ち主であったマリアベル様が本来持っていた力なのですか?」
ユウカの頼み、というか命令をまるっと無視して質問を続けるミリア。ミリアは性根が据わっているのだ。
「これ? いいえ。ゲームの中のマリアベルは魅了の力など持っていなかったわ。でも気付いたら使えるようになっていたのよ」
本当にそうなのだろうか。そんな気づいたらほいほい使えるようになるものなのだろうか。魅了の力というものは。
(もしかしたら説明がなかっただけで、標準装備だったのでは?)
「ふむ。ではもうひとつ。あなたは幾多の殿方を魅了しているようですが、一体何を成したいのでしょう」
「何を? 別に? イケメンがみんなわたしのこと好きになってくれたら最高じゃない」
「それだけ⁉」
欲望丸出しのユウカの言葉に、アマリリスは思わず突っ込んでしまった。
「重要よ。せっかく乙女ゲームの世界に生まれ変わったのよ? 楽しまない手はないわ」
「ですが結局最終的には一人を選ぶことになるのですよ? この国は一夫一妻制です。まあ側室や愛人は別ですが」
「なら法律を変えればいいわ。夫は……そうね。最低七人までは持ちたいわ。じゃないと攻略対象全員と結婚できないもの」
「……精霊神様って結婚できるのかしら?」
「お嬢様、そこは重要ではありません」
確かに隠れてはいるが攻略対象に精霊神が入っているのだから、攻略自体はできるのだろう。ゴールをどこに設定してあるのかはわからないが、結婚という結末もあり得るのかもしれない。もちろん人の世に倣った結婚ではないだろうが。
腕を組み、仁王立ちしながらアマリリスとミリアを見据えていたユウカが、突然視線を遠くに向けた。
「あら? もしかしてあれグレンかしら?」
ユウカの視線の先に遠くからこちらに近づいて来る馬に乗った二人の人物が見えた。濃紺の髪と黒と見紛う深緑の髪。一人はグレン、もう一人はユルグムだ。
「……ちょっと、誰あのイケメン。え? ゲームにいた? あんな人。ヤバ……カッコいい」
アマリリスは腰をくねらせるユウカの瞳にハートの幻を見た。頬を赤らめ唇を火照らせているユウカ。しかしその視線は肉食獣のそれだ。
「……あの人も欲しいわ……」
ユウカがペロリと赤い舌で唇をなぞる。その仕草と獲物を狙うようにすがめられた目は女のアマリリスでさえゾワリとするほどの妖艶さだった。マリアベルのときには見られなかった色気は確かに魔女が身体を支配していることを示している。
「ピンチですね、山男」
「髭剃らない方が良かったかもね」
前髪で目を隠し、髭ぼうぼうだったときのユルグムならきっとユウカの目には留まらなかっただろうに。世の中上手くいかないものだ。
「おい! アマリリス! 侍女!」
馬に乗ったユルグムがアマリリスとミリアの傍まで来て馬を止める。少々土煙が起きたが、さきほどまで草むしりをしていたアマリリスとしては特に気にはならなかった。
「ユルグム!」
「アマリリス! こっちへ来い!」
ユルグムの差し出した手を握ろうとアマリリスが手を伸ばす。しかしもう一歩というところで二人の間に赤く光る球が現われた。突如目の前に現れた異物に、アマリリスは反射的に手をひいた。
「くそ! ダグラス!」
赤い光球が膨らみ破裂しようとした直前、その光球を覆うように黒い光球が現われた。
その黒い光球は赤い光球を完全に包み込み、急速に縮みながらそのまま地面へと消えていく。その様子を茫然としたまま見つめるアマリリスの耳に、ユルグムの怒号が響いた。
「ダグラス! 愛し子を殺す気か!」
叫ぶユルグムの声にもダグラスは反応しない。ただ虚ろな目で宙を眺めるだけのダグラスの代わりに、ユルグムの声に反応したのはユウカだった。
「ふふん。ダグラス。アマリリスは殺していいわ。でもその人は殺さないで」




