14 第二王子殿下
ティアット家にやってきたユルグムは言葉巧みに父と母に取り入り、あっという間にアマリリスの家庭教師という仕事を手に入れてしまった。
元宮廷精霊師首席であるユルグムはいわゆるインテリだ。そうは見えないけどインテリだ。精霊学、政治学、音楽、数学、礼儀作法その他諸々。貴族に必須とされるあらゆる分野を治めたユルグムは父と母の心をがっちり掴んでしまった。
問題は外見が山男というだけだったのだが、これも髭を剃ることで解決した。
「くっ……山男のくせに」
髭を剃ってこざっぱりしたユルグムを見てミリアが放った第一声がこれだった。
ユルグムは口の周りにたくわえた髭を剃ることで、なんと美男子へと変貌してしまった。お決まりの展開だ。よもや隠れ攻略対象ではあるまいかと思ったが、隠れ攻略対象は精霊神だったはずなので恐らく違うだろう。
「隠れ隠れ攻略対象なのでは?」
これはミリアの談だが、なるほど一理あるなとアマリリスも納得した。そもそも隠れ攻略対象と言われているからにはすでに隠れていない。もしかしたら前世のアマリリスの妹が知らなかっただけでユルグムが隠れ隠れ攻略対象だという可能性もあるかもしれない。
しかし今早急に考えるべきことはユルグムのことではない。考えるべきは……。
「それで? 何でお前がここにいるんだ? アンリ」
このアマリリスたちを睨みつける美少年、アンリ・スコルディアの存在だ。グレン殿下の言い分では、この第二王子であるアンリもマリアベルの虜となっているはずだ。白昼堂々と敵情視察だろうか。
兄のエリックや弟のマリオンはアンリによって追い出されてしまったため、今この場にいるのはアンリとユルグム、アマリリスとミリアの四人だけだ。
アンリは椅子に座り足を組むユルグムの前に立ち、先ほどからおかっぱに切り揃えた金色の髪を揺らしながら、ユルグムにきゃんきゃんと吼えている。正直一見しただけではどちらが身分が上かはわからないだろう。
「うるさい。ユルグム! 兄上の命令を無視して愛し子を騙る女のいる公爵家を選ぶなんて……この逆賊が!」
「逆賊……」
「ひどい言いようですね。……あとお嬢様を侮辱したことは許しませんよ」
ミリアの瞳がキラリと光る。それでも大人しくしているのは、ミリアがアンリに食いつきそうになるのをユルグムが手をあげ、止めたからだ。
「俺が逆賊なら精霊神の愛し子を貶め偽物を支持するお前らは国賊ということになるな?」
「は? な、なにを言っているんだ。なぜ僕が国賊など……」
「精霊神が愛し子と定めた相手をないがしろにし、偽物呼ばわりしただろ? ああ、怖い怖い。王子がその体たらくではいずれこの国は亡びるかもな」
「ユルグム! 王を侮辱するのか!」
「なんで王を侮辱したことになるんだよ。俺はお前を侮辱したんだろうが」
「ユルグムも大概よね」
「あの山男、何であんなに王族に対して偉そうなんですかね?」
「それはやっぱり元宮廷精霊師の首席だからじゃない?」
「ですがあのダグラスとかいう洟垂れ小僧はへこへこしていましたよ?」
「そうねえ。じゃあやっぱり性格かしら?」
「おい、お前ら。少し黙っとけ」
ひそひそこそこそとユルグムとアンリから離れた位置で会話をしていたアマリリスとミリアに、ユルグムからの一喝が入る。あいかわらず耳が良い。
「そもそも……何でお前はここで働こうなんて思ったんだ! その……」
アンリの鋭い視線がアマリリスに注がれる。樺色の瞳には憎しみと侮蔑が込められていた。……納得できない。
「偽物にお前こそ虜にされたのではないのか⁉ そうでなければお前がそう簡単に人の下につくとは思えない!」
「別に下についたわけじゃない。俺はそこのお嬢さんの家庭教師だ。ようするに教える側だ。立場としては俺の方が上」
「何か……間違ってはいないのだけれど素直に納得しがたいわ」
「お嬢様に対して何と無礼な……。あの山男、後で見ていなさい……」
「お前こそ、あの娘に鼻の下を伸ばしているそうじゃないか。筆おろしでもしてもらったか?」
にやりと意地の悪そうな笑みでアンリを見つめるユルグムに、アンリが頬を赤らめる。
「なっ……なんてこと言うんだ! マリアベルはそんな不埒なことはしない! く……口づけだけだ!」
「ほう……」
