15 縁は異なもの
ここ最近アンリの口からは聞かなかったマリアベルの名を聞いたアマリリスとユルグムが顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「……マリアベルは外見の良い男性が好きだ。というより外見の良い男性にしか興味がないんだ」
「それはそれは……」
「とんだあばずれですね」
「ミリア……聞いてたの? そしてちょっと言い過ぎじゃない?」
「いいえ、お嬢様。王宮に出入りする貴族の子息たちも魅了に掛かっているということは、そのすべての男性に小娘は唇を許していると言うことです」
「だな。まったく貴族の子息どもは何をやっているんだ。王宮に出入り出来るのだからそのほとんどは高位の貴族だろうに。これでは国を傾けるという戯言も、戯言ではなくなってしまうかもな」
「ユルグム……。本当に王宮には戻らないのか?」
「グレンにも言ったが、俺が戻ったところで何かできるとも思えない。ダグラスの精霊は俺の精霊よりも強い。そのダグラスが精霊もろとも毒牙にかかったんだ」
「だが、ダグラスよりもユルグムのほうが優れている。これは精霊とは関係ない。精霊の強さだけが精霊師の価値じゃない。そう教えてくれたのはユルグムじゃないか」
アンリがユルグムをその樺色の瞳で見つめる。当初の喧嘩腰の態度からすると考えられないが、アンリのそれは心から信頼する者へと向ける眼差しだ。
「ああ……まったく。当時は授業なんか碌に聞いていないと思っていたんだがな」
アンリの言葉を聞いたユルグムが頭を掻きむしった。ユルグムにしてはめずらしくも何だかバツが悪そうだ。
「聞いていたさ。ユルグムの授業は面白かった。……ユルグム。この国を助けてくれ。このままマリアベルが好き勝手に魅了を使い続ければ、そのうち兄上たちにまでその毒牙が及ぶかもしれない」
「……魔女を殺すのは簡単ではない。何しろ実体がないからな。そして人間の精神に取りつく特性上、魔女だけを捕らえることは難しい。捕らえるなら魔女に憑かれた人間もろともだ。それでもいいのか?」
「……国と兄上を護るためだ」
顔を歪め下を向くアンリはとても苦しそうだ。この一週間、アンリの口からマリアベルの名は聞かなかったが、それはどうでもよくなったからではなくて、正気に戻ったがためのことだったのかもしれない。
(そうよね。アンリ殿下だって優秀だと聞いていたもの……)
きっとアンリはマリアベルに気持ちを残している。けれどマリアベルのしていることを客観的にみられるようになった今、その想いを素直に口に出すこともできないのだろう。
「……まあ、本来ならそのまま憑かれた相手ごと呪具か精霊の力で殺すんだが、今回は別の手もあるかもしれないな」
「……別の手⁉」
ユルグムの言葉にアンリが勢いよく顔をあげた。その瞳にははっきりと期待が込められている。
「精霊神に頼む」
「精霊神に? それはアマリリスに頼むということか?」
「なんですって、山男! お嬢様を巻き込もうと言うのですか!」
ミリアが激高するのも無理はない。ユルグムやアンリは知らないが、精霊神とてマリアベルの攻略対象なのだ。できれば攻略対象と関わり合いたくないアマリリスにとっては精霊神とて例外ではない。
「アマリリスは巻き込まない。俺が精霊神に頼む」
「ユルグムが? だが頼むと言ったって、どうやって……」
「結局お嬢様に頼まなければ精霊神には頼めないのでは?」
「ああ、まあ……それは大丈夫だ。応えてくれるかは運しだいだけどな」
「どういうことですか、山男! 簡潔に説明を!」
「俺は精霊神と契約している」
ユルグムの衝撃の告白に、アマリリスやアンリはおろかさすがのミリアも口が開いている。
「……は? いや、ユルグムお前……。気でも狂ったか?」
「狂っちゃいない。普段俺の傍にいる精霊は精霊神の眷属だ。精霊神は気まぐれでな。こちらが呼んだって応えてくれることなど滅多にない。契約精霊としてはほとんど役に立たないと言っても良い」
「いや、不敬だろ。それが本当のことならだが……」
「本当だ」
「………だったら何で黙っていた! 二年前だってお前がそのことを言っていれば皆お前の言葉を信じたのに!」
ユルグムが精霊神と契約していると聞き、アンリが顔を赤らめて激高する。それはそうだろう。もし精霊神と契約している者といくら強くともただの精霊と契約している者の言葉なら、精霊神と契約している者の言葉を重んじるのは当然なのだから。
