12 元首席宮廷精霊師
「ユルグム……。その二人とは知り合いか?」
山男を睨みつける第一王子殿下に、
「久しぶりだな、殿下。おう。知り合いだ」
しれっと嘘をつく山男。
「知り合いも知り合い。今日からこの山男はティアット家の使用人です」
なぜか口を挟んだミリアの言葉に、アルフォンスが口を開いた。
「使用人? 元首席宮廷精霊師をティアット家が雇うと言うのか?」
「え? 宮廷精霊師⁉」
(しかも首席⁉)
この山男――ユルグムが宮廷精霊師の中でも最高峰と言われる首席精霊師だったとは。とてもではないが信じられない。元山賊と言われた方がまだ信じられた。
アマリリスは驚きのあまりユルグムを見上げ凝視する。そんなアマリリスの様子を見たグレンが怪訝そうに眉を顰めた。
「知らなかったのか? 知らずにユルグムを使用人に?」
「……元宮廷精霊師だと知っていたら雇いませんでした」
まあまだ雇ったわけではないのだが、すでにミリアのおかげでそういう流れになってしまっている。アマリリスの言葉に、ユルグムが首を傾げて問いかけて来た。
「何だ? 精霊師に恨みでもあるのか?」
「その通りです! ここで会ったが百年目。昨日の腑抜けた精霊師の姿を思えば元とはいえ精霊師などをお嬢様に近づけるわけにはまいりません! 小娘に骨抜きにされたあげくお嬢様を偽物だなどとのたまった、あのにっくき洟垂れ精霊師の仲間など!」
洟垂れ精霊師の仲間とは暗に王子と護衛騎士のことも指してのだが、今回はアマリリスもミリアを宥めることはしない。むしろもっと言ってやれ。
「洟垂れ精霊師? もしかしてダグラスのことか?」
ユルグムがミリアではなくアマリリスに確認をとる。
「……そのようです」
「何をやったんだ、あいつは?」
今度はグレンとアルフォンスに向かって投げかけられたユルグムの疑問は、しかしミリアによって回収されてしまった。
「精霊神の寵愛を受けたお嬢様を、偽物だと言ったのですよ、あの者は!」
「いえ、偽物とまでは言っていなかったわよ?」
「……お嬢様! あの男を庇うのですか⁉」
「おい、もう小芝居は打つなよ!」
わなわなと震え出したミリアを見たユルグムが、あわててアマリリスに懇願の視線を寄こした。だがさすがにアマリリスとて二度もミリアに付き合うつもりはない。だいぶ留飲は下がったし。
「大丈夫です。さすがに二度も付き合いきれませんから」
「そんな……お嬢様!」
「ミリア、話が進まないわ」
アマリリスに怒られしゅんとうなだれるミリア。だが本気で落ち込んでいるわけではない。ここまでがミリアの小芝居だ。
まったくもう、と己の侍女のお茶目具合にアマリリスが多少げんなりしていると、ユルグムがアマリリスの近くにやってきてじっとアマリリスを見下ろしてきた。さすが山男、大きいから迫力がある。
「な、何かしら?」
「精霊神の寵愛と言ったな? ちょっと確かめさせてくれ」
「え?」
アマリリスの返事も待たずに、ユルグムがアマリリスの髪に手を伸ばす。すると静電気のような火花が散り、ユルグムの手が弾き飛ばされた。弾かれたユルグム手の平からはシュウシュウと煙が立っている。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「……ああ。はは、なるほどな。これは確かに精霊神の加護を受けている」
ユルグムは己の手の平を見つめながらどこか楽し気だ。Мの人かな?
