16 貸したもの?
「殿下、少々よろしいでしょうか」
「ジェラルド……どうした」
アルフォンスとともに廊下を歩いていたグレンは、宰相補佐であるジェラルドに呼び止められた。
ジェラルドはモノクルの位置を人差し指で直しながら言いにくそうに口を開いた。
「マリアベルのことなのですが……」
ジェラルドの口から出た名前を聞いた途端、グレンは眉を顰めた。いい加減その名を聞くのは飽き飽きしていたところなのだ。
「また何かしたのか?」
聞かずともおおよその検討はついていたが、それでも第一王子としては聞かないわけにはいかない。
「リッツ公爵家のご子息に口づけようとしたらしく……」
ためらいがちに切り出されたその報告に、グレンはため息をつく。隣にたつアルフォンスなど舌打ちまでしていた。
「いい加減にしてくださいとは、何度も言っているのですがね……」
言っているジェラルドも眉を顰めている。しかもジェラルドは以前未遂にあっているのだからなおさら不快だろう。
「どうにかならないのか、あの色魔は」
「最近とみに酷いですね。以前はまだ可愛げがありましたが、あれはもう娼婦とかわりません」
「むしろ娼婦に失礼だな。……しかしあれはやはり魅了なのだろうか。いまだにそのような力が存在するなど信じられん」
しかしいくら信じられずとも現状を見ればそうと判断するしかない。ダグラスのみならず、王宮に出入りする高位貴族の面々がすべからくマリアベルに心酔しているのだ。
マリアベルがどうやって相手を魅了するのか最初はわからなかったが、ユルグムからの報告があったことと、今回と同じようにマリアベルに口づけられそうになったと文句を言って来た相手がいたことから、どうやら口づけにより相手を魅了するのだということが確実となった。
「……ユルグムは魅了も魔女も存在すると言っていたのですよね」
グレンたちとて、詳細は知らずとも魔女と呼ばれる存在がおとぎ話の中だけの存在ではないことは知っていた。
「ああ……。しかも、おとぎ話に出てくる魔女よりも、よほど醜悪で恐ろしいと」
そして自分ではその魔女を倒せないとも言っていたのだ。
「何てこと……。二年前にユルグムの話をちゃんと聞いていれば、このような事態にはなっていなかったのでしょうか……」
「言ってもしょうがない。あの時点でのマリアベルの予言は疑いが持てるものではなかった」
ユルグムの精霊は言及していなかったが、ダグラスの精霊は予言は本物だと判断したのだ。精霊がわざわざ嘘をつくとも思えなかったため、マリアベルの予言は本物だということにされたのだ。しかし予言という不確かな現象に対する規定が人間と精霊では異なった可能性がある。
「今のところとくに国政に影響がないのが救いですか……」
「そうだな。しかし国中の高位貴族の大半が魅了に掛かるとなると、国家転覆も不可能ではない。早急にどうにかしなければならないな」
「ダグラスは相変わらずですしね……」
ジェラルドの言葉に、グレンとアルフォンスも揃ってため息をついた。
「相変わらずどころではない。以前はまだ話が通じたが最近ではいつ何時話しかけても上の空だ」
「今のダグラスの仕事は次席の者が代わりにこなしている。このままではいずれ首席の座を失うだろうな」
グレンとアルフォンス、ジェラルドがあまりの現状を嘆いていると、ジェラルドの父であるアルフレッドが前方から歩いてきた。
「殿下。こちらにおられましたか。アンリ殿下から連絡が入っております」
「アンリだと?」
第二王子である弟のアンリは、現在ティアット家に預けられている。ユルグムの話だと、アンリの魅了の掛かり具合は軽いので二週間ほどマリアベルから離せば完全に元に戻るということだった。
軽いとされるアンリですら魅了を解くのに二週間もかかるのだとしたら、ダグラスを元に戻すのに一体どれほどの期間を要するのか、考えるだけでもすでに頭が痛かった。
「ええ。ユルグムを連れてこれから王宮に戻ると」
アルフレッドのもたらした朗報に、グレンとジェラルドの表情が変わる。さきほどまでの重苦しい空気は霧散していた。
「ユルグムが来るのですか? 自分では魔女を倒すのは無理だと言っていたのに……」