「言ったろ。精霊神は気まぐれなんだ。証明しようとしてもその場に現れなければ、俺はそれこそ精霊神と契約したなどと嘯く狂人扱いだ。今だってお前信じなかっただろ?」
「それは……確かに。精霊神と契約した人間のことなんて聞いたことがないからな」
「まあそんなわけで、契約精霊としては役に立たないから代わりに眷属を借りていたんだ。正直眷属の方が役に立つしな」
「ですがそれほど気まぐれならまた呼んでも来ないのでは?」
「アマリリスの名前を出せば来るかもしれない」
ミリアから視線を外したユルグムが、しれっと最終的にはアマリリスに頼ると言ってのけた。
「結局お嬢様頼みではないですか!」
「仕方ないだろ。精霊神の力を借りられなければ、あの魔女には勝てないぞ」
「いいじゃないミリア、名前くらい。ユルグムはこの国のために精霊神を呼ぼうとしているのだもの。マリアベル様についている魔女がいなくなれば、私も安心だわ」
「お嬢様……そうですね。いつまでも怯えて暮らすのは性に合いませんね」
「怯えていたの? ミリア」
ミリアが怯える姿などとてもではないが想像できない。誰かを怯えさせている姿ならすぐに思い描けるのに。
「はい。いつお嬢様に魔の手が忍び寄るかと思えば夜も……まあ、寝られますが、まるで四六時中喉に小骨がつかえているかのように不快です」
「それは……確かに不快ね」
「ですよね?」
「賛成ってことでいいな」
ユルグムが強引に話を締めくくると、そこらの落ちていた枝を拾い地面にしゃがみ込んだ。
「何をしているの? ユルグム」
「精霊神を呼びだす」
ユルグムは枝で地面に陣を書き始めた。大きな円の中に円周に添って文字を書き込み、そのまた内側にまた円を描く。そしてまた円周に文字を入れる。
そんなことを繰り返し、時々円以外の幾何学も織り込みながら見る見るうちに陣は完成してしまった。そしてユルグムが陣に向かって言葉を放つ。
「おい。用があるから来てくれ」
「……え? それだけ? 呪文は?」
(中二病は?)
どきどきと胸を膨らませ期待していただけにあまりにも味気ない呼び出しにアマリリスはがっくりと肩を落とす。しかしそれはミリアも同じようだった。
「なんと! 情緒がないではないの、山男!」
「いいんだよ。この陣自体が精霊神に繋がるものなんだ。俺の声はちゃんと向こうに届いている。しかし、やっぱり返事がないな……。おい! アマリリスが呼んでいるぞ」
ユルグムがアマリリスの名を出したとたん、陣が眩い光を放った。
「あのくそ野郎……」
ユルグムが憎々し気に精霊神に毒づく。本当に怖いもの知らずだ。
陣が輝きを増し、次第に人間の姿を象った光の像となる。そしてひと際強く輝いたかと思えば、目の前にはあのデビュタントで見たままの精霊神の姿があらわれていた。
『誰がくそ野郎だ。ユルグム』
虹の浮かぶ真珠色の髪に、銀色の虹彩の紫の瞳。この世のすべての美を凝縮したかのような美しいその容貌。確かに本物、人外の美だ。
『まったく……そなたは人間にしては美しいが相変わらず言葉が汚い』
「余計なお世話だ」
「本当に……精霊神だ……」
アンリの言葉を聞きつけた精霊神がユルグムから視線を外す。そしてアンリのすぐそばに立つアマリリスを見つけ微笑んだ。
『おお、アマリリス! 我が愛し子よ! どうしたのだ。我に用とは一体何だ』
「え? ええ……あの……?」
アマリリスは助けを求めるようにユルグムを見つめる。ユルグムはアマリリスの代わりに精霊神に呼びだした事の次第を簡潔に告げた。
「魔女を倒すのを手伝ってほしい。あんたから借りている眷属じゃあ、心もとない」
『魔女? ……ああ、あの娘か』
「知っているのか?」
『デビュタントにいた娘だろう。我が愛し子を侮辱した痴れ者だ』
「あの娘についている魔女を屠りたい。できればあの娘は傷つけずに」
『あの娘に配慮する必要はあるまい。じきに魔女に食われる娘だ』
「食われる……⁉ マリアベル様が⁉」
『あの娘についている魔女は強い。対してあの娘の弱い魂では長く抗うのは難しいだろう。近いうちに魔女に取り込まれるはずだ』
「そんな……ど、どうにかならないのですか!」
マリアベルはきっとアマリリスと同類だ。悪役のアマリリスと違いせっかく主人公に生まれて来たのに、魔女に食われてしまうなど、そんなのあんまりだ。
『おお、アマリリス。そなたはなんと優しいのだ。しかしもう手遅れだ。我が確認したあの時点で、すでに魂の大半が食われていた』
