2.倒れていたのは王子様
*
「ありがとう、リヒトさん」
「どういたしまして。他にも困ってる奴がいたらうちを紹介してくれ」
「はーい」
カランコロン♪
客を見送ってリヒトが店に戻ると、ヒナの姿はなかった。
「ヒナ?」
返事はない。
裏口の扉が、少し空いている。
「おーい。猫の鳴き声でも聞こえたか?」
リヒトは声を一段と大きくする。
道端に捨てられた小動物を拾いがちなヒナ。去年の今頃は、店に猫が溢れていた。すべての猫に新しい飼い主を見つけるのには骨が折れた。
世話を焼きたがる性分は、父親譲りだ。
(なんてったって俺も拾われた身だしな)
ぷっ、とリヒトは小さく吹き出した。
すると、ばたばたばたっと足音が近づいてきた。
ばんっ! 開きかけの扉が完全に開く。
戻ってきたヒナは、肩で大きく息をしていた。
「大変です。男の人がお店の裏に倒れています!」
「はぁ?」
ヒナの説明した通り、店の裏手には男性が仰向けで倒れていた。
年頃は20歳を過ぎたくらいだろうか。
ウェーブのかかった金色の髪に、明るい肌色。
顔にけがは見当たらないものの、ところどころすすがついている。
「生きてるなー」
「リヒト!」
「はいはい」
死んではいないという呑気な感想に、ヒナが諌めるような声をあげる。
よいしょ、とリヒトは男性をかついだ。
診療所まで意識のない人間を運ぶほどの力はないので、応急処置は店内で行う。
「うぅ……」
男性が苦しそうな息を漏らした。
リヒトがよくよく観察すると、髪や服も多少焦げていた。
店の床に男性を寝かせると、服を脱がせて肌の状態を確かめる。
(上質なシルクのシャツ。平民ではなさそうだな)
なお、ヒナが変な悲鳴を上げたが気にしない。
(外傷はなし。見た感じ、火事にでも巻き込まれたか? それに……)
リヒトの視線は彼の首元に留まった。
「おい、あんた。聞こえているなら手を動かしてみろ」
「……」
男性がわずかに手を動かした。
「とりあえず客室にでも運ぶか。ヒナ、開けてくれ」
立ち上がったヒナは店の奥に繋がる扉を開けて客室の中央へ一直線。
ヒナがベッドを手早く整える。
リヒトは男性を抱えて行き、その上に寝かせた。
「大丈夫そうですか?」
「たぶんな」
リヒトは男性の口元へ手を翳して、回復呪文を呟いた。
すると、息苦しそうにしていた男性の眉間のしわが段々と和らいでいく。
「……よかったです」
見ず知らずの他人を案じて、ヒナの瞳が潤んでいた。
リヒトは思わず、ヒナの頭をくしゃっと撫でる。
「ほんと、お人よしだな」
「どういう意味ですか」
「言葉通りだ。こいつの素性も分からないっていうのに」
リヒトは、男性が首にかけていたペンダントを持ち上げてみせた。
変わったチェーンに通された大ぶりのペンダントトップは、花が彫られているものの灰色にくすんで汚れている。
「魔石、ですか?」
ヒナが膝を曲げて覗き込む。
「わかるか?」
その質問に、ヒナはペンダントを見つめてから、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。何かを訴えてきていることは感じますが、まったく分かりません。これは、一体……」
「とりあえずこいつの目が覚めたら事情を聞こう。話はそれからだ」
*
男性はなかなか目覚めなかった。
頻繁にヒナは客室へ様子を見に行く。
その度に様子を報告してくれるが、リヒトとしては面白くない。
カランコロン♪
「あれ? 今日はリヒトくんだけ?」
カウンターに頬杖をつくという接客業にあるまじき態度。
そこへ、顔なじみの客が入ってきた。
「ヒナなら奥にいる。怪我人の看病」
何の気なしに尋ねた中年男性に対して、リヒトはぶすっとして答えた。
「へぇ。グランさんの知り合いかい?」
「そんなんじゃない。ったく、あのお人よしめ」
「声に出てるよ。はい、今日の修理依頼分」
「……こちらにサインをお願いします、ミュラーさん」
さらさらと、修理依頼書にミュラーがサインする。
王都の一商会で副商会長を務めている彼は、こうして定期的に仕事を持ち込んでくれるのだ。
仲介料は発生するものの、わざわざ坂の上まで行けない人々にはありがたい話らしい。
商売というのは実にふしぎなものである。
「ヒナちゃんのいいところは、困っているひとを放っておけないところだからなぁ」
「それが悪いところでもあるんだよ」
「過保護だなぁ。君だっていつまでもここにいる訳じゃないんだろう?」
「……」
リヒトは、棚の上に飾られた一枚の写真に視線を遣る。