「わかるのか? ユルグム」
グレンがユルグムに問いただす。やはり信じていなかったのだろうか。
「まあな。しかし、まさか精霊神の加護を受ける人間が現われるとは……」
「わたくしのお嬢様ですよ? 当たり前です。というか山男。勝手にお嬢様に触れようとしないでください。今度やったらわたくしの火花が散りますよ?」
ギラリと光るミリアの目から逃れるように、ユルグムが視線を逸らした。
「ああ……まあ、というわけでだ。俺はこのお嬢さんたちのところで働くからお前たちにはついていけない。悪いな、昨日から待っていてくれたようだが」
「……やはり知っていて逃げたのか。おかげでこの鬱蒼とした森で一晩明かす羽目になった」
グレンはこれ見よがしに大きなため息をついた。声にも疲れが滲んでいる。
「それは貴重な経験をしたな、王子殿下。影の奴らも大変だったろうに。まあ、俺に会いたければ今度からはティアット公爵邸に来ればいい。当分はそこにいる予定だ」
アマリリスはユルグムの言葉を聞き、ティアット家で働くことはユルグムにとってすでに決定事項なのだと悟る。これはアマリリスが父を説得するほかないだろう。余計な仕事が一つ増えてしまった。
アマリリスがどうやって両親を説得しようかと考えていると、唐突にグレンがユルグムの名を呼んだ。
「ユルグム」
「ああ?」
「……二年前にお前が偽物と言った少女のことを覚えているか?」
「ん? ああ……あの娘な。覚えている」
「あれはまだ王宮にいる」
グレンの言葉にユルグムがわずかに目を見開く。しかしすぐに目を細め片方の口の端をあげて笑った。
「……は! ダグラスがいながらその様か。……巣くわれるぞ」
「ユルグム・サリ! 殿下に対し不敬だ!」
アルフォンスがユルグムの言葉に反応し剣に手をかける。アルフォンスの紺碧の瞳はいっそ黒かと見紛うほどに暗く鋭い。
「よせ、アルフォンス。ユルグムに剣は通じない」
気色ばむアルフォンスをグレンが片手を差し出し制した。
「ユルグム。お前の言う通り、すでにダグラスは巣くわれている」
グレンが苦しそうに眉を顰める。琥珀色の瞳には揺れる感情が見て取れた。いけ好かない相手だったし何のことを言っているのかはわからなかったけれど、兄と同じ瞳が曇っているのを見てしまえば、いい気味だなどとはさすがに思えない。
「あ? あーあ、まったく。精霊は強くてもやっぱガキだな」
「ダグラスのことがある限り、すでにあれを追い出せば済む問題ではない。いや、ダグラスだけではない。アンリも、王宮に出入りする貴族たちも……一体王宮内でどれだけの人間があれに傾倒しているのかわからない。ユルグム。魔女は……魅了を使える人間は本当に存在するのか?」
(魔女? 魔女って絵本に出てくるあの魔女?)
魔女は絵本の中だけの存在のはずだ。だが精霊が存在するこの世界では、魔女ぐらいいたっておかしくはないのかもしれない。
グレンからの問いに、ユルグムがにやりと獰猛な笑みを見せた。これぞ山男の本領発揮といったところか。
「ああ、いるぜ。おとぎ話で語られるよりも、ずっと醜悪で恐ろしい存在がな」
(やっぱいるの⁉)
「……それが、あのマリアベルだと、お前はそう思っているのか? 二年前から?」
(いやいや! マリアベルは主人公で本来なら精霊神の愛し子になるはずだったのよ。それが魔女って! え? 魔女狩り的な?)
前世、不可思議な術を使う者や予言などの人知を超えた能力を発揮する者を魔女として迫害することは過去にあった。何なら現在でもひっそりと行われている場合もある。
もしマリアベルが本当に予言を行っていたとすれば、魔女狩りの対象となることは大いにあり得た。だがまさかここでもそのようなことが行われている可能性があるとは、夢にも思わなかった。
(いえ、でもそれじゃあ、夢で見た乙女ゲームがそもそも成り立たないわ)
しかしそこでアマリリスは大変なことに気づいてしまった。ゲームの中のマリアベルは別に予言をしたとかは一切語られていなかったのだ。
(あれえ? やっぱゲームの内容から逸れたから、こんなことに?)