「そこまで力の強い魔女をなぜ放っておいた。確認したならどうにかすれば良かっただろう。あの魔女がこの国にのさばればあんたの愛し子であるアマリリスも危険にさらされるかもしれないんだぞ?」
『む……。しかしだな……』
「どうすればよいのですか⁉ マリアベルに取って代わって、その魔女は何をするつもりなのですか⁉」
アンリが必死の形相で精霊神に食い掛る。しかし精霊神の顔色は変わらない。
『あの魔女が何をするつもりかなど知らん。そなたたちが躊躇っていたのは魔女に憑かれたあの娘を殺したくなかったからだろう。だがすでにその心配は無用だ。ユルグム。そなたに我の力を使うことを許そう。そなたがあの魔女を屠れ』
「……まあ、仕方ないな。あの娘が救えないのなら遠慮することもない」
「ユルグム……!」
「諦めろ、アマリリス。魔女に取り込まれた魂は魔女が存在する限り解放されることはない」
「お嬢様。お嬢様が心を痛める必要はありません」
「でもミリア……! マリアベル様は……」
「お嬢様……。たとえ本当の敵は魔女だとしても、魔女を受け入れたあの小娘にも責任はあるのです。魔女は悪しき魂に取り憑くもの。魔女をのさばらせたのは小娘本人です」
「でも、ミリア……マリアベル様はまだ何もしてはいないわ……」
「しているだろ。第二王子であるアンリや首席宮廷精霊師であるダグラスを魅了にかけると言うことは国家反逆罪に相当する罪だ。おそらく機会があればグレンやアルフォンスにも魅了をかけていただろう。庇う余地はないぞ」
「お嬢様……」
ぽろぽろと涙を零していたアマリリスは、ミリアに抱きしめられた。
『ああ、アマリリス。なんと労しい』
「あんたのせいでもあるからな。あんたがさっさと魔女をどうにかしていたらアマリリスが泣くことはなかった」
『む……』
「まあ……正直俺もここまでとは思っていなかった。それに基本あんたは人の世には関わらないからな。今回だってアマリリスの名を出したから出て来ただけだし」
「そもそも呼んでも出てこないような相手とよく契約など出来ましたね」
ミリアがアマリリスを抱きしめたままユルグムに問う。そこは確かに疑問だ。アマリリスも気になった。
「ああ。命を助ける代わりに契約したんだ。取引だな」
「命を……? ユルグムが、精霊神を助けたのか?」
アンリが目を見開いてユルグムを見つめる。気持ちはわかる。人間が精霊神を助けるとはこれいかに。
『そうだ。あれは我が美しい河で魚の姿となり泳いでいたときだった』
精霊神が何もない宙を見つめ遠い目をしている。きっと魚の姿で泳いでいたときのことを思い出しているのだろう。あるいは精霊神には何か見えているのだろうか。
『目の前にあまりにも美味そうなミミズが現われたからつい咥えてしまったのだ。それがユルグムの仕掛けた罠とも知らずにな』
ふ、と悲し気に長い睫毛を伏せる精霊神。大変麗しいがちょっと言っていることが理解できない。
「ミミズ、食べたのですか……?」
『魚の身となれば美味い』
「釣られたのですか? ユルグムに……」
アンリが呆気にとられて口をぽかんと開けている。これまた気持ちはわかる。精霊神が魚になることは皆すでにデビュタントで知っていたためそこは誰も突っ込まない。
『そうだ。そしてなんと! 我を釣ったユルグムはそのまま我の身を火あぶりにしようとしたのだ! なんと恐ろしい! 我は言った。我を助けるのなら契約してやろうと』
(それ助けて貰ったと言うのかしら……?)
意図してやっていたとしたらとんでもないマッチポンプだ。
「魚になんかなっているから悪いんだろうが」
『何を言う! アマリリスは魚となった我を見て目を輝かせて綺麗と呟いたのだぞ! そなたと違いあまりに純粋なアマリリスに感動した我はアマリリスを愛し子とすることを決めたのだ』
えへん、と腰に手を置き胸を張る精霊神。何ということだ。何故アマリリスが愛し子になったのか常々不思議に思っていたがそんなカラクリがあったとは。
「なかなか良い仕事しますね、山男」
「……そうね」
ユルグムの所業がなければ、きっとアマリリスが愛し子になることもなかっただろう。そう考えればユルグムとの縁を感じずにはいられない。
「その話はもういい。とくかくすでにあの娘の魂が食われているというのなら、王宮へ行くのを急いだほうがいいだろう。これまで娘の魂は魔女の行動を少なからず阻んでいたはずだ。それがなくなるとしたら、魔女は思う様力を振るうことが出来るようになってしまう」