もこもことした髭の男性と幼い少女。グランとヒナだ。
「ミュラーさん」
わしゃわしゃ、とリヒトは髪の毛をかきむしった。
「何だい」
「頼みがある。調べてほしいことがあるんだ」
*
「交代するぞ」
薬草のにおいに満ちた客室。
リヒトがずかずかと入っていくと、ヒナは肩越しに振り返った。
ピンク色の瞳が明るく輝いている。
「リヒト! ちょうどいいところに来てくれました!」
「は?」
ヒナの言葉の意味を、リヒトはすぐに理解した。
眠っていたはずの男性が上体を起こしていたのだ。
「ついさっき目が覚めたんです。こちら、モナートさん」
リヒトとモナートの視線が合う。
モナートの瞳は、リヒトによく似た青色だった。
少し困ったように眉が下がっている。
恐らく、ヒナからここに寝かされていた経緯を聞かされていたのだろう。
「モナートさん。彼はリヒトです。うちの店の敏腕従業員なんです」
「どうも。敏腕従業員のリヒトです」
ぺこり、と形式的にリヒトは頭を下げた。
「私を助けていただき感謝する」
リヒトが眉をぴくりと動かす。
モナートの発音には独特なイントネーションがあった。
「あんた、リュッケ王国の人間か?」
「そうなんですよ!」
答えたのはヒナだが、リヒトはそれを無視する。
「何者だ? 回答によってはお前を捕らえて警邏に突き出すぞ」
「ままま、待ってくれ。それは困る!」
男性が慌てて両手を振った。
「今、ちょうどこちらの親切なお嬢さんへ説明しようとしていたところなのです。私の正しい名は、モナート・フォン・リュッケ」
「よし、突き出そう」
ぽきぽきと指を鳴らすリヒト。
そんなリヒトの服をヒナが慌てて掴む。
「どぅどぅ。話は最後まで聞いてあげましょう」
「俺を獰猛な動物かなんかと勘違いしてないか?」
「まさか。善良で優秀な従業員ですよー」
ヒナを一瞥して、リヒトは肩をすくめた。
「リュッケと名乗れるということは、あんたは王族かなんかか」
「そ、そうだ。私はリュッケ王国の王子なのだ」
「王子様……!?」
ヒナがリヒトを見上げた。きらきらと瞳が輝いている。
「悪かったな。王子様みたいな見た目じゃなくて」
ヒナが口を開いて反論しようとするのと同時に、モナートは被せるように言葉を紡いだ。
「しかし、私は幼い頃に城外へと放り出された。理由は単純で、母親が貴族ではなく庶民だったからだ。ところが、先月正当な後継者である第一王子が病気で亡くなった。そこで王位継承権が繰り上がり、私は再び王城へ呼び戻された」
「で? それをよく思わない輩から命を狙われているとでも?」
「そそそ、そうなのだ!」
モナートがかっと目を見開いた。
何故だか両手をわきわきと動かしている。
「私は王位を望んでなどいない。ただ田舎で静かに暮らせればそれでよかったのに」
「そのペンダントは?」
「母の形見だ。なんでも、父である現国王から賜ったものらしい……」
一気に喋って疲れたのか、モナートは俯いた。
リヒトは体じゅうの息を吐き出すように、盛大に溜め息をついた。
「まったく信用できないな」
「だからと言って、この人を見放す訳にはいかないでしょう!」
「ヒナ。その発言。お人よしの極みだぞ」
睨み合う、ヒナとリヒト。
……先に折れたのはリヒトだった。
「……おい、あんた。腹は空いているか?」
「ははは、はい」
「リヒト、ありがとうございます!」
ヒナはすっと立ち上がると、何を思ったのかリヒトを抱きしめてきた。
(うっ!?)
突然のことに動揺するリヒトだったが、あくまで平静を装う。
「分かった分かった。俺の負けだよ」
ヒナの機嫌を損ねない程度に優しく引きはがして、リヒトは言った。
「ヒナ。スープを温めてきてくれないか」
「分かりました」
ぱたぱたとヒナが客室から出て行った。
見送ったリヒトはわしゃわしゃと髪の毛をかく。
「……うちの店をわざわざ目的地にしたのは、そのペンダントが理由か?」
「察しがいいな」
モナートはペンダントを胸元から取り出した。
眉尻は下がったまま。
どうやら彼の表情は、気弱さがデフォルトらしい。
「王城に戻ってから、こうやって灰色にくすんで濁ってしまった。この国では魔石を扱う技術が発達していると知り、せめてこれだけは何とかしようと思って逃げ出してきたのだ」
ぎゅっ、とモナートがペンダントを握る。
腰に手を当てて、リヒトは深くため息を吐き出した。
「とりあえずあんたのことは匿ってやる。ペンダントも何とかしてやる。だが、ヒナへ変な真似をするんじゃないぞ。……いいな?」