「二年前ははっきりとはわからなかった。わかっていたのはあの娘が強い力を持っていること、そしてそれは精霊の力でもましてや精霊神とも関わりのない醜悪なものだということだけだ。だが今は確信している。たとえ魔女ではなくとも、あれは人間が関わるべき存在ではないとな」
(ちょ、ええ……! そこまで? みんな勘違いしているんじゃない? 前世の記憶があるだけで魔女とか……。あっ、じゃあその理屈でいくと私も⁉)
アマリリスはこっそりとミリアの様子を窺う。ミリアは一体どう思っているのだろうと。しかし目が合ったミリアはいつも通りのポーカーフェイスだった。なんなら薄っすらと唇だけ笑っている。不吉だ。
(何考えているかわからないわ……!)
「ユルグム。宮廷精霊師に戻ってくれ。ダグラスが虜となった今、頼めるのはお前しかいない」
「断る。あの存在に関わるつもりはない」
「ユルグム!」
ユルグムはアルフォンスの恫喝にも一向に動じる様子はない。
「……良い、アルフォンス。二年前ユルグムの言を聞かなかったのは私たちだ」
「あの……ちょっといいですか?」
アマリリスは恐る恐ると手をあげた。シリアスな場面に割り込むのはいささか気が引けたが気になったのだから仕方ない。
「……何だ?」
グレンからの許しが出たので、アマリリスは疑問に思っていたことを口にした。
「殿下はさきほど魅了とおっしゃいましたが、マリアベル様が魅了を使っていると、そうおっしゃっているのですか?」
「そう聞こえなかったか?」
グレンが眉根を寄せ、目を細める。小馬鹿にでもしているかのようなグレンのその表情に、アマリリスの心がざわついたが、すぐに気を取りなおした。聞きたいことだけ聞いてさっさとユルグムを連れて家に戻ればいい。そうだそうしよう。もう二度と王家には関わりたくない。同情して損した。
「なぜ魅了を使っていると、そう思われるのですか?」
魅了のことはアマリリスも知っている。昔ミリアに読んでもらった絵本の中にも、魅了を使う魔女の話がでてきたからだ。だがアマリリスが見た夢の中には魅了などという言葉は出てこなかった。というか魔女なんて一切関係なかった。
それにマリアベルは主人公なのだ。魔女魔女言っているけれど、たんにマリアベルの主人公としての魅力に皆参っているだけではないだろうか。
むしろここまでの話を聞くにグレンやアルフォンスがマリアベルの虜となっていないことのほうが不思議だ。攻略対象なのに。
「……ダグラスの言動がどんどんとおかしくなっている。本来のあいつならばあのように陛下の前で我を失くすことなどなかったはずだ」
「それは私のことが信じられなかったからと、マリアベル様のことを信じていたからでは?」
信じている人間を偽物扱いされたらそれは怒るだろう。推している人間と言い換えても良い。我を失くしそう。
「ダグラスは首席精霊師だ。あいつ自身精霊神が本物だと言っていたにも関わらず、それでもお前を本物の愛し子と認めようとはしない。そんなことはあいつらしくない」
「そんなの簡単です。篭絡されているからですよ。陛下もおっしゃっていたではありませんか」
今のはアマリリスの言葉ではない。ミリアの言葉だ。篭絡と言うと聞こえは悪いが乙女ゲームの主人公の魅力はマシマシだろうからあり得ないことではない。むしろ然も有りなん。
「……あいつが女に篭絡されること自体、信じがたいことなんだ」
なおも抵抗するグレンに、ミリアがきつい一撃をくらわす。
「信じたくないだけでは?」
(わかるぅ。けどキツ!)