うっかり恥ずかしい告白をしてしまったアンリに対し、ユルグムは思いのほか真剣な表情をしている。てっきりからかい倒すのかと思っていた。
「キスだけで篭絡されるとは……坊やめ。お嬢様、まだチャンスはございますね?」
ふふん、と流し目でアマリリスを見るミリアに嫌な予感が募る。
「いえ、何のチャンスよ?」
「もちろん、あの坊やを篭絡し直すチャンスです! さあ、お嬢様! 一発かましてやってください!」
「しないわよ!」
普段はアマリリスに触れようとする者に対して目を光らせているくせに、なぜこんなときだけイケイケなのか。
「普通に口づけただけでは無理だな。魅了は使用に条件が付くことが多い。口づけ……とすると、あの娘は体液を対象に摂取させることで魅了するのか……? おい、アンリ。唾液の交換はしたのか?」
「な……は…破廉恥な!」
頬を染め可憐に恥じらうアンリを、ユルグムが追い詰める。
「したかしてないか聞いただけだろうが。どっちだ」
「ぐう……なぜ僕が答えなくちゃならない!」
「なんですか? そんなことも答えられないほどお子ちゃまなんですか? 第二王子殿下は」
「ちょっとミリア! お可哀想よ! 殿下はまだ子どもなのよ? ねえ、殿下?」
アマリリスの言葉を受けたアンリが顔を真っ赤にして俯く。やっぱり恥ずかしいのだ。可哀想に。
「初めてだったかもしれないじゃない。それを皆で根掘り葉掘り聞くなんて……」
「は……はじめてじゃない!」
「え? あら? そうですか? まあ……おませですね」
ちなみにアマリリスはまだだ。昔ミリアにノリで奪われそうになったが死守した。
「唾液は?」
追及の手を緩めないユルグムに、観念したアンリが小声で答える。
「……した」
「やりますね、マリアベルとかいう小娘」
「まあ……」
「となるとやっぱり体液を与えることで魅了が発動されるのか。まあ、接触だけではすぐに魅了された者だらけになっちまうからな。一度か、アンリ?」
「……一度だ!」
すでに開き直ったらしいアンリは顔を赤らめながらも素直に答える。
「一度ならまだ症状は軽いはずだ。しばらく娘から離れれば抜けるだろう。このまましばらくアンリをここで預かるか」
「ええ⁉ ここで⁉」
「王宮に戻せばまた捕まるだろうからな。それに魅了の使用者の近くにいればいるほど、影響を受けるし持続もする」
「……ここで?」
アマリリスは茫然としてアンリを見つめる。アンリは攻略対象ではないが、王族だ。王族との接触を忌避していたアマリリスからすればとんだ災難だ。しかし魅了にかけられているアンリをこのまま放っておくのも心が痛む。
「チャンスですよ、お嬢様!」
「……一応聞くけど、何の?」
「これから少しずつ小娘の周りの人間をこちら側に引き入れましょう。目指せ! 魔性の女!」
「それもういいから! それじゃマリアベルの言ったことが本当になっちゃうじゃない!」
「お前……やっぱりマリアベルの言っていたことは本当だったんだな!」
「ほら! こうなる!」
「お前らなぁ……」
三人のやり取りを聞いていたユルグムが大きく溜息をついた。
「アンリ。グレンへは俺から連絡しておく。着替えその他一式こちらへ送ってもらうからそれでいいな?」
「おい! 本当に僕はここで暮らすのか⁉」
「そうだ。せめて二週間はあの娘と接触をせずに過ごせ」
「だが……それではマリアベルが……」
しゅん、と項垂れるアンリ。俯いた拍子に金色の髪がさらさらと揺れた。いちいち可憐だ。
「なんだ」
「マリアベルはさびしがり屋なんだ……」
「……」
「うさぎじゃあるまいに」
ハっ、と小馬鹿にしたようにミリアが吐き捨てる。アマリリスも今のアンリの発言は正直どうかと思う。
「ダグラスがいるから大丈夫だろ」
「ぐ……ダグラスめ!」
「そういえば……あの洟垂れ精霊師も小娘の魅了にかかっているということは……手を出したのですかね?」
「出されたんだろ。女からの誘いを断るのが苦手なやつでな。根が真面目なんだよ」
「積極的ね。マリアベル様……」
「違う! マリアベルからなんて……そんなことあるわけない!」
「お? じゃあ、お前のときはお前から手を出したのか? やるな」
「ち、ち、違……」
「じゃあ、やっぱり出されたんですね。どうしますか? お嬢様。魔性の女度合いでは向こうが少々優勢ですね」
「競ってないわ」