アルフォンスの言う通り、ユルグムは一度グレンの願いを断っている。何か状況が変わったのだろうか。
「何か策があるとのことでした。……ダグラスがあの状態では、もうユルグムを頼るしかないでしょうな」
「おお。ジェラルド。元気だったか? グレンとアルフォンスも二週間とちょっとぶりだな」
現れたユルグムのあまりの緊張感のなさに、一同眉を顰めた。これから魔女と対峙しようというのに、ユルグムの態度はあまりにも暢気だ。
「ユルグム。勝機はあるのか?」
「まあな」
「兄上。ユルグムが無理なら誰であろうと無理です」
「アンリ……」
約二週間ぶりに見る弟のかわりように、グレンは息を飲んだ。マリアベルに心酔していた頃とは目が違う。生き生きと輝く目で真っすぐに己を見てくる弟をグレンは生まれてはじめて頼もしく感じていた。
「とにかく、あの娘に会わせてくれ」
「ああ……。ジェラルド。マリアベルは今どこにいる」
「いつもの場所ですよ」
「……ダグラスの部屋か」
「ああ? 執務室にまで入れてるのか? おい、まさか最中なんてことはないよな」
「……ないはずだ」
少し考えてからグレンはユルグムに否定の言葉を返す。八割がたそうであって欲しいというグレンの願望なのが悲しいところだ。
「どうだかなぁ」
ユルグムの勘が当たったのか、部屋の扉を叩いたが返事は返ってこない。一同嫌な予感に顔を見合わせたが、確認しないことには話が進まない。幸いにも部屋からは何の物音も聞こえなかったため、ジェラルドがもう一度、今度は強めに扉を叩き声をかけた。
「ダグラス。入りますよ」
ジェラルドがゆっくりとダグラスの部屋の扉を開ける。しかし中には誰もいなかった。
「ジェラルド様? ダグラス様ならいらっしゃいませんよ? マリアベル様と一緒にお出かけになりました」
後ろから声をかけて来たのは次席宮廷精霊師であるルークだ。ルークの声に一斉に振り返った面々を見て、ルークが小さな悲鳴を上げた。
「ひ……ユルグム様……!」
「ルークか。久しぶりだな」
「な、なぜここに……!」
ルークのユルグムを見つめる若草色の瞳には涙の膜が張っている。ユルグムは決して部下につらく当たるような人間ではなかった。このびくびくした態度は従来のルークの性格によるものだ。
グレンは以前ダグラスがこのルークについて零していたことを思い出した。このおどおどとした消極的な性格さえどうにかなれば、ダグラスにも負けない才能を持っているのにと。
「野暮用でな。お前は………魅了にはかかっていないよな」
ユルグムが覗き込むようにルークの表情を窺う。
「ユルグム様……魅了ってなんのことですか?」
「ああ……気にするな。お前には関係ない。それより、二人はどこへ行くと言っていた」
「ええと……。場所は言っていませんでしたね。ですが確か何かを返してもらいに行くとか、なんとか……」
「ああ? 金でも貸してたのか?」
「ユルグム様なら借りるほうですけどね……」
「おい! 俺がいつ金を借りたよ!」
「ひえ……! だって僕まだ1ルエン返して貰ってませんよ!」
胸倉を掴みそうな勢いのユルグムに、ルークがあわてて後ろに身を引く。
「……そういえば借りたままここ辞めたからな。悪かった。後で返しにくる。もう行け」
ひらひらと手を振りルークを追い払うユルグムに、グレンは疑問を口にする。
「なぜルークは魅了に関係ないんだ?」
「あ? まだわかってなかったのか……。ルークは良い奴だが美男子とは言えないからな」
ユルグムの言葉に眼を瞠ったグレンは、すぐに渋面をつくる。
「……言われてみれば、今日被害を訴えて来たリッツ公爵家のご子息も大層な美男子でしたね」
ジェラルドの言葉に、その場に沈黙が落ちる。
ルークは優秀だが美男子とはいいがたい。つぶらな瞳と丸い鼻はグレンから見れば愛嬌があるが、マリアベルの趣味には合わないだろう。
「はっ! こりゃあの侍女の言葉は正解だな」
「あの侍女とはティアット家の侍女のことですか?」
ジェラルドがユルグムに問いかける。この中ではジェラルドだけあのティアット家の侍女と面識がない。
「ああ」
「その侍女はなんと?」
「アバズレだと」
「……まあ、間違ってはいないでしょうが、少々口が悪いですね」