「おい、侍女。殿下に対して不敬が過ぎるぞ」
「アルフォンス」
グレンがミリアを睨みつけるアルフォンスを宥めるが、見たところミリアにはアルフォンスの威嚇などまるで効いていなさそうだ。
「ともあれ、すでに山男はティアット家の使用人です。お嬢様の持ち物です。お嬢様に許可を取ってからでないと王宮に関わらせることは出来かねます」
「いえ、私の物ではないわよ? 勝手に決めないで」
「ふうん。精霊神の加護を受けた人間の物になれば、王家からの命令にも従わなくて済むかもな。よし、それでいい」
「よくないわ! 勝手に決めないでってば!」
アマリリスは拒んだが、そんなアマリリスにミリアが顔を近づけ小声で囁く。
「……お嬢様、ここはそうしておきましょう。主人公であるマリアベルがそんな恐ろしい存在なら、精霊神の加護を受けたお嬢様のことを憎んでいる可能性もあります。ですがこの山男は元宮廷精霊師の首席。役に立ちます」
「……そんな理由でこの人を雇ってもいいのかしら?」
「いいぞ。世の中持ちつ持たれつだ」
「耳が良いですね……あなた。山男のくせに」
「ミリア、きっと山男だからよ。山で生活するには耳も目も良くなければ生き残れないわ」
「……別に野生の生活をしているわけじゃないんだがな」
「ユルグム」
縋るようなグレンの呼びかけを、ユルグムはばっさりと切り捨てた。
「悪いな殿下。ダグラスの精霊は俺の精霊よりも強い。そのダグラスが駄目だったんだ。俺が戻っても何もできんよ」
「やはり、精霊が逃げたなんて嘘だったんだな……」
「いいや、逃げたさ。また捕まえたけどな。よほどあの娘のそばにいたくなかったらしくてな」
そこまで精霊に嫌われるとは、今のマリアベルは本当にあの夢の中のマリアベルなのだろうか。夢の中のマリアベルは容姿だけではなく心も美しい少女だった。
ほかにも魅了やら魔女やら聞きなれないワードも出てきて、この世界が本当に夢で見た世界なのか信憑性が揺らいでくる。
「さあ殿下。俺は今日中に荷物の整理をしなくちゃならない。帰ってくれないか」
ユルグムの言葉にまたアルフォンスが何かを言おうとしたが、やはりグレンに止められた。どうやらこの二人はアマリリスとミリアのような関係らしい。
ミリアもたまにアマリリスへの忠誠心が強すぎて、誰が相手であろうとも喧嘩腰になってしまい困ることがある。
「ユルグム。また会いに行くからな」
グレンはそう言うとくるりとアマリリスたちに背を向け、木に繋いであった馬の方へと歩いて行った。そしてアルフォンスと二人、さっさと馬にまたがると森の奥へと消えて行ってしまった。
「あっち側にも道があるのね……」
「そうですね。あの二人、また会いに行くと言っていましたが、それはティアット公爵家に来ると言うことですかね?」
「あ! え? 嘘、来るの? 殿下が? 嫌よ!」
「嫌われたもんだな殿下も。女の受けはいいと思うんだが」
ユルグムの言う通り、確かにグレンは美形だ。だがごめん被る。
「なしです! お嬢様を偽物呼ばわりしたあの洟垂れ精霊師の味方なんぞ、なしに決まっています!」
「あ~でもなぁ。ダグラスは殿下にとって数少ない友人の一人だからな。許してやってくれよ」
「う……」
ユルグムの放った友人という言葉に、アマリリスの心が罪悪感にうずく。確かに友人のことなら、そう簡単に諦めることはできないだろう。
グレンのことはものすごくむかつくが、アマリリスとてミリアがもし魅了されたとしたら、一生懸命その魅了を解こうとするだろう。というより、ミリアが魅了にかけられること自体、信じられない。
「あ……」
「お嬢様?」
「……殿下もきっとそうなのね。殿下はダグラス様を信頼していたのだわ」
「……ダグラスは若いが才能のあるやつなんだ。そのダグラスが魅了されたと言うのなら、あの娘にはよほど強い魔女がついているんだろうな」