「はん! お前などがマリアベルに叶うわけがないだろう!」
アンリの言葉を聞いたミリアの目が座る。これはいけない兆候だ。
「ほう……。坊や。どこが適うわけがないのかこのミリアに教えていただけますかね? わたくしのお嬢様のど・こ・が。あの小娘に敵わないと? この艶めく髪! 透き通るような肌! 煌めく瞳! 魅惑的な肉体! お嬢様はどこをとっても至高なのですよ! ここまで仕上げるのにわたくしがどれほどの時間と情熱を注いだと思っているのです!」
「うん……ありがとうミリア。なんかごめんね」
「ま、マリアベルだって美しい!」
「だって? だってですって? それはわたくしのお嬢様を美しいと認めたということですね?」
「ち、違う……」
「違うと? あなたはお嬢様のこの美しいブロンズの髪を見ても何も思わないと? 濡れる金緑の瞳を見ても何も感じないと? 豊かな胸、くびれた腰、しなやかな脚! この悩ましい肢体を見ても何も猛らないと⁉ そうおっしゃるのですか!」
「ミリア、さすがにやめて! 私にもダメージが来てるわ!」
アマリリスはあまりにもいたたまれずに、後ろからミリアの腰に抱き着いた。
「はあはあ……。申し訳ございません。少々興奮しすぎました」
「ぐ……くそう!」
茹蛸かというくらいに顔を真っ赤にさせたアンリは一声吼えて、部屋を飛び出してしまった。残されたアマリリスは非常に気まずい。さきほどからユルグムの呆れを通り越した達観の視線がアマリリスとミリアに注がれているのだ。というかアマリリスはただの被害者なのに。納得できない。
「坊やですね……」
目を瞑り無情を嘆くミリア。自分が犯した罪などまるで認識していないかのようだ。
「あんま苛めるなよ……」
「苛めておりません。世間の厳しさというものを教えてさしあげたのです。ですがおかげで良い考えが浮かびました。これからこの家に滞在する間に、アンリ殿下をお嬢様の崇拝者として洗脳してしまいましょう」
「何て?」
「お嬢様教の信者にするのです!」
「ミリア! だからそれヤバいやつ!」
「やめとけ。本気で傾国を狙うつもりか?」
「大丈夫です。向こうは魅了などという卑怯な手を使っていますが、こちらはあくまでお嬢様の生まれ持っての魅力だけでの勝負です。誰にも文句は言わせません」
「……結構苦労してるんだな、お前も」
ユルグムからの同情のこもった視線に、アマリリスがうなだれる。苦労……というほどではないが、ミリアの手綱を握るのは結構大変なのだ。
そしてアンリを預かってから二週間後、ミリアによるアンリの洗脳は完璧に終了していた。
「アマリリス! 庭師に花を貰って来たよ! 白い薔薇は純粋で美しいあなたにぴったりだ!」
頬を染め、息を切らしてこちらに向かって走ってくるアンリをアマリリスは遠い目をして見つめる。よくぞここまで仕上げたものだ。
(怖! ミリアの洗脳怖!)
あれほどマリアベルのことを慕っていたアンリだが、今はその名を口にすることさえしない。アンリは暇を見つけてはアマリリスに花を貢ぎ、褒めたたえる。そしてそれを満足そうに後ろから見つめるミリアという地獄絵図をここ一週間毎日見せられているアマリリスだ。
「二週間でよくあれだけ躾けたな。やっぱ怖いなあの侍女……」
「ミリアは……ちょっと行き過ぎることはあるけれど基本は優しいのよ……」
(多分……)
「その優しさは多分あんたにだけだぞ。まあ、いいんだが」
アマリリスとユルグムがミリアの生態について話していると、アンリが血相を変えて間に割って入ってきた。
「ユルグム! アマリリスから離れろ!」
「ああ? なんでだよ」
「お前は性格は悪いが顔が良いからアマリリスが騙される!」
「騙されねーよ。騙されるんなら最初から騙されてるっての」
アンリの言う通り、髭を剃ったユルグムは実に男前だった。精霊神に迫る程度には美しい。ということはかなり美しい。しかも性別を感じさせない精霊神と違い、ユルグムの美貌は一目で男性だとわかる美しさだ。正直攻略対象の誰よりも攻略対象らしい顔面をしている。
うんうんとアマリリスが頷きながらユルグムを見つめていると、先ほどまで息巻いていたアンリが急に沈んだ面持ちで呟いた。
「……ユルグムは王宮に戻らなくて良かったかもしれない。行ったら絶対にマリアベルに目を付けられる」