「まあな。だが面白いぞ、あそこの主従の掛け合いは」
「そうですか……。しかしダグラスたちはどこへ行ったのでしょうか? 貸したものを返してもらいにとは、また抽象的な……」
「貸したものか……。ダグラスが貸すとしたら呪具か何かか?」
研究を主な職務としている宮廷精霊師だったが、世間に出回る呪具の真贋も判断している。その過程で自ら呪具を購入することもあり、それを研究のため保管し、他の精霊師に貸し出すこともあった。
「では管理棟か? しかしそんな場所にマリアベルがついていくか?」
「美男を漁りに行ったとか?」
アルフォンスの言葉に、ユルグムが何かに気づいたようにわずかに目を見開き、眉を顰めた。
「いや……違うな。今のダグラスはあの娘の言いなりだろう。返してもらうものがあるとするなら、きっとあの娘のほうだ。まさか……いや、だが、そうなのか……?」
「どうしたユルグム?」
「くそ……アマリリスか」
ユルグムは瞬時に身体を翻し、廊下を駆けだした。ユルグムの突然の行動に残された者たちは面食らいつつも、あわてて後を追う。しかし体力のないアンリとジェラルドはすぐに遅れてしまった。
「アンリ、ジェラルド! あとから残りの宮廷精霊師を連れてティアット家に来い!」
グレンの言葉を聞いた二人はその場で足をとめる。残るはグレンとアルフォンスだ。
「ユルグム! 何に思い至った!」
繰り出す足は止めずに、グレンからの問いにユルグムが答える。
「……もし娘の返してもらうものというのが精霊神のことだったら、娘の目的はアマリリスだ」
「精霊神を……。何を言っている。そんなわけないだろう」
「いえ、殿下。マリアベルはデビュタントのとき、嘘よ何でそんな女がと叫んでいました。それにもともとマリアベルは自分の予言は精霊によるものではないかと言っていましたし、王宮内での扱いもすでに精霊神の愛し子候補となっていました。そんな折、自分以外の人間が精霊神の愛し子に選ばれたとするならば、マリアベルの性格からして返してもらうという言葉が出ても不思議ではありません」
アルフォンスの言葉はマリアベルの性格を知る者には非常に納得できるものだ。しかし一部の言葉には納得できないところもあった。
「今更か? アマリリスが精霊神の愛し子に選ばれたのは二週間以上前だぞ?」
「……完全に魂が魔女と入れ替わったのかもしれないな」
「ユルグム? どういうことだ」
「あの娘自身が魔女なんじゃない。魔女はあの娘に憑いていた。しかし、おそらくもうあの娘の魂は魔女に食われているだろうな。今あの娘の身体を操っているのは魔女そのものだ」
「なぜそんなことがわかる」
「精霊神に聞いたからだ」
グレンはユルグムの言葉に驚いたが、今それを問いただしている時間はない。それに現在ユルグムは精霊神の愛し子であるアマリリスの住むティアット家に居候をしている。アマリリスを通して精霊神に聞いた可能性もあった。
「……もしユルグムの言うことが本当だとしても、あのティアット家の令嬢は精霊神の愛し子。精霊神の護りがついているのでしょう?」
アルフォンスの言葉を聞いたユルグムが首を横に振る。
「普通の人間からなら何の問題もなく護られる。だが魔女では難しいかもしれない」
「愛し子の危機に、精霊神は駆けつけないのですか?」
「精霊神は今俺とともにいる」
「……は? 何故お前と」
ユルグムはグレンの問いには答えずに、城門を出てすぐの場所に止めてあった馬に飛び乗った。馬の見張りをしていた馬番が突然のことにおろおろとしていたが、グレンの姿を認めると、とたんに姿勢を正し最敬礼をした。
「おい! ユルグム!」
「残りの馬は一頭だ。一人は別の馬を持って来い」
この場ですぐに使える馬はユルグムとアンリの乗ってきた馬しかいない。あとは城門の内側に数頭、緊急時の馬が用意してある。
すでにユルグムを乗せた馬は走り出している。ティアット家までの行程はわかっているが、あまり後れをとりたくはなかった。
「殿下、俺が……」
「いや、俺が行く。あの娘を王宮へと連れ帰った責任をとらなくてはな」
自分が行くと言うアルフォンスを制して、グレンは馬に飛び乗りユルグムの後を追った。




